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星粒のリテラエ ——暫定魔女が記録する、理系王女と最適解王子のたったひとつの“誤差”  作者: はなちゃん
第四章 結びと環りの国 〜私は、この世界を好きになる〜
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第40話 それは熟練の耳と目で動き出す

 

 天井から吊るされたその巨体は、


 海中に留まる、巨大な魚の骨のようだった。



 大型の工作機械が魚の背骨に別の骨を運ぶ。



 その継ぎ目を作業員が溶接する。


 工作機械を黙々と動かす人。

 次の継ぎ目へ向けて骨組みの上を身軽に飛び回る人。

 離れた場所から笛で合図を送る人。

 誰かが動けば、別の誰かがそれに応える。



 工場全体が、一匹の巨大な生き物みたいに脈動していた。



「老朽化した六号機から抽出した金属を、新型の車体用に精錬し直したものです」


 あんぱんみたいにつやつやした頬のおじさんが教えてくれた。


 私たちは磁気浮遊する列車の製造工場の視察に来ている。


 ナナリエの公務であって、私はただの社会科見学だが。……たぶん。


「再利用、ということね。熱疲労による組織の劣化や、不純物の混入は無視できないはずだけど。強度は確保できているの?」


 私はあまり難しい質問ができないので、二人の話に耳を澄ませている。


 が、工場内は金属音や火花の散る音で満ちていて、真剣に聞き取らないと逃してしまいそうだ。


「高炉で溶かし、不純物は一滴残らず取り除きました。

 地金から打ち直すことで、結晶構造の歪みも払拭されています。

 磁気伝導率も新品の地金と同等、今のこの子の方がずっと強情ですよ」


「よろしい」

 ナナリエが大きく頷く。重要なポイントをひとつ確かめたみたいに。



 ふと、一人のおじいさんが目に入る。


 猫背でぼーっと立っている人。


 たまに誰かに呼ばれてふらふらっと近寄って行っては何か話してさっていく。


 何してるんだろう?


 おじいさんに気を取られていたとき——


 しゅわっと大きな音がして白い蒸気が立ち上がった。


 思わず私は身体を縮こまらせる。


 見ると、車体の前方のカーブで、炎と水が交互に放たれていた。


 ごう、と低い音を立てながら炎が鉄板を舐める。次の瞬間、しゃっと冷却水が吹きつけられる。


 赤熱した鉄へ水が吹きつけられるたび、白い蒸気が音を立てて噴き上がる。


「あれは何をしているんですか?」


 ナナリエと比べると、ずいぶんざっくりした質問をしてしまった。


「いい質問です」


 案内のおじさんはニコニコ笑顔で私の雑な質問を拾ってくれた。


「この車両の滑らかな曲線を生み出すための、最も繊細で重要な工程です」


 そう言って、蒸気の向こうで立ち働く職人の背中を指す。


「地磁気を拾って浮上するため、車体には極めて精密な曲面が必要なんです。

 ですが、この複雑なカーブは機械だけでは仕上げきれません。

 無理に圧力をかければ、金属に微細な歪みが残ってしまいますから」


 もう一度、鋭い蒸発音が響く。


 職人はバーナーの炎で鉄板に熱の道筋を描き、その直後に水を走らせていた。


 私の隣でナナリエが小さく頷く。


「炎で熱せられた金属は膨張し、水で急冷されることで収縮する。その『引きつれ』を利用して、分厚い板を極微の領域で反らせていくのよ」


「さすが王女殿下。どこをどれだけの温度で焼き、どのタイミングで冷やすか……。それは設計図には収まらない、職人の目と耳、そして指先に蓄積された経験だけが成し得る技なのです」


 おじさんは少し誇らしげに目を細めた。



 ジュッ、という蒸発音の裏で、キィンと硬く高い音が響く。


 金属が縮もうとする、その悲鳴みたいな音を、あの人たちは聞き分けている。


 どこを焼き、どこを冷やし、次にどこへ触れるべきか。


 まるで金属と会話しているみたいだった。


 熱と水の魔法使い。

 ……いや、職人って、そういうものなのかもしれない。どこの世界でも。


「いやあ、今日はお弟子さんが一緒で王女殿下も表情明るいですね!」


 あんぱんおじさんがニッコニコで言った。

 普段はもっと殺伐とした視察なのだろうか。


「弟子じゃないわ。この子は…………暫定的に魔女よ」


 弟子でも客人でも魔女でもいいから、そろそろ暫定は外して欲しい。


「そういうことにしておきましょう。ささ、次の工程へ」

 おじさんの案内で工場内を進む。


 猫背のおじいさんがチラリとこちらを見た。


 ナナリエが軽く会釈する。おじいさんも軽く頷いた。


 骨組みの接合部では、火花を散らす溶接の隣で、別の職人たちが無数の鋲を打ち込んでいた。

 機械だけでは吸収しきれない誤差を、最後は人の手が削り取っていくらしい。


 ナナリエはいくつか短い質問をして、おじさんが楽しそうに答えていた。


「次は結晶配置の工程をご覧いただきます」


 今までの大空間の工場から一変、二重扉で仕切られた小さな部屋へ案内された。


 工場の奥は、さっきまでの鉄と火の世界とは少し違っていた。


 大型機械の音も消える。


 その代わりに——


「アンタんとこの息子、銀行に就職したらしいじゃないか」

「ええ?アンタ、よく許したねえ」

「仕方ないじゃないか。勝手に決めてきちゃゃうんだから」

「ここからシトリン宮は1日かかるよ。滅多に帰って来ないんじゃないの?」

「やめておくれよ!支店配属がこっちになるかもしれないだろ?」


 めちゃめちゃ喋るおばちゃんたちの声が空間を支配した。


 十人ほどのおばちゃんたちは、喋りながらも、その手は異常に早く動いている。


「えっ」


 思わず足を止めた。


 机の上に並ぶのは、銀色の細い板と、小さな結晶片。

 青や橙の光を閉じ込めた鉱物を、おばちゃんたちは細い器具で次々と掴み、金属板の溝へ嵌め込んでいく。


 かち、

 かち、

 かち、

 と小さな音が続く。


 速い。


 しかも誰ひとり手元を見ていない。


「この人たち、ずっと喋ってるね?」

「喋ってるわね」

 ナナリエは平然としていた。


 そのときだった。


 ひとりのおばちゃんが、ぴたりと手を止めた。


「……ん?」


 周囲も一瞬だけ黙る。


 全員が耳を澄ませていた。


 低い振動音。

 机の奥で淡く光る細い線。

 嵌め込まれた結晶が、ごく微かに震えている。


「今ちょっとズレたね」

「右三番」

「んー、熱持ってる」


 さっきまで雑談していたとは思えない声色だった。


 ひとりが工具を差し込み、結晶片をほんのわずかに押し込む。


 ——ちり、と高い音が鳴った。


「あ、戻った」

「今日は乾燥してるからねぇ」


 次の瞬間には、また元の調子で喋り始める。


「それで? アンタんとこのジジイは退院したのかい?」

「あれはもう無理よ」


 手だけは止まらない。



 以前にも、こういう人たちの中に入ったことある。


 夏休みに養鰻場でアルバイトした時、そこのおばちゃんたちも口も手も高速回転だった。


 喋りながら、鰻の頭に串を差し、息つく間もなくシャッと身を割く。


 捌いたものを横に置きながら、次の鰻をもう掴んでいる。


 私は取り逃した鰻を追いかけて這いつくばっていたのに。


 長年の経験で身体が全自動で動いてるやつだ。



 もう一度、おばちゃんたちの手元を見る。


「……何してるんですか、これ」


 私が呆然と呟くと、案内役のおじさんが笑った。


「磁性結晶の調律ですよ。列車の浮上制御に使う部品です」


「調律……?」


「結晶の向きが揃ってないと、磁場が乱れるんです。高速域で振動が出る」


 ナナリエが横から補足する。


「結晶ごとに微妙に癖が違うの。だから最後は人の耳と感覚で合わせるしかない」


「耳!?」


 思わず声が大きくなった。


 おばちゃんのひとりがこちらを見て、にやっと笑う。


「姫さん、この子いい声出すねぇ」


「騒々しいところに来れば自然と声も大きくなるわ」

 ナナリエもにやりと笑う。


「違いないね」


 本当にそうだった。


 ごうごうと鳴る炉の音。

 金属を削る振動。

 蒸気の抜ける音。


 気づけば私も、その音の中へ馴染むみたいに声を張っていた。


 おばちゃんたちが笑いながら案内のおじさんに声をかける。

「今日は怖い方の殿下が来なくて、顔色がいいねえ」


 おじさんの顔がさっと青くなる。

 怖い方の殿下……?

 なんか、心当たりあるな。


「おっと、別車両が最終調整に入っていますね。ご覧になります?」

 おじさんがわざとらしく大きな声を出した。


「ええ、お願い」

 ナナリエが静かに頷く。



 そのまま部屋を出て、さきほどの広い空間へ戻った。



 最初に見た巨大な魚の骨の隣に、


 巨大な海の生き物が鎮座していた。


「あー、これ、さっき乗ってきたやつだ」


 私が呟くと、隣でクスッと笑う声がした。



 隣にはナナリエが立っていた。


 その表情を確認しようとしたとき、


「クヌさーん」


 と若い職人さんの声がした。


 呼ばれて動いたのは、ぼんやりした猫背のおじいさん。


 完成直前の車体に、ひょいひょいっと近寄っていき、手を当てる。


 軽く叩いて、耳を澄ます。巨大な生き物の身体を順に回る。


 その場の職人さんたちが固唾を飲んで見守っていた。


 しばらくして、一言。


「……右後方、歪んでるな」


 すぐに数人の職人が調整にあたる。



「クヌさーん」


 今度は案内のおじさんがクヌさんを呼びつけた。


 クヌさんはすーっと水平移動するように猫背のまま静かに近寄ってきた。


「姫さん、どうも」

 クヌさんは首を少しだけ前に出す。


「クヌギ、まだ現場に立っていたのね」

 ナナリエの口調は柔らかかった。


「そりゃ、まだ壊れちゃいねえからな」

 クヌさんは口の端を少し上げて答える。


「姫さんも、今日はずいぶん長居してくれるじゃねえか」


 クヌさんがチラッと私を見た。


「お友達と一緒だからかい」


 ナナリエが一瞬黙る。


「そうね」


 そうね?


「今日は、いつもの視察と少し違ったわね」


 ……お友達と?


「何度も見てきたはずなのに」


 お友達と一緒だから?


「今日は、とても面白く見えるわ」


 ナナリエの声がいつもより高い。


 視線が車体に向く。


 つられて私も。



 天井から吊られた巨大魚。



 骨だったものに命が入った。



 機械の音が鼓動のように腹に響いた。

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