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星粒のリテラエ ——異世界転移した文化人類学者、理系王女と最適解王子の“誤差”を観測する  作者: はなちゃん
第三章 木漏れ日の若宮司エンジュ 〜私は、暫定的に魔女になる〜
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第36話 噛んで、飲んで、言葉になる

 お腹も満たされて、皿の上はすっかり空になっていた。


 私たちはお皿を洗っていた。


「母は」

 ナナリエがぽつりと呟いた。


 皿を拭く手は正確に動いている。……私はすでに一枚割っている。


「以前は、環の設計に関わっていたと言っていたわ」


 その言葉につられてナナリエの手元を見た。瑠璃の環が水に濡れて光っている。


「これって設計して作るんだ?」


 精密機器?これが?どう見ても宝飾品だけど。


「分解するとわかる」

 ナナリエがおもむろに環を指から引き抜いた。

「この中には回路が」


「待って。今分解しようとしている?」


「大丈夫。何度も分解して組み立ててる」

 無表情のナナリエ。


「いやいや、いいって。今、濡れてるし」


 私は機械とか分解するの怖い。


 だいたい元に戻せない。


 サイクロン式掃除機のダスト部分だって、外したら戻すのに十分はかかる。


 背後でエンジュがくすっと笑った。

「食後のお茶でも飲みながら話したら?」


 振り返ると翡翠色のお茶と果物が干したようなものが準備されていた。


「はい、どうぞ」

「ありがとう」


 お茶を手渡してくれたエンジュの大きな右手を見る。


 ——そういえば、ない。


 エンジュの指には環がついてない。


 ここに案内してくれた少年の手にも環はなかった。


「エンジュって、環をつけてないよね」


 右手をじっと見ながら言った。


「いつもつけてるよ」


 エンジュが柔らかく笑う。


 そして自分の首元に指を差し込んで紐を引っ張り出した。


 ころん、と紐にぶらさがって出てきたのは、


 掌に収まるほどの、薄く磨かれた翡翠の輪。


 指環は輪っかが金属製なのに、こちらは輪すべてが石でできている。


「ナナリエのと、違うね」


「もともとはこの形だったんだよ」


 輪っかの向こうにエンジュの翡翠の瞳が見える。


「環りと結びの象徴」


「さっきの……」


 翡翠の刻で見た、珪化木の依り代がよぎる。


 この形は、この国の信仰の象徴なんだ。


 環り続ける円の形。


「でも……、環って実用的だよね」


「そうね」

 ナナリエが感情の乗っていない反応を示す。


「起源は信仰の象徴であっても、環はあくまで端末よ」


 エンジュが苦い顔をする。


「どうかな。象徴に、機能が後付けされたという方が合うと思うけど」


「それでもいいわ」

 そこを議論する意味もないという様子であっさり頷く。


「肌身離さず身につけるものに機能がつくのは合理的よ」


 ナナリエのお母さんも、合理的よって言いながら設計したのかな……と、想像してみる。


 ふわっとしたものを、確かな形に変える人。


 そんな人が考えたんだ。



 そのとき、エンジュの指の下で翡翠の環が揺れた。


 ——これは見えないところに隠されていた。


 身分証なら、ナナリエみたいに見えるところにつけるはず。


「エンジュはそれを大切にしてるんだね」


 何気なく言っただけ。でもエンジュは柔らかく微笑んだ。


「ありがとう。やっぱりアンリはよく見てるね」


「神殿の人たちは皆一様に、環を服の下にしまい込んでるのよね」


 非効率ねと言いたげな表情でナナリエが呟く。


「ここでは、見分ける必要なんてないからね」


 翡翠の瞳に影が落ちて、少し距離を感じる。



 二人の間の、微妙な空気。


 見えてるものも違うし、大切にしているものも違う。



「だけど、二人は友達」


 ——そう言ってから、少しだけ考えた。そう呼んでいいのかは、わからないけど。


 目の前の二人が一瞬驚いた顔で私を見て、二人は顔を見合わせて、笑った。


「やっぱり、よく見てる」


「どうかしら。でも、少なくとも対立はしてない。対等ってところね」


「ええ?友達でいいじゃないか」


 納得いかない顔のナナリエを通り越して、

 エンジュの視線がこちらに投げかけられた。


「アンリも、ね」


 ナナリエも真っ直ぐ私を見る。何も言わないけど。


 彼女の頭の中を計り知ることなんてできないけど、関係ない。


「うん。一緒にいると楽しい」


 彼女が言わなくても、私が言葉にすればいいだけ。


 ナナリエのひんやりした手が私の手に重なった。



「それはたしかなことね」


 短い一言。


 言葉になる前の気持ちを、私は感じた。


 胸の奥がむずむずする。



 私たちの様子を見ていたエンジュがくすくす笑った。


「口に出した言葉に気づかされること、あるよね」


 エンジュは、まだ手をつけていなかった果物の干したものを私たちの近くに置いてくれた。


「言葉にする……ね」


 ナナリエが果物の干したものを一つ摘む。私も。


「アンリはそれができるから……必要ないのかも」


 なんのことだろう?唐突に聞こえた。


「あなたの環は、欠けたものになるわ」


 果汁をぎゅっと詰めたような香りが鼻に届く。


「他の人のと何が違うの?」


 食べてみるとわりと歯応えがあって、ほんのり甘い。


「そもそも環は、個体識別と情報接続を同時に担う、分散型の位相同期端末よ」


 あ、ちょっと難しい話になりそう。


 ナナリエはちらっと私の顔を見て続けた。


「通常の機能は、記録と連絡ね。

 記録といっても、環の内部に保存するわけではなくて、情報場——多くは晶盤に書き込むの。

 物質ならなんでも記録媒体になり得るんだけど、一番最適化したものがこれ」


 そういって淡く光る板を取り出して見せてくれた。


 盤面は記号の羅列で今の私には意味が読み取れない。


「今は何も読み取れないわよね?」

「うん」


「これを読み取るための端末を作るわ。だけど、あなたは書き込めない」


「書き込めない……」


 ナナリエは小さく頷く。


「あなたの身体機能以上のことはできないわ。環はあくまで補助装置。

 それに、接続した途端に全ての情報を吸収してしまうから」


 王都の役場の騒然とした場面が思い起こされる。


 あれを各地でやってしまったら大事件だ。


 少しだけ気持ちが沈む。


 そのとき、


「アンリ、それ」


 エンジュが言う。

 テーブルの端に置かれた、使い終わったコップ。それを指し示した。


「髪、触れさせてみて」


「……こうやって?」


 恐る恐る、自分の髪の先を摘んで、ガラスの縁に近づける。


 ほんの少し、触れた。


 ——ひらく。


 光が、ほどける。


 音はないのに、笑っている気配だけが伝わってくる。


 揺れる、温度。


 誰かの手のひらの熱。


 言葉にならない“楽しさ”だけが、やわらかく流れ込んでくる。


 ——近い。


 近すぎて、どこまでが自分なのかわからない。


 思わず、髪を引き戻した。


「……いまの、なに」



「残ってる記憶だよ」


 エンジュが静かに言う。


「消え切らないんだよ、物って」


 その言い方は、説明というより確認に近かった。

 誰に向けているのかも曖昧なまま。


 私は、まだ少しだけ指先——いや、髪の先に残る感覚を確かめていた。


 さっきの“何か”は、もうどこにもない。


「髪の毛での接続は神経による反射よ。基本的に抗えないわ。

 でも、環はそれを使用者の意思で制御できる」


 ナナリエはそう言って、確かめるように私の手元のコップに目を向けた。


「貸して」


 ナナリエが、私の手からコップを取る。


 そのまま何の迷いもなく髪を触れさせた。


 ——何も起きない。


「……残っていない」


 静かな声。


「え?」


「さっきのは、もうないわ」


 ナナリエはコップを傾け、光の反射を確かめるみたいに眺める。


「他もやって」


 顔を上げずに言った。


「検証は一度じゃ足りない」


 言われるままに、別の皿に髪を触れさせる。


 今度は、ほんのかすかに——


 途切れかけの感覚が流れ込んできた。


 さっきより、ずっと弱い。


「……残り方に誤差はある」


 私から皿を回収してもう一度見る。


「でも、単一方向へ流れているのは確実ね」


「ねえ……」


 私は恐る恐る聞いた。


「ナナリエは大丈夫だったの?」


「大丈夫、とは?」


「私と接続した時、忘れてしまったものはなかった?」


 物と同じで、私が全部吸い取っていたら。


 ナナリエから奪っていたらどうしよう。


「それは答えられない」

 落ち着いているのか冷たいのかわからない表情。


「第一に、一度だけの検証では確定できない」


「第二に、私自身が私の意識を客観的に観測するのは不可能よ」


 それはそうかもしれないけど……。

 なんか、安心できない答え。


「被験者を立てて検証すべきだけど……」

 そう言いながら、彼女はエンジュを一瞥した。


「君は僕を実験台にしたがるね」

 エンジュは笑ったまま言った。


 軽い声。

 けれど、逃げる気配はない。


「たまたまそこにいたからよ」


「僕はアンリと接続してもかまわないよ」


 え?


 冗談のように軽く言う。


 でも軽すぎて、冗談かどうか判断できない。


「ただ、答えはわかってる」

 目が笑っていない。


「珍しい、エンジュが答えを教えてくれるなんて」

 ナナリエも冷ややかな視線を返す。


「僕とナナリエで検証したって無駄だってこと」


 エンジュは首を傾けて再び笑った。


 ナナリエは口元に手を当て考え込んだ。

「……私たち以外での検証は危険ね」


「——倫理的にね」

 エンジュが付け足した。


 倫理に反する現象が、私に備わっていると言われているみたい。

 いや、実際そうなんだろうけど……。


 気持ちが沈む。


「アンリが望むなら、僕はいつでも接続可能だよ」

 

 にっこり笑顔で、励ましてくれてるのかもしれないけど……


「今のこの流れで、それはお願いできないかも」


「アンリなら、そう言うと思ったよ」


 私の答えをわかってて言ったんだ。


 ……わからない。


 この人は、本当にわからない。


「いっそ接続しちゃえば答えがわかるのに?」

 そう言って、エンジュが私の顔を覗き込んだ。


 なんだよ、


 ナナリエに顔を覗き込まれて動揺してた人なのに。


「ちょっと腹立つな……」


 あ、心の声が。


「でしょう?エンジュと話してると不愉快な気分になるの」


 ナナリエが私の手をそっと握った。


「アンリのことは、私が解明するから大丈夫よ」


「対人の検証はひとまず保留。対物での検証は明日もう少し詰めて——」


 ナナリエはそのまま、思考に沈む。


 テーブルの上の晶盤に指を滑らせながら、独り言のように続ける。


「やっぱり、アンリの身分証は——」


 ナナリエがテーブルを指でトントン叩いた。いつもの癖。


「——書き込む前提では設計できない」


 持っていた晶盤に手をかざしている。何かを、書き込んでいるみたい。


「読み取ることはできても、書き込むことはできない。

 本来なら環を用いて連絡手段とすることもできるけど。それも使えないわね」


 そうなんだ。


 ただ受け取るだけで、自分からは発信できないんだ。


 それって、……けっこう孤独かもしれない。



 書き込む手を下ろして、ナナリエは顔を上げた。



「だから、あなたは話すしかないのよ」


 ナナリエの瞳がじっと私を見つめた。


 「言葉という、最も低速で、最も不完全で――その代わり、最も自由な手段で」


 その言い方は温かくもなければ、冷たくもなかった。



「これはね」


 エンジュは環を指先で軽く持ち上げるようにして見つめた。


「身分証であり、鍵であり、翻訳機」


「で、本当は書き込みもできる。記録も連絡もできる。でもそれって――」


 少しだけ間を置く。


「“自分の見たものを、そのまま外に残せる”ってことかな」


 言い切らない。少しだけ揺らすように言う。


 

「でもアンリは、それができない」


「読めるけど、残せない」


 指先で環を軽く揺らす。


「だから代わりに喋るしかない」


 


 ——喋る。


 


「もし、残す必要があるなら」


 エンジュは少し視線を落とした。


「ナナリエが拾うことになるんだろうね」


 


 その言い方は説明ではなく、ただの仮定だった。


 決めつけないまま、そこに置く。


 


「遠回りだよ」


 


 それだけ言って、環を首元へ戻す。


 紐が布の中に消える。


 


 エンジュはそれ以上何も言わなかった。



 

 私は、そのまま残せない。

 

 それなら、


 噛み砕いて、飲み込んで、それを言葉に作り直すしかない。



 きっと、同じ形では届かない。


 でも。


 その分、ちゃんと私の中を通る。



 ——それなら、それでいい。


 私はまた果物の干したものに手を伸ばした。


 ——ちゃんと味がした。


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