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星粒のリテラエ ——異世界転移した文化人類学者、理系王女と最適解王子の“誤差”を観測する  作者: はなちゃん
第三章 木漏れ日の若宮司エンジュ 〜私は、暫定的に魔女になる〜
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第27話 木漏れ日の若宮司

「さあ、遠慮なくどうぞ」


 からんと涼しげな音を立てて氷がグラスの中で回転した。


 鮮やかな若葉色のお茶が木陰の中で揺れている。


「いただきます」


 低温でじっくり抽出したお茶は旨味成分と甘さが際立って、まろやかで爽やかな味わいだ。


「美味しいです」

「よかった」


 エンジュは柔らかい木漏れ日のように微笑んだ。

 癒される〜。


「いや、お茶を飲みに来たわけじゃないのよ」


 ナナリエが軽く音を立ててグラスをテーブルに置いた。


「君が来ると思って朝から準備したんだよ」

 草原を抜ける風のような声。


「水出しは時間がかかるから」

 エンジュはグラスを光にかざした。


 氷がからんと回る。


「この氷も冬の山で時間をかけて少しずつ凍らせたんだ」

 そっかあ、天然氷か〜。


「だから不純物が少なくて、透明度が高い」

 かき氷に最適なんだよな〜。


「そうね。時間をかけて凍る過程で、水中に含まれる空気や不純物が放出されるから、純度が高いし、分子同士が強固に結合した硬い氷ができるわね」


 ナナリエがつられてうなずく。


 でも、


「でも!」


 ナナリエが立ち上がった。


「のんびりお茶の蘊蓄を聞きに来たわけじゃないのよ」


 エンジュに詰め寄る。


「わかってるでしょ?聞いてるんでしょ?アンリのことで来たって」


 すごい。こんな鬼気迫るナナリエ、初めて見たかも。


「……ナナリエ」

 エンジュが少しずれた衣を直した。


「そういう言い方は良くない」


「この人は客人だよ」


 そして私に視線を向ける。



「——ユニワ・ナナリエ殿下。彼女は王位継承者だ」


 ……王位継承者?



「知ってた?」


「いえ……」


 ……王位、継承者?



「だろうね」


 エンジュの声はため息に近かった。


「ナナリエ」


 ……ユニワ・ナナリエ殿下。


「なに?」


 ……ユニワが姓。姓が先で、名が後。


「君は、自分のことを軽く扱いすぎる」


 ……王位継承者。


「そう?」


 ユニワ・ナナリエ殿下、王位継承者が首を傾げる。


「うん」


 わけがわからないわって顔で、彼女は肩をすくめた。


 エンジュはふうっと息を吐いた。



「……さて」


 翡翠の瞳が私を捉えた。


「見えるんだね」


 言葉は短いけど、なんとなくわかる。


「えーっと、……見えちゃいけないやつなんですかね?」


 恐る恐る聞く。


「見えるものは、見えるものだよ」

「だから、なぜアンリに磁場の流れが見えるのか聞きに来たのよ」

 ナナリエが被せるように言う。


「それは、僕には答えられない」

「役に立たないのね」

 一瞬の躊躇いもなく突き刺す。


「うん」

 あっさり認める。

「役には立たない」


「……で?」

 ナナリエがエンジュの顔を覗き込んだ。


「……」


 ほんのわずかに、エンジュの呼吸が乱れる。


 そのまま顔を逸らした。


「ねえ、どこ見てるの?」



「……いや」


 エンジュは一度お茶を口に含んだ。



「でも」


 若葉色のお茶が揺れる。


「この子がどうしてここにいるのかは、わかるよ」


「なら、最初からそれを言って」


 ナナリエは一歩詰め寄り、テーブルに手をついた。


「——回りくどいのは嫌いなの」

「……ナナリエ」


「なに?」


「一度、座ったら?」


「座っているのって落ち着かないの」


 そう、ナナリエは基本的に立っているし、歩いている。



 諦めたようにエンジュは話を再開した。


「この子はね」


 木漏れ日が差し込む。


 ——“この子”。


 一瞬、誰のことかわからなくなる。


「歩いてきたんじゃない」


 風がないのに、深緑の髪が揺れる。


「流れてきたんでもない」


 少しだけ考えるように間を置いて、


「渡ってきたんだよ」


 翡翠の目が見定める。



「人の中を」




 人の中を。




 意味はわかる。でも、意味がわからない。


 それは私を見ているのか、それとも——


 私の向こう側を見ているのか。


 測りかねていた。




「本当は、通り過ぎるはずだった」


 目を細める。


「でも、引っかかった」


 翡翠の目が、はっきりと私を捉えた。




 ——引っかかった。




 その言葉だけが、妙に腑に落ちる。


 私は、この世界に引っかかった存在。


「……たぶん、そうです」


 思わず言っていた。


「私にはたぶん、帰る場所があります」


 口に出した瞬間、それがどこなのか、自分でも曖昧なことに気づく。


「そうだね」


 エンジュは木漏れ日のように頷いた。


 深緑の髪がゆらゆらと揺れる。



「私は、“この子”じゃないんです」


「うん」

 知ってるよって顔で頷く。


 言ったこと全部に頷きそうな感じ。



 だから、逆に何も言えなくなった。



 ナナリエは、黙っている。


 ——否定しないんだ。


 それだけで、少しだけ現実味を帯びる。


 これ以上考えると、足元が揺れそうだった。




 ……いや、


「……ところで」


 ——考えるのを、やめた。


 今は、それよりも気になることがある。



「えーと、エンジュ……さん?」


「エンジュでいいよ。ナナリエもそう呼んでる」


 その“ナナリエも”という言い方に、少しだけ引っかかる。


 でも——


「エンジュのその髪の毛って……なんか、動いてる?」


 気づいてしまったものは、どうしても気になる。


 さっきからずっと、風もないのに、わずかに揺れている。



「……ああ、これ?」

 エンジュが自分の髪に手を当てた。


 ナナリエがそれを見る。

「エンジュは陽の光を受けて、自身の活動源となる有機物を生成することができるの」



「え……そこに……葉緑素が?」



「まあ!アンリ、細胞生物学がわかるの!?」



 ——今までで一番の食いつきだった。

 ——仲間を見つけた、みたいな。


 さっきまでの張り詰めた空気が、一瞬でどこかへ消える。


「いや……義務教育で……」

「そうなのよ、葉緑素による光合作用よ。彼は食事を介さなくても、光と空気から自分の血肉を生成できるってことなの。信じられないほど効率的な仕組みよね!」


「ナナリエの専門分野だからね」

 エンジュが微笑む。


 穏やかに——


「うらやましい、私もこの色の髪が良かった——」

 言いながら、ナナリエがエンジュの髪の束をさらっと掴む。


 一寸の躊躇いもなく。


 距離が、近い。


「……っ」


 エンジュの動きが一瞬止まった。


 指先が、わずかに震える。 


 胸元をぎゅっと握りしめて何かを耐えるエンジュ。


 ナナリエは深緑の髪に顔を近づけて、早口で何かぶつぶつと喋り出した。


 あ、これ、知ってる。


 私もやられたやつ。


 側から見ると、その光景は異様だ。

 

「……信じられない。この表皮細胞の透過性。どんな酵素を使えばこの体温で炭素固定ができるの?この反応中心、透過型顕微鏡で観察したいわ」


 研究対象を追い詰める捕食者のような熱量で、どんどん距離がなくなっていく。


 そのうち、興奮したナナリエの吐息が頬にかかって——


「ねえ、エンジュ……」

 

「わっ」


 椅子が小さく軋んで、

 エンジュの体がぐらりと傾く。


 そのまま、


 落ちた。


「……」


「なに?」

 ナナリエは怪訝そうにエンジュを覗き込んだ。


 手は宙に浮いたままだ。


「……あ、いや、なんでも……」


 ほんの少しだけ、声が上擦る。


「……問題ないよ」


 何事もなかったように立ち上がる。


 木漏れ日の中、若宮司は澄ました顔で衣の裾を払った。


 だけど、


 深緑の髪が、ほんの少しだけ、しおれていた。

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