第47話 むすんで、ほどいて、御前試合
春の祭りの本番は、結環の儀という祭礼らしい。
だけど、その前日から王都には各地の人が集まり、いくつかの行事が始まる。
「結環の儀を滞りなく迎えるために、前日からいくつかの“結び”を行うの」
祭りの前日の朝、ようやくナナリエに再会した。
いちおうナナリエの実家の別邸に泊まらせてもらっていたんだけど、ナナリエは多忙を極めていて、ほとんど不在か、部屋に閉じこもっていた。
唯一同席できた食事中も、ナナリエの身の回りの世話をする双子の姉妹、ミオマルクとネモローサが綿密な行動日程を説明したり、衣装のサイズ調整を続けたりしていて、会話する隙もなかった。
「今日は前結祭というのよ」
ふーん。前夜祭みたいな感じ?朝からだけど。
ナナリエは一晩寝たらしく、すっきりした顔をしている。
昨日まであれだけ働いていたのに。恐ろしい体力だ。
「ひとまず午前の公務は観覧だけよ」
「観覧?」
「奉納試合の観覧よ」
なんだろ。御前試合とか天覧試合みたいなことかな?
……午前にやる御前試合。だめだ、くだらないことが勝手に浮かんでしまう。
「ひとまず、カレイド宮殿の西側の広場に行くわ」
西側か。反対側だな。
頭上近くから赤い太陽が、背中の方から白い太陽が照らしている。
朝というには光が強く、昼というにはまだ少し空気が冷たい。
その二つの光を浴びながら、私たちは王都の白い石畳を円周に沿って歩いた。
通りには昨日までに設営された出店が立ち並び、すでに買い物客の姿が見えた。
なんのお店か気になって気になって仕方なかったけれど、ナナリエが一緒だ。
いつもの早歩きでずんずん進んでいく。
しばらく進んだ先で、小さいが、とても長い行列に追いついた。
色とりどりの衣装でおめかしした幼い子どもたちだった。
「結び環りの行列ね」
この国は老若男女みな髪が長い。子どもたちも色とりどりの美しい髪をしている。
子どもたちは長い髪を頭上で結われ、煌びやかな簪を挿していた。
小さな手には組紐のようなものが握られ、先端にはそれぞれの宮を表す小さな鉱石飾りが結ばれている。
角は丸く磨かれていて、光を受けるたびにきらきら揺れた。
「むすんでー」
子どもたちは、小さな手首で紐をくるくるっと回す。
先端の鉱石飾りが軌道を描き、隣の子どもの紐とうまい具合に絡まる。
「ほどいてー」
また声をかけながら、反対向きに回った鉱石飾りが、絡まった紐をほどく。
一生懸命な顔。たまに絡まり損ねたり、ほどけなくて立ち止まったりしている。
結んで、ほどいて、また結んで。
それを繰り返しながら、行列はゆっくりと街の中を進んでいった。
「王都北側の翡翠の外宮から出発して、王都を一周するのよ」
「外宮?」
「北の山にある翡翠神殿とは別に、王都にも祭礼のための祈りの場があるの」
なるほど。
ちらりと上を見上げる。
文字盤のない時計塔が目に入った。
一番上の翡翠の石。そこから時計回りに行進するんだ。
一周するのは、子どもにはけっこう長い距離かも。
それに普段着よりも布が多い衣装で歩くのは大変そう。
一番幼い子なんかは布団を被ってるみたいで、きちんと歩こうとしているのにふらついている。
……これは……かわいい。かわいいが過ぎる。
ゆっくり進む行列を、私たちは横から追い越しながら、子どもたちを見守っていた。
「あ!」
列の真ん中あたりを歩いていた小さな子があどけない声を上げた。
振り回した紐が、自分の服に絡まってしまったらしい。
力任せに引っ張って、余計に絡まる。
そのとき、一番前の列を歩いていた男の子が振り返った。
「大丈夫。ちょっと強く結ばれちゃっただけだよ」
すぐに駆け寄り、行列の子どもたちに声をかける。
「いったん休憩です。みんな、ちゃんとお水を飲んでね」
この子どもたちを率いている子のようだ。
小さな子に優しく声をかけながら、服に絡まった紐をほどいてあげている。
あれ、この男の子は……。
「ナギ、しっかり務めているわね」
ナナリエが声をかけると、男の子はぱっと顔を輝かせた。
「ナナリエ様!」
ナギ。そういう名前だったんだ。
この前、翡翠宮に向かうとき、神殿まで道案内してくれた男の子だ。
ナギは胸を張って、手にした紐を掲げた。
「エンジュ様が、神様たちをお迎えするために、街をきれいに結び直してきてねって仰ったんです!」
「わあ!おひめさまだ!」
ナギの周りの小さな子たちも、自分たちの紐をナナリエに見せた。
「かたむすびのところを、ほどいて、むすぶんだよ!」
「固結び?」
私も一緒に紐を見せてもらった。
「あと、街のほつれちゃってるところも!」
「街のほつれたところ?」
紐は何色もの細い糸が幾重にも絡まり合い、新しい色を作っていた。
「うん。怒ってるところとか、忙しすぎるところとか」
「ちょっと汚れてるところとか」
子どもたちは得意げに紐を持ち上げた。
「そこを、ほどいて、むすんで、きれいにしてきてねって」
「エンジュさまが言ってたんだ」
屈託のない笑顔たちが眩しい。
私の心も浄化されそう。
「エンジュ様がご指導くださったので、みんながんばってるんです!」
ナギが小さい子たちの頭を撫でながらにっこり笑った。
「そうね。あなたたちが歩けば、全てが美しくなるわ」
ナナリエも愛おしそうに微笑み返した。
「はい!それでは行ってきます!」
「いってきまーす!」
ナギの後を追って他の子どもたちも元気に歩き始めた。
「いってらっしゃい」
なんて、生命力の塊なんだ。子どもたちは。
沿道の大人たちも、足を止めて行列を見送っていた。
子どもたちの姿を見ては顔を綻ばせる。
祭りの準備で忙しそうな人も、しばしその手を止める。
ふと沿道のお年寄りたちの会話が耳に入ってきた。
「子どもたちはいつも尊いねえ」
「今年は若宮司さまが直々にお言葉をくださったそうよ」
「それはそれは。あの子たち、誇らしいでしょうなあ」
別の人が、遠ざかる行列の先を眩しそうに見つめる。
「若宮司さまのお姿は、明日まで拝めないかしら」
「そう簡単に人前へお出になる方ではないもの」
子どもたちも、お年寄りも、ずいぶんとエンジュをありがたがっているなあ。
「エンジュ、人気者なんだね」
「若宮司はめったに姿を現さないわ」
ナナリエが少しつまらなそうに言った。
「もったいつけてるのよ、いつも」
その言い方が、あまりにも友達に文句を言うみたいだった。
ナナリエはエンジュにだけ、やたら手厳しい。
でも、考えてみれば、ナナリエの距離感の方が特殊なのかもしれない。
子どもたちはしきりに、エンジュ様、と言っていた。
まるで本当に神様のおつかいを任されたみたいに、誇らしげに。
街の人たちも、エンジュの名前を聞くと、少しだけ表情を改める。
私が知っているエンジュは、にこにこしていて、お茶を飲みながらよくわからないことを言って、ナナリエに怒られている人だ。
でも、この国の人たちにとっては、きっとそれだけじゃない。
簡単に会える人じゃない。
簡単に近づける人じゃない。
それなら、あの森の中でお茶を飲んでいた時間は、私が思っていたよりずっと特別だったのかもしれない。
「ああ。でも今はエメラルド宮殿で最後の計算の途中かも」
ナナリエが空を見上げながら言った。
「え?エンジュが計算って似合わないね」
物事を数値に置き換えて測るような人じゃないと思う。
「太陽の角度よ。二つの太陽が南中の時刻を挟んで均衡する瞬間に、結環の儀は完成するわ」
二つの太陽が、昼の真ん中を挟む時間。それがこの星の正午に当たるのだろうか。
「明日はちょうど昼と夜の時間が同じになるの」
この星の、春分の日ってことか。
私は太陽の位置を確認した。
先に昇るのは、少し赤い太陽。子どもが絵に描く時の、あの色をしている。
後から昇るのは、白い太陽。私がよく知っている昼の色に近い。
この二つの太陽とともに、この国の人たちは生活しているんだな。
ふと、振り返る。
子どもたちの行列がずいぶん後ろに見える。
十二色の衣装が、光の中でひらひら揺れて、街の中を泳ぐ熱帯魚の群れみたいだった。
「あそこが会場の入り口のようね」
歩きながらナナリエが前方に視線を送った。
見ると、特設の賑やかな門が建てられていて、人々が次々に入っていっている。
「もう開場しているわね。急ぎましょう。お兄様が——」
ナナリエは言いかけて、特設の門と、その向こうに集まる人々を見た。
ほんの少しだけ、背筋が伸びる。
「……ハルジオン殿下が待っているわ」
呼び方が変わった。
どうやら、ここから先は公務らしい。
「え?ハルジオン殿下も一緒に観覧するの?」
二人でまったりできると思ったのに。
「違うわ。ハルジオン殿下は試合に出るのよ」
「え?」
王子が試合に出る国なのか。
「殿下は球技が得意なの」
ああ、なんか、テニスとか得意そうな顔をしてはいるが。
「カレンダエの伝統的な球技よ」
伝統的な球技……?
あー、それなら、
蹴鞠かな?
「お待ちしておりました。王女殿下、お付きの魔女様」
入り口でナナリエが声をかけると、一般入場口とは別の通路を案内された。
さすが王族。優先搭乗口じゃん。
「それと、こちらを」
「ええ。聞いているわ」
ナナリエは案内の人から謎の瓶を手渡され、大事そうに抱えた。
「なにそれ」
「さあ」
軽く首を傾げながら呟く。
「合図があったら、これをお兄様に投げるの。よくわからないけど」
なにそれ。
絶対、ろくなことじゃないでしょ。
けっきょくお兄様呼びに戻ってるし。
ナナリエは瓶をたいそう大事そうに抱え、
私は嫌な予感を抱え、
観覧席へ進むと、最前列だった。
てっきり一番高い位置の特別席を用意されていると思ったら。
普通に一般の人たちの間の、最前列。
それでも競技スペースからは数段高い位置に観客席はある。
競技を上から見下ろせる位置だ。
私たちが腰を下ろした時、すでに試合前のウォーミングアップが始まっていた。
一人が、球を片手に持ってコートの端に立つ。軽く上へ放る。
直後、乾いた音が響いた。
打ち出された球が、反対側の奥まで一直線に飛ぶ。
それを低く構えた男が腕で受ける。
球が高く上がる。
別の男が、両手でそれをさらに押し上げる。
そして、長身の男が跳んだ。
高い。びっくりするくらい高い。
振り抜かれた腕が、空中の球を叩き落とす。
ばあん、と床が鳴った。
私は、ゆっくり瞬きをした。
六人。ネットみたいな仕切り。
サーブっぽい何か。
レシーブっぽい何か。
トスっぽい何か。
そして、アタック。
これは……
「バリボー!?」




