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星粒のリテラエ ——異世界転移した文化人類学者、理系王女と最適解王子の“誤差”を観測する  作者: はなちゃん
第二章 蜂蜜色の殿下ハルジオン 〜あなたと私の境界が曖昧な国で〜
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第24話 ナナリエが守るもの

 手が、触れた。


 私の肩に。


 空から降ってきた雨粒のように、ひんやりと感じる。


 その温度がゆっくり私の中に伝わってくる。


「アンリ」


 声が、近くで響いた。


 ナナリエの声だった。


 意識に直接触れるような、静かな響き。


「呼吸を整えて。大丈夫、ここにいる」


 そう言いながら彼女は私の背中をゆっくりさすった。


 言われた通りに息を吸う。


 うまくできない。


 でも、何度か繰り返すうちに、少しずつ、身体感覚を取り戻してきた。


 視界が戻る。


 ざわめきが、現実の音として輪郭を持ち始める。


 ——ここは、さっきまでいた場所だ。



「全員、手を止めてください。事態の把握をします」


 私が落ち着きを取り戻すと、ナナリエは視線を全体に向けた。


 濃紺の癖っ毛のお兄さんに向けて指示を出す。

「直ちに琥珀宮の本局に照会をかけてください」


「え……私がですか?いきなり本局に?」

 お兄さんは躊躇している様子だ。


 フロア内のざわめきも、収まっていない。


「照合不能ってどういうことだ」

「全部消えてるって……そんなこと、あるのか?」


 誰もが晶盤を覗き込み、同じ異常に戸惑っている。


「しかし、先ほど、殿下がお連れのお嬢さんが晶盤に接続したとき……」

 お兄さんが私へ疑いの視線を向ける。


 ナナリエは半歩前に進み、私を背後に隠した。


 ——庇われている……?


「本局の系譜情報に異常がないか、至急確認が必要です」

 ナナリエははっきりとした声で告げた。


 そのとき——


「困ります、王女殿下」

 低く抑えた声が割り込んだ。


 中年の職員がお兄さんとナナリエの間に割って入った。

 落ち着いた口調だが、その奥に明確な拒絶がある。


「このような事態は前例がありません。現場での精査を優先させていただきます。外部への通達は——」

「精査は後で結構です」

 ナナリエの声が、静かに重なった。


 強くはない。けれど、迷いがない。


「今は“失われていない”前提で動いてください」


 職員が言葉を失う。


 ナナリエは周囲を見渡し、淡々と続けた。

「系譜管理局本局へ照会。全件、照合状態の再確認を」

「アメジスト宮、媒体制御局にも連絡を。接続障害の有無、全域で確認」

「瑠璃宮には通達を。解析班を出させて」


 一息に告げる。


 あまりに当然のように。



「……お待ちください」

 先ほどの職員が、わずかに声を強めた。


「そこまでの規模で動かす必要があるとは——」

「原因は後で追えます」


 ナナリエは言葉を被せた。

「ですが、現時点で優先すべきは“記録の所在”です」



 ぴたり、と空気が張り詰める。


 ——静まり返った。


 誰も、動かない。


 視線が交錯する。


 判断を委ねるように。


 あるいは、責任を避けるように。


 指示は出ている。


 やるべきことも明確だ。


 それでも——誰一人として、手を動かさなかった。


 王族の言葉だ。


 だが、この場を動かす「権限」なのかどうか、


 誰も確信が持てずにいる。


 ナナリエは、わずかに息を吸った。


 その横顔は変わらない。


 けれど、ほんの一瞬だけ。


 ——言葉を継ぐか、迷ったように見えた。



 ひそひそ囁く声が各所から上がり始めた。


「王女殿下って……、あの女の子が……?」

「成人したばかりでしょう……」

「……議会には既に所属していると聞くが……」


 ざわめきが広がる。


 けれど——


 誰も、ナナリエに声をかけない。


「ナナリエ……」

 私は名前を呼ぶことしかできず、

 弱々しく彼女のスカートの裾を握った。


 ナナリエは、わずかに視線を落とし、

 私の位置を確かめる。



 それから、再び顔を上げた。


 ——場を、まっすぐに見据える。


 その視線を、場が受け止める。


 値踏みするような空気が、静かに広がっていた。



「さすがに……この場で判断など……」


「しかし……殿下は……先代の双王陛下の……」



 ざわめきは続いている。



 ——だが。


 何人かの視線が、


 同じ方向へと向いた。

 

 ざわめきが、次第に、しかし不自然に萎んでいった。


 そのまま収束し、続くはずの言葉が出てこない。



 みんなの視線がナナリエを通り越して、私たちの後ろへと向いていた。



 ——なんだろう。


 つられて振り返って、



「でかっ……!」


 身体のコントロールを取り戻した私は、心の声をうっかり漏らしてしまった。



 背後に立っていたのは、岩山のような大男だった。


 年配の紳士だ。しかし、白シャツ越しでもわかるほどの筋肉。


 なのに、気配は妙に静かだ。


 いつ、ここに——。



「局長……」


 先ほどの中年の職員が声をかける。


 この人がここの局長……?


 刻まれた皺の深い顔。

 不思議と荒さはない。


 静かに立っているだけで、場の空気が締まる。


 なんだろう……この、幕末の志士のような気迫は。

 自分で翻訳した『局長』の単語に、思考が引っ張られているのかな?


「全件照会に切り替えます。媒体制御局にも即時要請を」


 幕末の志士……じゃなくて局長は、ナナリエに会釈をして告げた。


 右手には、赤橙の環を装着している。


 これは、——珊瑚だ。


 王都の役所って、特定の宮に偏っていないんだ。

 いろんな出身の人が、混ざって働いている。


 私は周囲をぐるっと見渡した。



「局長……。いくら王族とはいえ、外部の意見に従うのですか……」

 先ほどの職員が息を呑んだ。


「控えよ」

 局長は短く制した。


 それから、ナナリエへと向き直った。

「一昨年の危機管理対策のご提言、拝聴いたしました」

 太くて、よく通る声だ。


「実に理にかなっており、隙がない」

 ほんのわずかに、目を細める。

「今回のご判断も、その延長線上にあるものと存じます」


 ナナリエは、何も答えなかった。

 ただ、ごく小さく頷くだけ。


 局長はずっしりと頷き、重心を固定したまま全体を見渡した。


「各自、指示通りに動くのだ」


 局長の一声で、空気が変わる。


 局内の職員がそれぞれの役割を迷いなく遂行する。


「本局にて系譜原本の確認取れました。当支局のみの事象のようです」

「媒体制御局へ、復元要請、手配いたしました」

「瑠璃宮への解析依頼も手配済みです」


 先ほどまでの混乱が、別の種類の慌ただしさへと変わっていく。



 私は、隣に立つナナリエを見上げた。


 さっきと何も変わらない顔で、彼女は場の流れを見ている。


 でもその表情の下に安堵の色が隠れていることを、

 

 私は感じ取っていた。

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