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星粒のリテラエ ——暫定魔女が記録する、理系王女と最適解王子のたったひとつの“誤差”  作者: はなちゃん
第四章 結びと環りの国 〜私は、この世界を好きになる〜
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第50話 翡翠に映る赤

 赤いマントが、壇上を駆けた。


 風みたいだった。


 人が走っているのではなく、赤だけが風を裂いているみたいに見えた。


 真正面から受け止めるエンジュの、その緑色の髪が乱れる。


 身長より長い棒がしなり、短剣がその軌道を叩いた。


 乾いた音だけが、空間に響いた。


 エンジュの肩を踏み台にして宙を舞うその赤が、翡翠の瞳に映った。


 眩しそうに、そして心の底から愉快そうに、その目が輝いた。






 ナナリエの奉納試合のあと、サヤパトリは楽しそうに私の腕を掴んだ。

「私はこのあと空いてるからアンリと遊ぼっかな〜」


「私は業務に戻るわ。二人揃って散財しないようにね」

 クリサンテは釘を刺して去っていった。


 入れ替わるようにナナリエが駆けてくる。


「アンリ」


 ちらりと私の隣のサヤパトリを見る。


「サヤパトリね」

「ナナリエ様。星積み、面白かったです〜」

「ありがとう」


「王子殿下への愛情たっぷりの差し入れも素敵でした〜」


 ナナリエは意味がわからないという顔をした後、すぐに私を見た。


「ごめんなさい。急用ができてしまったの」


 あ、これか。サヤパトリをガン無視って。


 サヤパトリは横目で私を見て、ニヤリと笑った。


 ……わかってて言ったな?


 ナナリエ、情緒面の情報が入ってくると本当に思考停止するんだ。


「午後は一人で前結祭を見て回れるかしら?」

 保護者のような目で心配している。


「大丈夫だよ。お仕事がんばってね」

「ありがとう。あなたも楽しんでね」


 ナナリエを見送ると、サヤパトリが遠くの方を指差した。


「まずはあっちの出店でお昼ごはんにしよっか〜」


 なんだかとても、普通の友達みたいに軽く言った。




「じゃあ、今日のサヤパトリの演奏はもう終わっちゃったんだね」


 今日のお昼は、ちょっと辛めのスープに歯応えのある麺と野菜が入ったもの。


「そうなの〜。ちょうど王子殿下の奉納試合の最中ね」

 サヤパトリは残念そうに言った。

「クリサンテ企画の茶番劇には間に合ったけど」


 サヤパトリは、ちゅるちゅると器用に麺を啜った。

 ぽってりした唇が少し尖っている。


「茶番劇って、あれ、やっぱり新商品の宣伝だったの?」

「そうだよ〜。宣伝だし、前結祭の一部なの〜」

「え?」


 サヤパトリは水を一口飲んで、少しだけ声を落とした。


「シトリンは、お金の流れを整える宮でしょ。だからお祭りでも、物が動くようにするのが役目なの」


 物が動く。


「人が集まる。お腹が空く。何かを買う。誰かに贈る。作った人にお金が入る。また次のものが作られる」


 サヤパトリは指先で、器の縁をくるっとなぞった。


「そういう流れを、止まらないようにするのがシトリンの仕事なんだって。クリサンテは特に上手いよ〜。人の気持ちごと動かすから」


 クリサンテの勝利の笑みを思い出す。

 王子と王女を巻き込んで、会場のみんなを惹きつけて。


 確かに、あの場にいた人たちは笑っていた。

 ざわざわして、面白がって、たぶん後で同じものを探しに行く。


「だから、アンリも、お祭りの一部」

「え?」

「あの茶番劇に出ちゃったから」


 サヤパトリは楽しそうに笑った。


「この国のお祭りは、見るだけじゃないんだ〜。巻き込まれて、誰かを巻き込んで、お祭りの一部になっていくんだよ」


 私が、お祭りの一部。


 私はまだ、この国のことを何も知らない。


 でも、少しだけ流れの中に入ってしまった。

 物が動いて、人が笑って、誰かの仕事につながる流れの中に。


 それが少し怖くて、少し嬉しかった。


「サヤパトリも?」

「ん?」


 サヤパトリは口をもぐもぐさせながら首を傾げた。


「サヤパトリも参加してるってことだよね」

「ん」


「どんな楽器を演奏するの?」

「んー?」


 サヤパトリは水の入ったグラスの縁を指でくるるっとなぞった。


「秘密〜」

「え?」

「今度招待するからナナリエ様と一緒に聴きにきて〜」


 サヤパトリがグラスを指で弾くと、澄んだ高い音がした。


「それよりさ、午後は若宮司さまの奉納試合、観に行くでしょ?」

「なにそれ」

「え、観ないの?毎年一番観客が多い演武だよ〜」




 昼食後、私たちは様々な出店を覗きながら、王都の中央へ向かった。


 サヤパトリはイヤリングを買い、私は大きめの織物の斜めがけバッグを買った。


「会場は、明日の結環の儀で使う場所なの〜」

 買ったばかりのイヤリングを耳につけながら、サヤパトリが言った。


「神職の人たちと武門の人たちが、武術を競って場を清めるんだって〜」


 神職の人たちと武門の人たち。


 どう考えても武門の人たちが強いのでは?


 そんな疑問が浮かんだ時、調子の良さそうなおじさ……お兄さんの声が聞こえた。


「あれぇ、魔女のお嬢ちゃん?」


 声の方向に視線を向けると、紺色の癖っ毛のお兄さんが食べ物を抱えて立っていた。


 私の個体照合の時に担当してくれた、系譜管理局のお喋りなお兄さんだ。


「同僚になっちゃったねー」

 軽い感じで話しかけてくる。

「ハルジオン……殿下の部下になるなんて、お互い辛いね」


 勝手に仲間意識を持たれている。


「はあ……まあ、ちょっと容赦ない上司ではありますよね」


 ちらっとサヤパトリに目を向けると、かまわず話をして〜と目配せをしてくれた。


「わかってくれる?終業間際に指示出してきて、『明日の朝まででかまわん』とか言ってくるわけよ」

「察しろって顔で短い指示出してくるんですよね」


 待たせているサヤパトリのことは気になりつつも、ついつい話に乗りそうになってしまう。


「そうそう。それで少し対応間違うと、深いため息吐いてさあ」

 お兄さんは眉間を押さえて下を向いて、ハルジオンの真似をした。


「あれは背筋が凍りますよね」

 思わず笑ってしまう。


 待って。こんな往来で王子の悪口大会して大丈夫なのか?


 サヤパトリは口元を押さえて、笑うのを我慢している。


「あの、この前はお忙しいところありがとうございました」

 話題を変えようとした。いや、本当は立ち去った方が良かったのかもしれない。


「本当に忙しかったんだよー」

 聞いて聞いてと身を乗り出してくる。


「この前、見せたじゃない?五年で八回所属変更した人の情報」


 今度は、情報漏洩になりそうな話を大声でしてきた。

 これ、聞いてていいのかな?


「あの人、結環の儀への参加申請が出てたんだけど、所属が違って却下されたんだよ」


 儀式に参加できるのは家系図の確認が取れた人だけって、聞いたけど。


 本当に参加できない人もいるんだ。


「申請は珊瑚宮で出されていたのに、そのときの所属が他の宮になっててさあ」

「はあ……」

「こっちからもご本人に再申請のお願いしたんだけど、やってくれなくて」


 もう少し声のボリューム落としてくれないかな。


「うちの局長が直々に頭下げに行ったんだけど、対応する気ないみたいで」


 お兄さんのお喋りは止まらない。


 サヤパトリは神妙な顔で聞き耳を立てている。


「あの局長がだよ?相手、相当偉い家柄の人だよ」

 あの局長。ああ、あの幕末の志士のような気迫の、大柄の紳士か。

 たしか珊瑚の指環をしていた。


 珊瑚宮。


 ふと、珊瑚宮の武門の姫君ロタラの話を思い出した。

 今年、ロタラは誰かの代役で儀式に参加するって言っていた。


 急に参加できなくなった人っていうのはもしかして——。


「そうそう、あの後も大変だったんだよ?」

 お兄さんは、はあ〜と大きくため息を吐いた。


「系譜の照合情報が消えちゃったじゃない?琥珀宮の本局と瑠璃宮の解析班に取り調べを受けて、四日間ずっとアメジスト宮の整備士が何人も立ち会ってさあ」


 そんなに大変なことになっていたなんて。


「ああ……すみません。私、どうやら情報を吸い取っちゃうみたいで」

「うんうん、いいよお」


 お兄さんはうんうんと頷いた。でも一瞬、首を傾げた。


「……え?今、なんて言った?」

「私、物とか端末とかの情報に触ると、全部吸い取っちゃうみたいなんです」

「え?」

「……え?」


「アンリ!」

 ずっと静かに話を聞いていたサヤパトリが私の腕をぐいっと引いた。

「もう奉納試合始まっちゃうよ!行こ!」


 え?


 お兄さんは、その意味を飲み込めないという顔で私たちを見送った。

 私は私で、どうしてそんな顔をされたのか飲み込めていなかった。


「よくわからないけど、今の話、大丈夫だったの?」

 お兄さんから離れると、サヤパトリが囁いた。

「なんか、聞いちゃいけない話みたいに聞こえたけど」


 サヤパトリの心配そうな顔に、私も少し不安になる。


「だ、大丈夫じゃなかったのかな……?」

「わかんないけど。少なくとも、あの場でこれ以上話すことじゃない気がしたの」

 サヤパトリは私の腕を引いたまま会場の方を見た。


「でも、深く話してないし。今は若宮司さまの試合、観に行こ」





 試合会場は、白い円だった。


 すり鉢状の白い観客席。


 その中央の舞台も、白い石のタイルが敷かれ太陽の光を跳ね返していた。


「翡翠宮の神職の人たちと、珊瑚宮の武門の人たちの奉納試合だよ。両陣営から五人ずつ出て、勝ち抜きで戦うの」


「勝ち抜き」


「うん。使う武道具の種類は自由で、相手の武道具が体に触れると、反応する結晶が組み込まれていてね。勝った方は結晶が光るの」


 毎年観戦しているというサヤパトリの説明は慣れたものだった。


「怪我はしないの?」

「本物の刃は使わないから大怪我はしないだろうけど、当たれば痛いんじゃない?」


「痛そう……」

「痛そうよね……」

 ふたりでしょんぼりするのと同時に、会場も静かになった。


 特別な開式の挨拶もなく、ただ空気が整った感じだ。


 厳かな雰囲気の中、審判らしき人が壇上に上がり、音もなく礼をする。


 正面の観客席の下、控えの間のような空間から演武者が一人出てきた。


 萌黄色の道着を身につけた神職の人のようだ。手には薙刀のようなものを握っている。


 私たちの座っている位置の真下からももう一人、薄紅色の腰帯を巻いた演武者が出てきた。


 肩幅の広い身体で、大きな太刀のようなものを担いでいる。


 互いに礼をし、隙のない動きで壇上に上がった。


 審判の合図で試合が始まる。


 試合は、私が思っていたよりずっと早く進んだ。


 翡翠宮の神職の人が一人、二人、三人。

 そして四人目まで、同じ珊瑚宮の演武者に敗れた。


 珊瑚宮の演武者はまるで荒波を越えるみたいに、相手の動きを読んでいく。

 刀のような武道具がひらめくたび、翡翠側の結晶は沈黙し、珊瑚側の結晶だけが淡く光った。


 勝負がつくたびに、後ろの席のおじいさんたちが感心するように低く声を漏らす。


 それ以外は、拍手も歓声も起きない。



「つぎ、若宮司さま」

 サヤパトリが小さな声で教えてくれた。


 後ろの席のおじいさんたちが、ありがたそうに低く何かを呟いている。

 前の席のおばあさんも、自分の首に掛けた翡翠の環を握りしめて何かを祈っている。



 正面の控えの間、その暗い空間から淡い光を放つようにエンジュが現れた。


 人々の背筋が、見えない糸で引かれたみたいに伸びる。


 壇上に上がったエンジュは、いつものように穏やかに微笑んでいた。


 でも、いつもの飄々とした空気は身に纏っていなかった。


 少しだけ知らない人みたい。


 エンジュが手にしていたのは、身長よりも長い一本の棒だった。


 飾り気はない。


 ただ、先端に小さな翡翠色の結晶がはめ込まれている。



 珊瑚宮の演武者がふみこんだ。


 大太刀が斜めに落ちる。


 速い。


 そう思った瞬間には、エンジュの棒がその軌道をさらりと外していた。


 受け止めた、というより、流した。


 水面を流れてくる葉を、向かうべき方向に見送るように。


 次の瞬間、棒の先が相手の背中に軽く触れた。


 翡翠の結晶が、静かに光る。


 審判は静かに手を挙げ、エンジュの勝利を告げる。


 珊瑚宮の二人目も、三人目も、同じだった。


 珊瑚宮の演武者は、みんな強い。

 それは私にもわかった。


 けれどエンジュは、その強さに正面からぶつからなかった。


 受け止めるのではなく、外す。

 押し返すのではなく、流す。


 相手の力が一番強くなる場所から、半歩だけ身をずらす。


 すると彼らは、自分の勢いのまま崩れていった。


 触れる。

 光る。

 終わる。


 エンジュは、誰ともぶつからないまま勝っていった。


 四人目の演武者もエンジュの緩やかな流れに飲み込まれていった。



 そして、五人目。


 静寂に包まれていた会場が、にわかに騒々しくなった。


 他の演武者は、壇上に上がる前に深く頭を下げていた。

 相手に、観客に、神域に。


 でも、その人は違った。


 階段をひとっ飛びに飛び越し、ひょいっと壇上に上がった。


 今までの珊瑚宮の人と比べて、ずいぶん小さな背中だった。


 その小さな背中が、ずかずかとエンジュの前まで歩いて行く。


 肩から流れる真紅のマントが、風を受けてぱたぱた鳴った。


 私は、その後ろ姿に違和感を抱いた。


「ねえ。あの人、手ぶらだよ?」


 私が言うと、サヤパトリが困ったように眉を寄せた。


「……ほんとね」


 審判らしき人が慌てて駆け寄った。


 何かを言っている。


「武道具がないと、判定がつかないから……」

 サヤパトリが囁いた。



 彼は面倒臭そうに肩をすくめた。


 両手を軽く広げたその動きは、


「素手じゃだめなわけ?」


 とでも、言いたげだった。



「なんだ、あの子供は!」


 観客席のどこかから、鋭い声が上がった。


「神聖な奉納試合をなんだと思っている!」

「礼も知らんのか!」


 観客席のざわめきが、怒りに傾いていく。


 でも、私の目は違うものに吸い寄せられていた。


 エンジュの顔。


 困ったように眉を下げて、呆れたように息を吐いて、それでも目だけは、わくわくが抑えられないみたいだった。


 審判に訴え続ける対戦者を見ながら、エンジュが片手で口元を覆った。


 ——笑うのを堪えている?

 なぜか私にはそう見えた。



 けっきょく、諦めたように彼は短剣を選んだ。


 おそらく素手の代わり。


 その人は短剣をくるりと指で回し、ようやくエンジュに向き直った。


 審判が手を上げ合図をした。


 その瞬間、その人が消えた。


 低く沈み、床を蹴り、エンジュの懐へ滑り込んでいた。


 エンジュの棒が下がり、短剣がそれを弾く。



 甲高い音がした。



 さっきまでの試合とは、音が違った。



 棒が弧を描く。


 短剣がその内側を抜ける。


 エンジュが半歩退く。


 その人は、退いた分だけ踏み込んでくる。



 受け流したはずなのに、距離が離れない。



 戦っているはずなのに、喧嘩には見えなかった。


 二人で、ひとつの奉納の舞を捧げているみたいだった。



 エンジュの穏やかな微笑みは完全に消えていた。


 けれど、苦しそうではなかった。


 焦ってもいなかった。


 笑っていないのに、心の底から楽しそうだった。



 エンジュは、相手から目を離さなかった。


 一瞬も。


 まばたきすら惜しいみたいに。


 その動きを、その呼吸を、その滅茶苦茶な軌道を、全部見逃したくないみたいに。


 それまでのエンジュは、相手の力を受け流していた。

 誰とも、正面から、ぶつからない。


 でもその人だけは、エンジュが受け流すことを許さなかった。


 エンジュが半歩外した先に、もういる。


 受け流したはずの力が、別の角度からまた真っ直ぐぶつかってくる。


 どれだけ穏やかに逸らしても、最後には必ず、エンジュの正面に立つ人だった。


 棒の下を潜り、横へ跳び、次の瞬間にはエンジュの肩に片足をかけていた。


「えっ」

 声が漏れる。


 その人は肩を踏み台にして宙へ舞い、空中で身体をひねった。


 短剣の結晶が、エンジュの背へ向かう。


 けれど、エンジュの棒も同じ瞬間に跳ね上がっていた。



 音は、ひとつだった。


 でも、光はふたつだった。



 翡翠の結晶が光る。

 珊瑚の結晶も光る。



 ふたつの色が、壇上の中央で同時に瞬いた。


「……引き分け?」


 自分の声が、言葉なのかため息なのかわからなかった。


 誰も答えなかった。


 さっきまで怒っていた観客も、

 祈っていたおばあさんも、

 勝敗がつくたびに唸っていたおじいさんたちも。


 会場全体が、沈黙していた。



 その静けさの中で、エンジュだけがゆっくりと息を吐いた。



 それから、笑った。



 いつもの、木漏れ日の中で揺れているような若宮司さまの笑みではなかった。



 懐かしくて、嬉しくて、少しだけ困っている。



 そんな笑顔だった。


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