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星粒のリテラエ ——異世界転移した文化人類学者、理系王女と最適解王子の“誤差”を観測する  作者: はなちゃん
第二章 蜂蜜色の殿下ハルジオン 〜あなたと私の境界が曖昧な国で〜
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第20話 それが見えるのか

「私たちはそろそろ王都に行きます」


 私たちは石畳の坂道を下っていた。


「瑠璃宮に帰るのではないのか?」


 坂道を躓かないように下を見ていたら、気づいた。

 足元に伸びる影、少しだけズレて二重に見える。

 ひとつの影は薄くて長く伸び、もうひとつは濃くて短い。


「ええ。確認したいことがあるので」


 そりゃそうか、太陽が二つあるんだから。

 今更、当たり前のことに納得してしまった。

 一つ目の太陽は少しずつ西に沈み始めている。


「ちょうどいい、王都までなら送ってやろう」


 ハルジオン殿下が足を止めたので、私たちも自然と立ち止まる。


 彼が右手を軽く上げると、指にはめられた“環”がかすかに光を帯びる。


 次の瞬間、耳の奥で細い音が鳴った。


 ——高い。けれど、不快ではない。


 空が、わずかに陰る。

 曇り?


 空を見上げた時、目に飛び込んできたのは、


 影。


 さっきまでなかったはずの、大きな影。



 ……船のお腹?



 そう思った瞬間、自分で少し驚く。


 乗ったことはある。


 でも、こんなふうに真下から見上げたことなんて、あったっけ?



 中央を貫く、鋭く真っ直ぐな一本の線。


 その両脇は、水を、あるいは空気を掻き出すように滑らかにせり上がっている。

 全体は丸みを帯びた曲面で——。


 あぁ、知っている。

 水を切るための、あの形だ。



 不意に、白い霧の向こうから記憶がこぼれ落ちる。


 飛行機、船、車、昆虫。


 部屋に飾られていた、たくさんの模型。


 私のじゃない。


 誰のだろう。


 その中から船の模型を手に取って、ぐるぐる回し見ていた。



 ——ほら、ここ。

 ——底を走るこの中心線キールが、水を左右に受け流すんだ。


 指先でなぞられる、細い中心線。


 指、意外と長くてきれい。


 ——速く走るやつほど、この背骨が、まっすぐで、きれいに整ってる。


 声。

 やわらかくて、少しだけ得意げな。



 ……だれ?



 思い出そうとすると、イメージはほどける。



 代わりに、目の前のそれが、はっきりと結び直された。


 水じゃない。


 けれど。


 あれは、進むための形だとわかる。


 船底を、うっすらと光の筋が走った。

 鋭い中心線に沿って、白い粒が流れる。

 集まり、ほどけ、また集まる。


 まるで、見えない水流をなぞるみたいに。

 けれど、それは浮くためのものではなかった。

 何もない虚空を、ただ“掴んでいる”


「来たな」


 ハルジオン殿下の声に、我に返る。


 船底のようなそれが、音もなく降りてくる。

 地面に触れないまま、一定の高さで止まった。


「この“星”の乗り物よ」

 ナナリエはもう完全に、私を異星人扱いしている。

「星の磁気の波に乗る車なの」


 いや、ここは船と訳した方がいいかな?

 でも、なんていうか……


「乗れ。送っていくぞ」

 ハルジオン殿下が軽く顎で示す。


 その言い方が、カノジョとその友達を高級車で迎えに来たキザな彼氏すぎて、

 もはや、この乗り物は車にしか見えなかった。


 ……これは、車だ。


「歩いて駅に行こうと思ったのに」

 ナナリエが不満そうに言う。

「これ、安定しないから苦手なの」

 私に愚痴る。


 ハルジオン殿下が背を向けている隙に、ナナリエがぶつぶつと解説してくれた。

 この“車”は限られた人にしか扱えないけど、“列車”は誰でも乗れて、乗り心地も安定しているという。


 磁力の力を利用して走る列車らしいので、私はリニアモーターカーかな、と解釈した。


「アンリにも“列車”の技術を見せたかったのに」

 そう言いつつも、当たり前のように車に乗り込む。


「あれは磁力の濃い線の上しか走らないだろう。遠回りだ」

 ハルジオン殿下が呆れたように言う。


 低く浮いた車の側面が、音もなく開いた。

 足をかけた瞬間、私のみぞおちが不安を訴えた。

 ——高いところから谷底を見下ろした時や、ジェットコースターで落ちる直前によくなる、あの、みぞおちのふわっとしたやつ。


 地面に触れていないというだけで、こんなにも足場が頼りなく感じるものなのか。


 中は、思っていたよりも“車”に近かった。

 座席と、視界を大きく取った窓。でも——


「……ハンドル、ないんですね」


 ハルジオン殿下が前方に座ったので、私はナナリエについて後方に座る。


「なんだ、それは」


 殿下は適当に返事をしながら、右手の中指の環を軽くかざした。


 耳の奥で、あの細い音がまた鳴る。


 次の瞬間。


 ——ふわり、と。


 浮いた、というよりも。

 地面との“つながりが切れた”って感じ。


 思わず息を呑む。

 遅れて、身体がわずかに沈み込むような感覚。


「最初は揺れる」


 ハルジオン殿下の声。


 その直後だった。


 視界が、流れた。


 加速、というには滑らかすぎる。


 押し出される感覚がないまま、景色だけが後ろへ引き剥がされていく。

 石畳が、建物が、人影が、

 すべてが線になって、後方へ流れていく。


「速い……」


 風を切る音が、鼓膜の裏側でずっと遅れて鳴っている気がする。

 景色が線になって後ろへ溶けていくのに、車内だけが静止した部屋みたいに静かすぎて、逆に耳が痛い。


 怖い。


「……これ、どうやって……進んでるんですか」


 ハルジオン殿下は前を見たまま答える。


「磁気の流れを掴んでいる」


「流れ?」


「この国の磁場は均一じゃない。濃いところと薄いところがある。そこに“勾配”ができる」


 言葉を選ぶように、少しだけ間を置いて。


「それに乗る」


 乗る。


 その一言が、妙に腑に落ちた。


「あー……」


 なるほど、と思ったのだ。


「じゃあ、あの白い粒みたいなのですか?」


「……何?」

 ハルジオン殿下の声が少し低くなった気がした。

 

 説明したくて、私は窓の外を指さした。

「さっきから、なんか、こう……流れてるやつがあって……」


 言いながら、自分でもうまく説明できていないのがわかる。


「細かいのが、集まったり、ほどけたりしてて……」


 でも、見える。

 空気の中に、うっすらと。

 白い、粉のようなものが。


 一定の方向に流れている場所と、

 渦のように滞っている場所がある。

 その“筋”に沿って、車は動いている。


 「……それが見えるのか」

 初めてハルジオン殿下が振り返った。


 「速くて線みたいですけど……」

 上手い説明ができなくて、申し訳ない気持ちで殿下の顔を見た。


 でもハルジオン殿下とは視線は交わらなかった。


 視線はナナリエに向いていた。


 ハルジオン殿下とナナリエの視線が、一瞬交差した。


 ナナリエは何も言わない。


 私にも、何も。



 沈黙。


 ほんの一瞬。



 不意に、ハルジオン殿下の声が低くなる。


「ここから先は、少し荒れる」


 その言葉の直後。


 視界の“流れ”が、歪んだ。

 白い粒が、一瞬でばらける。

 車体が、わずかに沈む。


「うわぁっ」

 間抜けな悲鳴をあげてしまった。


 次の瞬間、

 今までとは違う、はっきりとした加速が来た。


 身体が、遅れて引かれる。


「……!」

 もう悲鳴も出ない。


「言っただろう。安定している場所しか通らないのが、“列車”だ」

 ハルジオン殿下は視線を前方に固定したまま言った。

「こっちは違う」


 車体が、乱れた流れを切り裂くように、前へ出る。


 白い粒が、弾ける。

 沈みかけた感覚が、一気に持ち上がる。

 怖い。


 けれど。

「……すごい」


 この技術と、不思議な体験に私は興奮していた。


 だから気づかなかった。


 ナナリエの瞳に影が落ちていたことに。


 そして、その視線は、前ではなく——

 ほんのわずかに、私へと向けられていたことに。

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