第三十四話 私の友達
「待望の初仕事だ」
ハルジオン殿下は偉そうに言った。
「あ、もう?」
採用された日から働かせるなんて。
さすがブラック企業。
駅前に出て名刺交換でもさせる気かな。
「カーネリアン宮に行って、君の身分証を作成してくるんだ」
ナナリエも私の横で静かに話を聞いている。
なぜかずっと私の手を握っている。
「環のこと?」
それが仕事?ちょっと気が抜けちゃう。
「君に相互接続のできる端末を渡すことはできない」
系譜の情報がほどけて全部私に流れてきた感覚が蘇る。
たしかに、あんなもの持ち歩いてたら国中の情報を吸い込んじゃいそう。
「だが、何もなしでは活動に支障が出る」
「外部端末型ですね」
ナナリエが小さく頷く。
「そうだ。これは君の方が詳しいな、ナナリエ」
「事前に生体情報を書き込んだ擬似的な環を——」
「つまり、外付けの身分証ってこと?」
「そう。それを作成し、あなたに持たせるわ」
ああ、クレジットカードじゃなくて、プリペイドカードみたいな違いかな?
……いや、違うか。
「大丈夫、設計は私がするから」
ナナリエがウキウキし始めた。
それを見たハルジオンも嬉しそう。
ここはナナリエに任せよう。
でも……、
「自分のことをするのに業務と呼んでいいんですか?」
ハルジオンはめんどくさそうに眉間に皺を寄せた。
「別にタダ働きしてもらっても、私はかまわないが?」
「あはは……謹んで拝命いたします」
ハルジオン……殿下は頷き、そして少し表情を和らげた。
「それにカーネリアン、君はそこを気に入るはずだ」
意外な言葉に、思わず殿下の顔を見上げた。
「そうね。アンリはきっと好きよ」
「間違いないね。きっと、はしゃぎ過ぎて迷子になるよ」
ナナリエとエンジュも大きく頷く。
いや、迷子って。私を何だと思ってるんだ、エンジュは。
でも、なんだろう。
この三人。
やけに私のことを理解してるって顔で。
楽しそうに私を観察して。
なんか……、
なんか、好きかも。
こういう時間。
友達との時間。
「いいじゃないか。仕事だ。君の専門なんだろう、観光と記録」
ハルジオン殿下は本日は業務終了ですって顔で立ち上がった。
「観光じゃなくて、観察です!」
「そうだったな」
言いながら背を向け、軽く右手を挙げる。
琥珀の環に夕陽が反射した。
背面ケセラン・パソランか。応用テクニックか。
「えー。ハルジオン帰っちゃうの?」
エンジュが寂しそうに言う。
「ナナリエを置いていくから寂しくないだろう」
「え……っ、いや、それはちょっと……」
エンジュが激しく動揺している。
「つ、連れて帰ってくれるといいかなあ」
「なんで?」
無垢な虹色の瞳がエンジュを捉えた。
エンジュは自分の胸元をぎゅっと握りしめる。
ふと、ハルジオン殿下が私に視線を向ける。
「はるばる登ってきたんだ、見物の魔女も神殿の中を探検したいだろう?」
見物じゃなくて観察だって。わざと間違えてるな。
「たしかに、あの階段を何度も上り下りするのは大変かも……」
その言葉にナナリエが振り向き、私に「任せて」というように頷いた。
ナナリエが目配せするなんて。二人だけの時にはしなかったのに。
ちょっと胸騒ぎがした。
ナナリエは優しい動きでエンジュの衣の袂を引き、
上目遣いで、じっと見つめた。
いつもの射抜くような目が、少し潤んでいる。
「エンジュ…おにいさま?」
「……」
樹木は完全に石化していた。
「今夜、お泊まりしてもいいでしょ?」
妙な雰囲気だった。
「だめ……?」
ナナリエが子猫のような純真な顔を少しずつ近づける。
そこから目を逸せないエンジュ。
そして、ついに。
「…………………………いいよ。」
「いいって」
間髪を入れずに無表情になったナナリエが私に振り向いた。
すすすっと私のところへ戻ってきたナナリエが、耳元で囁いた。
「エンジュはああやって言うと、なんでも言うこと聞いてくれるの」
そして私の顔を覗き込んで心底不思議そうな表情で付け足す。
「不思議よね」
そのとき、私たちの斜め上で、ハルジオンが吹き出した。
……この人、全部わかってやってるな?
「万事解決だな」
「ハルジオン……」
恨めしそうに睨むエンジュは、深緑の髪の下で耳をほんのり染めていた。
「でも……せっかく神殿に来てくれたんだ」
そのまま翡翠の瞳が私に向く。
「浴びてく?ちょうどいい時間だし」
な、何を?
主語を言ってよ。エンジュ。
「さあ、行こう」
ハルジオンに別れを告げて、私たちはエンジュの案内で神殿の奥へ向かった。
といっても、どこまでも森林が続いて、一人だったら迷子になっていたかもしれない。
傾き始めた陽の光が横から、二つ少しずれて幹の間を抜けてくる。
どれだけ歩いたかはわからない。
だけど不思議と息は上がらなかった。
清浄な空気が身体の隅々まで行き届いて穏やかでいられる。
「もうすぐ、翡翠の刻だよ」
エンジュが私たちを振り向き見た。その顔に夕陽が当たる。
その時、風に背中を押された。
森林の中に急に大きな空間が現れて、私たちはたどり着いたのだ。
「星……?」
最初は光しか見えなかった。
眩しいというわけでもない。
ただ、いろんな向きに様々な色の光が散っていた。
どこかで、見たことのある……。
「依り代だよ」
穏やかな声が聞こえた。
目を凝らすとようやく形が見えた。
大きな輪っかが、頭上に水平に浮いている。
黒い金属のような色なのに、まるで長い年月生きた樹木のような質感だった。
それが二つの夕陽を受けて、何色もの光を散らしている。
たくさんの小さな虹が遊んでいるみたいだった。
輪っかの中心の空洞に光が集まって虹を作る。
虹が空中の塵を捉えて、淡く照らし出す。
木の葉の天井にも反射した光が当たり、足元に落ちる影の縁も虹色にぼやけていた。
そこは万華鏡の中だった。
「数千万年以上の歳月を経て、地中に埋まった木の細胞組織の中に珪酸が入り込み、別の物質に変化することで化石化したものよ」
ナナリエが淡々と言った。
本当だ。光に閉じ込められた年輪が見える。樹木の時間が見える。
「樹木は原型を保っている。でも構成しているものはシリカに置き換わっているの」
具体的な情報の羅列なのに、私にはどこか美しい詩のように聞こえた。
——この虹、知ってる。
隣を見る。
ナナリエ、じゃない。
ナナリエの瞳はもっと光が、生きて動いている。
でもこれは時間が閉じ込められてる。
博物館の暗い展示室の中で、見つけた珪化木。
その照り返す虹色を見ながら、二人で話した。
ちょっと気弱そうな声。
だけど、ワクワクが抑えられないみたいな呼吸で。
『生き物が、こんな虹色の石に変わるまで——』
『一体どれだけの時間が巡ったんだろうね。』
制服のリボンを指先でくるくると遊ばせながら、
彼女はふわりと言った。
まるであくびをするように、のんびりと。
『……木だった時間も、ちゃんと残ってるんだね』
その言葉に、私も大発見をしたような気がして。
夢中で何か答えた。
『ね。不思議だね、あんりちゃん』
——ななちゃんは、恥ずかしそうに笑った。
自分の意見を言うのがちょっと苦手で、
よく私の後ろに隠れてて、
だけどちょっとだけ背が高いから隠れ切れてなくて、
好きなことを話すとき幸せそうに笑う彼女は、
ぎゅっと詰まった瑞々しい時間を共有した、
——私の友達。




