第48話 アンリ、最善を尽くす
競技場の西と東に分かれて、六人ずつ選手が入る。
でも、一人ずつシャツの色が違う。
ハルジオン率いる西側は、琥珀のハルジオンの他、翡翠、シトリン、トパーズ、エメラルド、ペリドットの五人が。黄色と緑のチームだ。
対する東側は、ひときわ大きい赤い髪の男が率いている。おそらく珊瑚。
その他、瑠璃、ガーネット、カーネリアン、サファイア、アメジストの色のシャツを身につけている。赤と青のチーム。
十二色の眩しい光が会場を照らし、空中に立体映像のようなものが現れた。
選手たちの顔が順番に映し出され、名前を呼ぶアナウンスが入った。
会場はすでに熱くなっている。
反対側の席が揺れた。
立体映像に映る、赤い髪の大きな選手が、片手を上げただけだった。
それだけで、珊瑚色の歓声がどっと湧き上がる。
「あの人、大きいね」
「イサリダ家の第三王子、モナルダ。ロタラの弟よ」
背の高い麗人ロタラを思い出す。武門の姫君。
「珊瑚宮の実働部隊ではかなり名が通っているわ」
ロタラの弟。
言われてみれば、目元の強さが少し似ている。
だけど雰囲気はかなり違う。
ロタラがよく鍛えられた剣ならば、モナルダは熱を持った鉄の塊だ。
長身で、肩幅が広くて、赤い髪が炎みたいに揺れている。
あれは、民衆を惹きつけるだろうな。
遠くの観客席だからはっきりとは見えないけれど、向こう側の盛り上がりがすごい。
ハルジオンと人気を二分している感じがする。
いや、でもハルジオンの応援席側も負けていない。
鉢巻。
旗。
ペンライトみたいなもの。
そして、やたらと統率の取れた黄色い集団。
その中心に、見覚えのあるお嬢さんがいた。
ナナリエの発言を全て肯定し続ける肯定陛下こと、マトリカリア嬢。
ものすごく真剣な顔で、琥珀色のペンライトを握りしめている。
周りには彼女の取り巻きらしきお嬢さんたち。
ハルジオンの顔が立体映像に映った時の——これぞ正に、黄色い悲鳴。
「いやーーーーーー!!殿下ーーーーーー!!」
「……あれはすごいね」
王族の奉納試合に対する熱量がすご過ぎないか?
「お祭りだからね」
ナナリエは瓶を抱えたまま表情を崩さない。
笛のような音が鳴る。
球が上がる。
試合が始まった。
最初に打ち込んだのは、モナルダだった。
高い。
本当に高い。
あの身体であんなに跳ぶの?
振り抜かれた腕が、空中の球を叩きつける。
ばあん、と床が鳴った。
怖い。
バレーボールって、こんなに殺意のある競技だったっけ。
……いや、厳密にはおそらく違う競技。
球はハルジオン側の床ぎりぎりで跳ね、観客席がどっと沸いた。
向こう側の得点らしい。
モナルダは大きく拳を握り、味方の肩を叩いている。
熱い。
わかりやすく熱い。
あの人、味方の温度を上げるのが上手い。
一方、ハルジオンはほとんど表情を変えなかった。
悔しそうでもない。
焦ってもいない。
ただ、相手コートを見ている。
球ではなく、人を見ているように見えた。
「押されてない?」
思わず聞くと、ナナリエは落ち着いた顔で首を横に振った。
「最初の数本は見ると思うわ」
「見る?」
「ハルジオン殿下の口癖なの。常に盤面を読め、って」
盤面。
球技なのに?
いや、この人にとっては、球技も政治も同じなのかもしれない。
次の球も、モナルダ側が強かった。
サーブが速い。
こちらの選手が腕で受けるけれど、球が少し乱れる。
それを無理やり上げる。
ハルジオンが跳ぶ。
打つ、と思った。
でも打たない。
空中でほんの少し身体の向きを変え、横に流した。
別の選手が打つ。
相手が拾う。
また球が上がる。
今度はモナルダが来る。
会場の空気が一瞬で膨らんだ。
打つ。
低く、重く、速い。
こちらの選手が飛び込んで受けたけれど、球は大きく弾かれた。
また向こう側の得点。
反対側の観客席が赤い波みたいに揺れる。
モナルダの打つ球は、避けたくなる速さをしている。
それなのにハルジオンはまだ表情を変えない。
三本目、四本目。
点数は大きく開かないけれど、流れは向こうにあるように見えた。
モナルダが打てば沸く。
モナルダが叫べば、向こうの選手たちの足が軽くなる。
でも、その間ずっと、ハルジオンは小さく手を動かしていた。
指先だけ。
たぶん、合図。
味方の立ち位置が半歩ずつ変わる。
右の人が少し下がる。
中央の人が一歩前に出る。
後ろの人が、ほんの少し左に寄る。
何が変わったのか、私にはわからない。
でも、次の瞬間、わかった。
モナルダがまた跳んだ。
観客が沸く。
さっきと同じ、重い一撃。
だけど、球の落ちる先には、もう人がいた。
最初からそこに来るとわかっていたみたいに、ハルジオン側の選手が低く構えている。
腕に当たった球が、きれいに上がる。
ハルジオンがその下に入る。
今度こそ打つ。
そう思った瞬間、相手の二人がハルジオンの前に跳んだ。
壁みたいな腕。
その壁を見て、ハルジオンは打たなかった。
また、横へ流す。
誰もいないと思った場所に、味方が走り込んでいた。
軽く触れるような一撃。
球が、相手の空いた場所に落ちる。
一瞬、会場が静かになった。
それから、こちら側の観客席が爆発した。
後ろでマトリカリアが絶叫している。
今の、何?
すごい攻撃だった、というより。
相手がそこを空けるように、先に動かしていたみたいだった。
「……ハルジオン殿下、球を打ってない時間の方が怖くない?」
「そうね」
ナナリエが普通に頷いた。
「殿下は、そういう人よ」
そういう人。
なるほど。
ハルジオンは、球を見ているのではない。
人を見ている。
誰がどこに立って、誰が次に動いて、誰の足が半歩遅れるのか。
たぶん、それを全部見ている。
赤い髪のモナルダが、力で空気を揺らす人なら。
ハルジオンは、空気の流れそのものを書き換える人だった。
けれど、モナルダも読まれっぱなしではなかった。
次の攻撃。
ハルジオン側の守りが先回りする。
たぶん、ここに来る。
私にも少しだけわかった。
なのに、モナルダはそこへ打った。
真正面。
読まれている場所へ、真正面から。
三人が構える。
球が来る。
受ける。
でも、重すぎた。
腕に当たった球が、後ろへ弾かれる。
観客席が吠えた。
読まれても、押し切る。
そういう強さもあるのか。
モナルダは歯を見せて笑っていた。
ハルジオンも、ほんの少しだけ口元を上げる。
今、ちょっと楽しそうだった。
点を取られたのに。
楽しそうだった。
そこから試合は、まったく一方的ではなくなった。
取って、取られて。
拾って、上げて、打って、拾われる。
一つの球を、十二宮の代表たちが落とさない。
いや、敵味方に分かれているはずなのに、どこかで全員が同じものをつないでいるようにも見える。
これが奉納試合なのかもしれない。
勝つための試合で。
でも、ただ勝つためだけの試合ではない。
球が行き来するたびに、観客席の声が右へ左へ揺れる。
赤い歓声。
琥珀色の歓声。
青や紫や黄色や緑。
色の違う声が、会場の中で絡まって、ほどけて、また結ばれていく。
前結祭。
なるほど。
これも、“結び”なんだ。
終盤、長いラリーになった。
誰も落とさない。
落ちそうな球を拾う。
無理な姿勢で上げる。
打ち込む。
止める。
また拾う。
私の目では、もう球を追いきれない。
音だけが先に来る。
床を打つ音。
腕に当たる音。
靴が滑る音。
観客が息を呑む音。
その中で、ハルジオンだけが静かだった。
静かに見えた。
でも、たぶん頭の中では、ものすごい速さで何かが組み上がっている。
モナルダが跳ぶ。
ハルジオンも跳んだ。
真正面でぶつかる。
と思った。
違った。
ハルジオンは、ほんの少しだけ手の角度を変えた。
強打を止めるのではなく、殺す。
勢いを削られた球が、ふわりと上がる。
そこに、ハルジオン側の選手が滑り込む。
さらに上げる。
もう一人が跳ぶ。
相手の守りが中央に集まる。
当然だ。
そこに来ると思う。
私でもそう思う。
でも、ハルジオンは中央を見ていなかった。
視線だけが、端へ流れる。
相手の守りが、ほんの一瞬だけそちらへ揺れた。
その瞬間。
ハルジオンが跳んだ。
高い。
さっきまで、そんな高さで跳べるなんて一度も見せていなかった。
球が上がる。
端ではない。
中央でもない。
ハルジオンの、ほんの少し前。
振り抜かれた腕が、球を叩いた。
強い、というより、正確だった。
誰もいない場所に、最初からそこだけを選んでいたみたいに、球が落ちる。
床が鳴った。
一瞬の静寂。
それから、笛の音。
勝った。
たぶん、勝った。
琥珀側の観客席が大きく揺れた。
マトリカリアが立ち上がっている。
いや、立ち上がりすぎて隣の人に支えられている。
ペンライトの軌跡が、もはや残像になっていた。
反対側の観客席からも拍手が起こった。
モナルダは悔しそうに笑って、ハルジオンに拳を差し出した。
ハルジオンも、それに軽く拳を合わせる。
その様子が立体映像に映し出されている。
二人は何か短く言葉を交わしたようだった。
聞こえない。
でも、嫌な感じはしない。
真正面からぶつかった人たちの、気持ちのいい終わり方だった。
その直後。
ハルジオンの右手が、ほんの少しだけ上がった。
目立つ動きではない。
観客に向けた挨拶にしては、位置が低い。
でも、彼の視線がこちらを向いている。
いや。
こちらというか。
私を見ている。
口が動いた。
音は聞こえない。
でも、たぶん。
これは。
——合図!?
「ナナリエ」
「え?」
「たぶん、今」
「今?」
「その、瓶」
ナナリエは一瞬だけ迷って、
——投げた。
迷いのない動作だった。
しなやかに腕が振られ、小さな瓶が空を切る。
豪速球。
思っていたより、ずっと速い。
ナナリエ……野手かな?
観客のざわめきが、一瞬だけ止まる。
視線が、空中の一点に集まる。
——そこに。
ハルジオンの手が、あった。
吸い込まれるように、瓶が収まる。
完璧なキャッチ。
まるで最初から、そこに来るとわかっていたみたいに。
歓声が、遅れて爆発した。
何事もなかったかのように、ハルジオンは蓋を開ける。
一口。
飲む。
喉がわずかに動くところも、立体映像はばっちり捉えていた。
ほんの一瞬だけ、彼の視線がナナリエに向いた。
それから何事もなかったかのように、空になった瓶を掲げる。
え?ナナリエが差し入れをしたみたいになってる?
——その瞬間。
「王女殿下が王子殿下に何か差し入れをしたぞ!」
「なんだあれは!?見たことがないぞ!」
不自然なほど大きな声が、別方向から響いた。
反射的にそちらを見る。
揃いも揃って、妙に整った髪型の男たちが、わざとらしく騒いでいる。
……なに、あれ。
その隣で。
ひとりの女性が、すっと立ち上がった。
あ。
——あれは。
勝利を確信してます、と顔に書いてある。
シトリン官業銀行本店、融資担当。
クリサンテ、その人だった。
一歩、前に出る。
息を吸う。
そして。
「あれは!ペリドットの新進気鋭プリムラパーラーの新商品!星蜜柑フィジー!」
すかさず、周囲の男たちが続く。
「運動後の電解質を効率的に補給する!」
「爽やかでほんのり甘い!」
「初恋の味!」
よく通る声が、競技場いっぱいに響き渡る。
一瞬の静寂。
そして。
「なにぃ!?王都で先行発売だとぉ!?」
先ほどの男たちが、完璧な間で叫ぶ。
ざわめきが、波のように広がっていく。
え……?これはどう見ても……新商品の宣伝。
クリサンテは、そのままハルジオンの方へ向き直り、深々とお辞儀をした。
ハルジオンは、ほんのわずかに頷く。
え?
ハルジオンの執務室での密談を思い出す。
『ふふっ、たしかに王女殿下には荷が重いですわね』
あの意味がわかる。
普通、差し入れといえば、可愛く駆け寄って手渡すやつだ。
でも、ナナリエにそれを求めるのは難しい。
だから、この遠投を——。
『そういうことだ』
ハルジオンの言葉も蘇る。
ああ——。こういうことか。
気づけば、空気が変わっていた。
「ナナリエ様ぁああああ!!」
「王女殿下ぁああああ!!」
歓声の中心が、こちらに移ってくる。
ナナリエが、きょとんとした顔で周囲を見た。
会場の立体映像が目に入る。
どうしよう。ナナリエがアップになっている。
ハルジオンが、こっちを見ている。
今度は、はっきりと。
視線が、刺さる。
『自分で判断しろ。お前が見たものを信じて、最善を尽くせ』
あ、これ……業務命令だ。
「ナナリエ、立って」
「なんで?」
「いや……」
言葉に詰まる。
どうしよう、理由がないと動かない子だった。
「ナナリエが立つと、会場が盛り上がるよ!」
「え?盛り上がる……?」
少しだけ、目が輝いた。
あ、ちょっとワクワクしてる。
「そう、再現性、高いよ!」
「再現性……?」
首を傾げながらも、ナナリエは立ち上がった。
——瞬間。
歓声が、跳ね上がる。
「おおおおおおお!!」
「王女殿下ぁああああ!!」
ほらね。
「お辞儀して、ハルジオン殿下に微笑んで?」
「え?お辞儀はいいけど、理由もなく笑えないわ」
ですよね。知ってた。
「とりあえずお辞儀」
ナナリエは素直に、深く頭を下げる。
ゆっくりと、顔を上げる——その瞬間。
「ナナリエが作ってくれた私の環、ハルジオンが“よくできてる”って感心してたよ!」
一息で言い切る。
ナナリエの目が、わずかに見開かれる。
そして。
ハルジオンを見る。
ほんの少しだけ、照れたように。
はにかむように、笑った。
その顔が立体映像にばっちり捉えられていた。
……ああ、過去一番かわいいよ、ナナリエ。
いや、違う。これ業務。
慌てて上司の顔色を伺う。
一瞬ハルジオンの手元から瓶が滑り落ちそうになり、慌てて握りしめるのが見えた。
口元を隠しつつも、ナナリエから目が離せていない。
——あれは。
照れてる?
自分で盤面を整えておきながら、被弾している?
次の瞬間、競技場が爆発した。
「殿下ぁああああああ!!」
背後で、何かが崩れる音がした。
「いやー!王子殿下!王女殿下!尊いー!」
マトリカリアが、絶叫しながら倒れていた。
取り巻きたちが慌てて支えている。
気絶した……。
そのさらに向こうでガッツポーズするクリサンテも見えた。
顔に、完全勝利と書いてある。
彼女のきりりとした視線が私に向いて、戦友を見るような笑みを向けられる。
最善を尽くした。
万事上手くいったはず。
だけど……。
なんだこれ……?
熱気に包まれた競技場。
歓声の渦。
ロイヤルバカップルによる、新商品の広告。
私は今、いったい何の業務を遂行したんだ?




