表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星粒のリテラエ ——暫定魔女が記録する、理系王女と最適解王子のたったひとつの“誤差”  作者: はなちゃん
第四章 結びと環りの国 〜私は、この世界を好きになる〜
PR
43/68

第43話 遊びを入れな ——お風呂にも行くよ!


「ばあちゃん、背中流してあげるよ」


「待って、ここは私が」

 ナナリエが私からタオルを毟り取った。


「ちょっとナナリエ、力が強すぎ……」


「そう?こんな感じかしら……」

 余計に力が入る。


「痛いんだよ!あんたら、アタシをおもちゃにしてるんじゃないだろうね!?」

 カズラばあちゃん銭湯に響き渡る声で怒鳴った。


「すみません、師匠」


「師匠なんて呼ぶんじゃないよ。あんたら客だろ!」

「えー?でも、客に商品作らせる店なんて聞いたことないよ」

「ああ言えばこう言うやつらだね!」


「言ったのはアンリです」

「えっ、私だけ切り捨てるの?」


 私たちは環の工房を出た後、夕食をとりに近くの定食屋に入ったのだが……。


 そこで出たぎゅうぎゅうに中身の詰まった生春巻きみたいな食べ物を、

 ナナリエはじっと見つめて、

「やっぱりあの結晶配列では出力効率が——」

 などと、ぶつぶつ呟いていて食事が進まなかった。


 落ち込んでる様子は全くない。その目は力強く輝いている。


 あー、これ、また徹夜するパターンだな。


「ナナリエ、ごはん食べなよ」

「でも問題なのは熱伝導率の方か——」


 こりゃ、聞いてないな。


「ナナリエ!」


 私は机とナナリエの間に顔を割り込ませた。


「アンリ、どうしたの?」

「食べたら、お風呂に行くよ!」


「……お風呂?」



 この星のお風呂は全自動人間洗濯乾燥機だけなのかと思っていた。


 琥珀宮も王都も翡翠宮も、どこもそうだったから。


 だけど海に面して湿度の高い南部地域では湯船に浸かる習慣が残っているらしい。




「足を伸ばしてお湯に浸かれるなんて最高〜」

「スープになったみたいね」


 ほどよい湯加減。「この子」の身体はちょっとびっくりしてたけど。


 ナナリエも初めての湯船に興味深そうにしている。



 私たちが近くの銭湯に到着した時、ちょうどカズラばあちゃんも来たところだった。

 お風呂に入る前に、銭湯の二階で健康体操をするのが彼女の習慣らしい。


「こんなことなら、先に入っとくんだったよ」


 うんざりした顔をしわしわの手で撫でる。


「ええ?一緒の方が楽しいじゃん」

「たのしかないよ」


「それで師匠。さきほどの——」


「だめだめ、ナナリエ。お風呂は、ぼーっとするためにあるんだよ」


 ナナリエは顎の下までお湯に浸かりながら、私を見つめた。


「それってどうやるの?」


「え?ぼーっとするだけだよ?」


 この子は何を言ってるんだ?


「……難易度高いわね」

「高くないでしょ」


「思考停止状態を維持しろということでしょう。まるで精神修行だわ」


 これ、理屈じゃ届かないやつだ。


「ほーら、こうするんだよ」


 そう言いながら、私は浴槽の縁を手で掴んで身体を浮かせた。


「……こう?」


 ナナリエも素直に真似をする。


 そのままバタ足を……。


「これ!行儀の悪い!」


 すぐにカズラばあちゃんのお叱りが飛ぶ。


 これぞ、予定調和。


「ね?こうなる」

 私はカズラばあちゃんを指さして笑った。


「これ、けっこう再現性高いよ」


 ナナリエがそうか……と納得しかける。


「まったく、アタシをダシに使うんじゃないよ」


「え〜。いい出汁取れそうじゃん」

 ばあちゃんの細い肩に、お湯を掛けてみる。


「干からびてるって言いたいのかい!」


「いえ、経験の深さが、味に滲み出ています!」

 真剣な顔でナナリエが喰らいつく。


「あんたも真面目に受け取るんじゃないよ!」

 ばあちゃんは呆れた顔で浴槽の縁に背中を預けた。


「でも、まあ」


 湯気の向こうで少しだけ緩んだ顔が見える。


「若いうちは、たくさん喋りな」


 ばあちゃんが移動した時の小さな波が私たちに届いて、ちゃぷっと鳴った。


「アタシにも、いたけどさ。そういうやつら」


 めんどくさそうな声。


「ばばあになるとね、だんだんそいつら、循環に還っていっちまうんだ」


 速度が落ちる。


「一緒に行った場所とか、一緒に使ったものを通して、


 過ごした記憶を読み取ることはできる」


 ばあちゃんは後頭部で束ねられた髪をそっと撫でた。

 

 そっか。この星の人たちはそれができるんだ。


 

 でも、


「でも、新しく結び直すことはできない」


 その表情は湯気に隠れて見えない。



「循環に還ったものはまた結び直されます」


 ナナリエが湯船の中で座り直した。


「それは新しい誰かと誰かとして出会うかもしれないし、

 全く新しいものを一緒に構成する一部になるかもしれない」


 また小さな波が起きる。


「なんだい。あんた、神殿の偉いやつみたいじゃないか」


 ばあちゃんが大袈裟に笑った。


 だけど、虹色の瞳は真っ直ぐ湯気の向こうを見据える。


「私は信仰の話をしていません。物質の話をしています」


 お湯が、また、ちゃぷんと一回音を立てた。


 後ろの方で、浴室の扉がカラカラと開けられる音も聞こえた。


 湯気が少しだけ晴れる。


「ああ、あんたとアタシも、昔は同じ石だったかもしれないねえ」


 ばあちゃんがニヤリと笑うのが見えた。


「鉄も、珪素も、炭素も——どれも、鉱石や人間に共通する大切な物質です」


 天井で冷やされた水滴がぴちょんと落ちる。


 カズラばあちゃんの表情が少しだけ変わる。


「そうだね、どれも——」


 大切だ。とは言わなかった。ただ愛おしそうに目を細めるだけ。


 その代わり軽く鼻で笑った。


「長湯し過ぎた。心までのぼせちまったよ」


「心もまた、物質と物質の電気信号です」


 いつもの、ナナリエの情緒のカケラもない言葉。



 ——だけど、



「違いないね」


 ナナリエの言葉は、カズラばあちゃんにちゃんと届いた。


 もし届く相手が違ったら、それはひどく残酷な言葉になっただろう。


 でも、ちゃんと、届くべきところに届いた。


「今日は早く寝るんだよ」


 ばあちゃんはそれだけ言って、お風呂を上がった。


 ナナリエも師匠の言うことを素直に聞いて、その夜はいつもより早く眠った。


 身体の血行がよくなったおかげかもしれない。




 また新しい一日が始まり、私たちは昨日の染め物を受け取りに向かった。


 きっとナナリエは昨日の環の製作の続きが気になっているはずだ。


 だけど、自分の手で染めたものの結果も気になっていたみたい。


「設計通りに染まっているかしら」

「楽しみだねー」


 染め物工房に入ると、ちょうどニゲラが布を広げていた。


 その布を見て、ナナリエが呟く。


「蝋にヒビが入っている」


「乾燥の途中で少し割れたんです」

 ニゲラは申し訳なさそうに微笑んだ。


 白く残るはずだった結晶模様の一部に、細い青の筋が入り込んでいる。


 群青と黄色の境界を裂くように走るその線は、まるで結晶の内部に入った亀裂みたいだった。


「本来なら失敗です」

 そう言いながらも、その声はどこか穏やかだった。


 ナナリエは布をじっと見つめる。


 昨日のナナリエなら、たぶん“誤差”として切り捨てていた。


「……でも、破綻していないわ」

 

 ナナリエの虹色の瞳がゆっくり揺れる。


「蝋を落としたら、どうなるかしら?」


 ニゲラは頷き、大きな鍋の蓋を持ち上げた。


 ふわり、と熱い湯気が広がる。


 鍋の中では、白い布が静かに揺れていた。


 表面には溶けた蝋が薄く浮かび、光を受けて虹色に滲んでいる。


 ニゲラは長い木の棒で布をそっと持ち上げた。


 熱湯を抜けた布から、雫がぽたぽた落ちる。


 さっきまで覆っていた蝋はもうなくて、代わりに閉じ込められていた色が姿を現していた。


「これが完成形です」


 最初に広げられたのは、ナナリエの布だった。


 群青を基調にした幾何学模様。


 ひび割れた蝋から入り込んだ青い線。


 完全じゃない。


 だけど、その不規則な線があることで、結晶はむしろ本物みたいに見えた。


「制御し切らない揺らぎが、かえって立体感を作っている」


 ニゲラは少しだけ目を細めた。


「職人は、それを“遊び”って呼びます」


 その言葉に、ナナリエの瞳がゆっくり見開かれる。


 次に広げられたのは、私の布。


「うわあ……」


 赤も黄色も青も紫も、好き勝手に置いた色が、水の中で混ざり合ったみたいに滲んでいる。


 だけど不思議と喧嘩していなかった。


 黒い染料が全体を包み込んで、夜空の中に花火を閉じ込めたみたい。


 染まらなかった白が、奥行きを約束していた。


「情報過多で騒がしい感じ」

 ナナリエがくすっと笑う。


「またそれ?」

 でも、ちょっと嬉しい。


 ニゲラは二枚の布を並べて眺めた。


「同じ工程でも、まったく違うものになります」


 ナナリエは濡れた布から目を離さない。


「そうね。だからこそ……」


 少しだけ口元が緩む。


「面白い、ということね」


 面白い。


 人の手では決まらない余白があるから。


「ニゲラはどうして染め物を始めたの?」


 私は彼女の奥行きが気になった。


「父も母も、はっきりした境界線で人を守る仕事をしていました」


 ああ、ご両親はサファイア宮で司法関係の仕事をしているんだっけ。


「だから反動かもしれませんね」


 深く青い瞳が、熱く揺れた。


「私は、境界が滲むものに惹かれたんです」


 短い言葉の、その余白に彼女のこれまでが見えた気がした。


 ニゲラが布を丁寧に広げ直した。


「乾くまで少しかかりますので、お預かりしておきますね」


 ナナリエは名残惜しそうに、その結晶模様を見つめている。


「行こう、ナナリエ」


「……ええ」

 返事はしたけれど、


 視線だけがまだ布の上に残っていた。


 工房を出たあとも、


 ナナリエはしばらく黙ったままだった。


「環のこと考えてる?」


「ええ。でも——」


 少しだけ間を置く。


「蝋の割れ方についても考えているわ」


「すっかり魅了されちゃったね」


 私がニヤリと笑うと、ナナリエも笑い返す。




 南の街の湿った風が頬に触れた。


 どこかで魚を焼く匂いがする。


 通りの向こうでは、染め上がった布が何枚も風に揺れていた。


 ひび割れた蝋から入り込んだ青い線。


 あれを“失敗”と言い切れなかったナナリエ。


「……再現性が低いのに、成立しているなんて」


 隣でまだ考えている。


「ほんと、好きだねえ」


「理解できない現象は興味深いもの」


 迷いなく返ってくる。


 少し前までなら、


 “予定外の現象”として片付けていたはずなのに。


 でも今のナナリエは、


 誤差そのものを観察している。


 しばらく歩くと、


 頑固そうな店構えの味のある工房が見えてきた。




「——来たね」


 カズラばあちゃんは待ち構えていたかのように店先に立っていた。


 作業台の上には、昨日のままの環が置かれていた。


 十二粒のオパールは沈黙したまま、朝の光だけを反射している。


 ナナリエはしばらく何も言わず、それを見つめていた。



「計算上、熱暴走対策は有効なはず……」


「違うね」


 カズラばあちゃんが煎餅を齧る。


 皺の多い瞼がわずかに開いて、瞳が熱を帯びた。


「遊びを入れな」


 その言葉に、


 ナナリエの虹色の瞳がわずかに揺れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ