第25話 境界の手前で
庁舎の屋上にある庭園に出ると、さっきまでのざわめきが嘘みたいに遠のいた。
白亜の街を吹き抜けてきた風が、私たちの髪を揺らして去っていく。
「……力不足だったわ」
ナナリエが、ぽつりとこぼした。
私はその横顔を見つめる。
まつ毛、長いな……。
「制御しきれなかった。難しい判断じゃない。でもその先に続かなかった……」
瞬きひとつせずに、彼女は王都を見下ろす。
淡々とした声だった。言い訳も、取り繕いもない。
少しだけ間があって、ナナリエは続ける。
「……今回は、条件が揃っていただけよ」
視線は遠く、街全体を見渡している。
「あの場に、私の過去の処理を知っている者がいたから、収まっただけ」
どこまでも事実を並べるような静けさ。
「そうでなければ、あのまま滞っていたわ」
そこで初めて、ほんの少しだけ苦笑の気配が混じる。
「……お兄様のようには、いかないわね」
ふわっと抜ける突風に、
この星の春を感じた。
——ああ、この人は、ちゃんと自分でわかってるんだ。
軽く否定するのは、違う気がした。
励ますのも、たぶん違う。
「……あのさ」
私にはひとつだけ確かなことがあった。
「さっき、呼んでくれたでしょ」
ナナリエの声を思い出す。
遠くに沈みかけていた意識が、ふっと引き戻された感覚。
「……意識が、どこかへ引っ張られてたんだけど」
しっくりくる言葉がわからない。
「あの声で、引き戻されたよ」
これだけは、自信を持って言える。
「ありがとう」
ナナリエは何も言わない——
「それに……あの変な感じ……」
私は続けた。
「情報が、こう……流れ込んでくるみたいな。勝手に頭に入ってくるっていうか」
うまく言葉を探しながら、ゆっくりと続ける。
「ナナリエにも、あれ……見えてた?」
わずかにナナリエは目を閉じ、ゆっくりと開いて私を見た。
「移送ね」
——やっぱり、あの流れが見えてたんだ。
でも、同じ言葉では捉えていない。
「本来であれば、接続と共有が行われるはずだった」
ナナリエは自分のこめかみを指で叩きながら話を続ける。
机がないから自分のこめかみをトントンしてるのか……
などと、思考が散る私。
「それが今回、接続し、その場の情報が全てアンリに移送された」
そもそも接続と共有からして、私にはわからない。
「あの流れてくる感じさ……」
どんな質問を投げれば、私の望む解が見つかるのか、わからない。
「前にナナリエが髪の毛を接続した時の……あの感じに似てるんだけど」
ナナリエはうなずく。
「原始的な意識共有ね」
「原始的……」
虹の泉で初めて出会ったあのとき。
言葉もまだひとつもわからなかった。
だけど、はっきりとイメージが流れ込んできた。
あのとき。
「きっと、あなたの星にはないのね」
この星の、当たり前……?
ナナリエは自分の髪を摘んで見つめた。
「私たちは“これ”を使って意識を共有することができる。言葉で伝えるより容易く」
「……意識共有?」
「あなたが感じた通りよ。正確に、鮮やかに伝わる」
「でも……みんな、普段使っていないよ」
みんな、普通に言葉で会話している。
「そうなのよ……本当に不便」
ナナリエの眉間にわずかな影が生じた。
だいたい、いつも愚痴が始まる合図だけど……。
「原始的で理性が欠けている行為だと決めつけて、現在では親しい間柄でしか使わないのよ」
やっぱり愚痴だ……!
「接続すれば迅速かつ正確に伝達できるのに……!」
なるほど。
ナナリエみたいに、頭の中にはもう答えがあるのに、
それを言葉にするのが追いつかない人には——
……便利、なのかもしれない。
あるのに、使えない。
何か、理由があるのだろうか。
ところで——
「ちなみに、親しい間柄って?」
これは完全に好奇心で聞いた。
「一番多いのは、親が子をあやすとき」
たしかに、泣いてる赤ちゃんの気持ちが一発でわかったら便利かも。
「他に、恋人同士が愛を確認するときにも使用するそうね」
伝聞表現か……
ナナリエは経験ないのかもしれない……
いや、余計なこと考えるな、私。
「そして、それぞれの家門の伝承を受け継ぐときに、“これ”は使われる」
言いながら、ナナリエが髪をぱっと離す。
乳白色の髪が太陽の光を受けて複雑にきらめいた。
家門の伝承……?
言い伝え、みたいなものだろうか。
でも、さっきの“あれ”が使えるなら——
……同じにはならない、気がする。
見たまま、聞いたまま、
——その人が感じたものごと、
そのまま、流れてくる。
歴史が、遠い過去じゃなくなる。
——自分のことみたいに。
そのとき、
「ナナリエ様!」
幼い声が私の思考を遮った。
子供?
私も今は子供だけど、もっと幼い声。
振り返ると薄い緑色の髪の少年が立っていた。
見たところ、十歳くらいだろうか。
「翡翠宮の童ね」
ナナリエが小さくうなずく。
「エンジュ様の命により、お迎えにあがりましたー」
お遊戯会の台詞を一生懸命言う小学生みたいでかわいい。
「お兄様たちは相変わらず気が早いんだから」
ナナリエは私に視線を向けた。
「翡翠宮に連れていくわ。……本当は王都を見せたかったのだけど」
翡翠宮、終わりと、始まりの……。
「うん、どこへでも行くよ」
そこで何かわかるのか、わからないのか。
そんなことは私にはあまり重要じゃなかった。
ただ、この世界が見られるなら、どこへでも行く。
今の私には、それで十分だ。
「それではこちらへ!」
少年が両手を空にかざす。
……環はついていない。
空がかげって、あの時のように船底に似たものが下りてきた。
“車”には運転手らしき中年の女性も乗っていた。
扉が開き、少年に促されて、私たちは車に乗り込んだ。
「お願いしまーす」
少年は運転手に発車の合図を送る。
車は静かに浮上し、走り出した。
——場所の特性かもしれないけど、ハルジオン殿下の運転と比べて荒くない。
「ねえ。ナナリエが屋上にいるってよくわかったね」
目の前でニコニコ座っている少年がかわいいので、思わず話しかけた。
少年は目を丸くして首を傾げる。
「はい……。場所は、わかりますよ……?」
当たり前のことを何故聞くのかと不思議に思っている表情だ。
「環よ」
ナナリエが会話をひきとる。
「環が発する位置情報はかなり精度が高いから」
「え。それ、位置情報まで共有してるの?」
しかも、こんな子供に見つけられるくらい、広い範囲の人たちに向けて?
「そうよ。便利でしょう?」
ナナリエは何てことはないという顔をしている。
「この国の人たちみんな……?」
ずっと見られている……ってコト⁉︎
「環の情報は収集されているけど、公開されているのは王族の位置情報のみね」
ああ、一般人は監視対象ではないのか。
いや、監視なんて言ったら失礼か。いや、監視としか言いようがない。
「公開するのに回線の容量を圧迫するから」
それって……、
王族の特権……ってコト⁉︎
たしかに、王族というわりに、ナナリエは自由に歩き回っている。
護衛らしい護衛も見かけたことがない。
それって……そういうコト⁉︎
「うらやましいです!ぼく、すぐ迷子になるんで!」
翡翠宮の少年は屈託のない笑顔で、言い切った。
意識も、位置情報も共有しているなんて。
もしかしたらこの世界は、
——個人の境界がほとんどないのかもしれない。




