第38話 不意打ちと、再現性
果てしない線路の向こうは、南からの光を受けて輝いていた。
レールはない。
——線路、と呼ぶにはあまりにも滑らかで、継ぎ目すら見えない。
よく見ると、その内側に、淡い光が流れている。
「そろそろね」
その光を確認して、ナナリエが言った。
列車の進入に合わせて、明滅し始める。
「あれが軌道?」
「ええ。接触はしていないけれど、位置と速度はすべてそこで制御している」
翡翠宮の門前町が始発駅の列車に乗って、私たちは南へ向かうことにしたんだ。
駅には、ぽつぽつと乗客が集まり始めた。
穏やかな表情で大きな荷物を担ぎ直す集団もいる。巡礼を終えた人たちだろうか。
「この星の磁場を基準に、位置と運動を拘束する場を敷いているだけよ」
ナナリエの解説は平常運転だ。
よくわからないけど、自然の力を利用したリニアモーターカーのようなものだと認識した。
南の方を覗き込んだとき、駅に列車が滑り込んできた。
音は、思っていたよりずっと小さい。
轟くでも、軋むでもなく、ただ空気を撫でるような低い音だけが、すっとホームを通り過ぎていく。
減速しているはずなのに、揺れがほとんどない。
景色だけが静かに流れて、気がつけば目の前でぴたりと止まっていた。
「……静か」
思わずこぼれた声に、ナナリエがわずかに視線を寄越す。
列車の外装は、淡い銀を基調にして、その輪郭をなぞるように細い紫の線が走っている。
そして何より目を引くのは、車体の大部分を占める透明な外殻だった。
ガラス——に見える。けれど、反射は柔らかく、向こうの景色は不自然なほど澄んでいる。
列車の扉が開くと、赤や橙の髪の毛をした人たちが降りてきた。
服装も今までの街で会った人たちより鮮やかな色使いだ。身体も皆大きい。
道具箱を担いだ作業着の集団もいる。
この人たちは、更に上半身が厚く、腰回りもがっしりしている。
「神殿の修復をする大工ね。珊瑚宮やカーネリアン宮から来てるわ」
あの森のような神殿に修復する箇所があるのか……?
という疑問は抱きつつも、彼らが日々の肉体労働に耐えうる身体をしていることは明白だ。
職人らしい引き締まった表情もそれを物語っている。
降車客と入れ替わりに、車両点検員や清掃員が無駄のない動きで車両に乗り込んだ。
全員、深い紫の制服。皆揃っていて、職業への自負を感じる。
銀の車体に、紫の制服、かっこいい。
「列車の運行管理はアメジスト宮の管轄なの」
国有鉄道ってことかな?
「ここ二十年で、アメジスト宮への所属変更は数倍に増えているわ。交通と情報の両方を担っているもの、人が集まるのも当然ね」
交通インフラと情報インフラか。それは人気職だろうなあ。
アメジストカラーで統一された係員が車内に入ると、車両ごとに分かれて点検が始まる。短いやり取りと確認のあと、順に天井の光が切り替わっていく。
一両、また一両と。
やがて、最後の車両までそれが行き渡ると——
小さく、乾いた音がして、扉が開いた。
「行きましょう」
ナナリエが迷いなく歩き出す。
その後ろについて車内に足を踏み入れた瞬間、わずかに空気が変わった気がした。
外の光が、そのまま流れ込んでくる。
座席に腰を下ろすと、すぐに気づく。
ガラス越しの景色が、ただ明るいだけではない。
視界に合わせて、眩しさがわずかに和らいでいる。
雲の隙間から差し込む強い光も、刺さるような白さにはならない。
代わりに、輪郭だけがくっきりと残される。
「陽射しが柔らかいね」
「紫外線と可視光の一部を制御しているだけよ。視認性を落とさずに負荷を減らしているの」
ナナリエはさらりと言って、ボックス席の向かいに座った。
発車の合図らしいものは、なかった。
ふと気づくと、景色が動き始めている。
——いや、違う。
動き出した、という感覚がない。
足元から伝わるはずの振動はなく、身体が後ろに引かれることもない。
ただ、外の風景だけが、音もなく滑っていく。
まるで、動く歩道の上に街ごと載せて、その中に座っているみたいだ。
「こういうの初めて」
ぽつりと呟くと、目を輝かせたナナリエの顔が近づいてきた。
「アンリの星にはないものなの?」
「似たような技術はあるけど、同じかもわからないし、乗ったことはない」
「じゃあアンリの星では何に乗るの?」
……よく乗るのは飛行機だけど。
私は空を指差した。
「飛ぶの」
「車のこと?」
「そうじゃなくて……雲より、上」
「雲より……」
ナナリエは何やら考え込むような表情をした。
「身体への影響は?」
え?耳がキーンってなるやつのこと?
「私たちは、この星の磁場と切り離されると、神経の同期が保てなくなるの」
え、深刻なやつじゃん。
「高度を上げすぎると、感覚が分離して——自分を維持できない」
この人たちは、あまり高いところにはいかないんだな。
「技術や価値観だけじゃなく、生物としても違うのね」
興味深そうにナナリエは何度も頷いていた。
「まあ、身体がここにないから検証のしようがないけど」
私の身体を持ってきたら、隅々まで解剖されそうだな。
心の中で苦笑いをしながら、私は話題を変えることにした。
「ところで、路線ってどうやって確認するの?」
「これで確認できるけれど——」
ナナリエは座席の壁に貼ってある四角い模様を指差した後、一瞬だけ言葉を切る。
「今のあなたには見えないわね」
ああ、やっぱりそうやって情報を得るのか。これは早く読み取るための端末を作らなきゃ不便だ。きっと地図も見ることができない。
そう考えていたとき——
向かいの席のナナリエが立ち上がって、私の隣にすとんと座った。
それは、不意打ちだった。
こつん、と軽い衝撃。
ナナリエの頭が私の頭にぶつかる。
虹の髪が黒い髪に混ざる。
その瞬間、軽い痺れが、頭の奥に滑り込んできた。
——線が、広がる。
王都を中心に、放射線状に伸びる線路。
そこから遠く離れた外周をぐるっと囲む大きな環状線。
さらに、その全体を横切るように、別の線が走っていた。
北と南。東と西。王都を避けて、最短距離で結ぶ軌道。
情報が、形のまま流れ込んでくる。
「王都経由は停車数が多いの。効率が悪いわ」
すぐ近くで、ナナリエの声がする。
「だから今日は、北から南へ直接接続する急行を使っている」
ナナリエはゆっくりと頭を離した。
だけど頭の中にはまだ線の残像が残っていた。
……本当に、最短距離で解決してくるなあ。
私はナナリエの横顔を見た。
視線に気づいたのか、ふっと表情を和らげる。
『私と接続したとき、忘れてしまったものはなかった?』
昨夜の、私の問いへの答えみたいに、微笑む。
その奥に車窓からの景色。
列車は、山の縁をなぞるように進んでいく。
翡翠宮の門前町が、ゆっくりと後ろへ引いていった。
すぐに長閑な田園地帯に変わり、それも次第に遠くへ消える。
やがて、視界がすっと閉じた。
トンネルだ。
音が、わずかに変わる。外界から切り離されたような、短い無音。
車窓にはナナリエの顔と、その後ろに私の顔。
並んで映っている。
——すぐに、光が戻る。
抜けた先で、活気ある景色が広がった。
「王都の西外縁よ」
ナナリエが短く言う。
白を基調とした権威ある建物が遠くに見える。
反対側の車窓には古風な石造りの街並みが遠くに見える。
「あっちは西側の琥珀宮?」
「まだね。あのあたりはシトリン宮の領地だわ」
たしかに由緒ありそうな建物に、近代的で洗練された建築が食い込んでいる。
古いものを残しながら新しく増築を重ねたみたいな、重なりの見える街だ。
遠目にも、古都・琥珀宮との違いが見てとれた。
「都市ごとに違うんだね」
ぽつりと呟いて、また流れる景色に目を向けた。
高架を走る列車は人々が行き交う街を見下ろして進む。
次第に建物の数が減り、ずいぶんと余白のある地帯に入った。
窓の外に、斜めに走る細い道が見える。
列車の進行方向に対して、四十五度ほどの角度。
地面に沿って伸びたその道は、前方で高架の下へと潜り込んでいる。
その上を、一人乗りの小型機が滑っていた。
立ったまま身体を預ける、簡素な構造。
地面すれすれを、揺れることなく進んでいく。
やがて、列車の進行と、その軌道が交差する。
——すっと。
吸い込まれるように、影の中へ消えた。
ほんの一瞬の出来事だった。
なんとなく、その先を目で追う。
列車はそのまま進む。
同じ角度。同じ高さ。同じように、高架の下へと続く別の道。
そこに——
また、一人。
別の誰かが、同じように滑り込んでいく。
「……ねえ、ナナリエ」
私は視線を外さずに言った。
「今の、見た?」
「高架下へ走っていく人のこと?」
ナナリエは感情の乗らない声で応じた。
私は額を車窓にこつんとぶつけて続けた。
「違う人なのに、同じ動きに見えた」
少しだけ言葉を探す。
「たまたま、って感じじゃない」
ナナリエは一瞬だけ窓の外に視線を向けてから、すぐに答えた。
「条件が揃っているもの」
「条件?」
私は視線をナナリエに向けた。
「軌道の形状、速度、進入角度」
虹色の瞳が、検証するように窓の外を見つめている。
「入力が同じなら、出力も同じになる」
淡々とした口調。だけど少しだけ口元が緩んだ。
「——再現性がある、ということよ」
その言葉が、すとんと落ちた。
再現性。
同じ条件なら、同じ結果になる。
——そうなんだと思う。
もう一度、窓の外を見る。
さっきと同じ場所に、同じような軌道。そこに、また別の誰かが現れて——
同じように、消えていく。
でも、
あの人たちは、知らないはずだ。
少し前に、別の誰かがまったく同じ動きで、ここを通っていったことを。
互いに交わることもなく、ただ同じ軌跡をなぞっていく。
そのことに、気づくこともないまま。
『ねえ、今の見た?』
ふいに、重なる声。
ガタゴト揺れる電車で、私たちは顔を見合わせた。
図書館の帰り、夏の入道雲の下だった。
電車の窓。
高架の下に続く道。
自転車が、すっと潜り込んでいく。
『同じに見えない?』
ななちゃんはそう言って、頬をほんのり染めた。
『本当だ。……でもさ』
あのとき、私が続けていた言葉。
『本人たちは、気づいてないんだよね』
同じ軌跡を、違う誰かがなぞっていく。
それが、ただの偶然だとは思えなかった。
『私たちだけが、見てる』
私たちはその不思議を共有した。
名前も知らない誰かの動きが、
網膜に焼きついた夏だった。




