第19話 接ぎ木の迷宮
通りのざわめきの中で、話題はいつの間にか、さっきの“系譜照合”に変わっていた。
なかば強引に幕引きをしたことについて、ナナリエの意見を確認したかったようだ。
なんとなく引っかかっていた疑問を、私はそのまま口に出す。
「でも……系譜って、一度ちゃんと確認したら、あとは継ぎ足していくだけじゃないの?」
一瞬の沈黙があった。
「移動できるんだ」
口を開いたのは、ハルジオン殿下だった。
「個人の意思でな」
「……移動?」
聞き返すと、今度はナナリエが引き取った。
「職業選択の自由よ」
当然のことのように言う。
「カレンダエでは、十二の家門それぞれに“役割”があるでしょう?」
私は頷く。
神殿、学術、武門……
えーと、全部は知らないけど、とりあえず十二宮があると言っていた。
この国の構造を支える枠組み。
「本来は、生まれた家門の役割を継ぐ。でも、それは“義務”ではないの」
ナナリエは少しだけ言葉を選んでから続けた。
「別の役割に就きたい場合、その人は“所属そのものを移す”の」
「……所属を、移す?」
「そう。血筋は変わらないけど、“どの家門の一員として扱うか”は変更される」
なるほど、と言いかけて、止まる。
「それじゃあ、系譜が……」
頭の中に、家系図が浮かぶ。
ほら、あの——枝分かれしていく、木みたいな図。
祖父母がいて、親がいて、そこから子どもに分かれていく、あれ。
でも、それが……。
「ぐちゃぐちゃよ」
ナナリエが先に言った。
なんとも身も蓋もない言い方。
「生まれた家門の系譜と、所属している家門の系譜がズレる。さらに世代をまたぐと、枝分かれが増えて、どんどん複雑になる」
「しかも」
ハルジオン殿下が、淡々と補足する。
「移動は一度とは限らない」
「……え」
「適性や状況で再移動する者もいる。記録上は“どの時点でどの家門に属していたか”を追う必要がある」
頭の中で、“木の枝”構造の図が崩れていく。
一本の系図じゃない。
途中で枝が移動して、別の木に接ぎ木される。
それは……
「照合、大変じゃないですか」
思わず本音が出た。
「大変ね」
ナナリエは他人事のように頷いた。
「だから本来は、時間をかけて一本ずつ辿る。
でも今は暫定的に最も整合性の高い枝に接続し、注記をつける。儀式が終わった後、再照合して正しい位置に戻す」
「……まったく、面倒な制度だ」
ハルジオン殿下が、珍しく感情の乗った声で言った。
ほんのわずかに、眉を寄せている。
「百二十年前、『旧体制の殻を壊す』と理想に燃えた連中が、実務を無視してまで通した妥協の産物だ。当時の議会に私がいたら、こんな穴だらけの法案、突き返していただろうな」
吐き捨てる、というほど強くはない。
けれど明確な、不満だった。
百二十年前に体制の変革があったのかな……?
質問を挟むまもなく、ナナリエが応じる。
「当時は必要でした。家門の固定化を崩すために」
「わかっている」
殿下は苦い顔をした。
「だから通った。人の流動を確保するための制度だ」
視線を少しだけ遠くにやる。
「王族に生まれたのに医者になると言って飛び出していったジャジャ馬もいるしな」
「……お転婆でしょ」
ナナリエが即座に言い直す。
「実の姉上をそんな風に言うべきではありません」
「事実だろう」
悪びれもない。
「だが、“動かせる”ようにした結果、“追えなくなった”」
短く言う。
「自由は与えたが、記録がそれに追いついていない」
「だからお兄様は、今こうして現場に無茶を言ってるわけですね」
「調整していると言ってほしいな」
わずかに口元が緩む。
冗談めいているのに、否定にはなっていない。
「制度は変えられない。少なくとも、今すぐにはな」
淡々と続ける。
「ならば運用で歪みを抑えるしかない」
そこで一度、言葉を切る。
「……本来なら、こんなやり方は好ましくないが」
その一言だけ、ほんの少しだけ低かった。
少しの沈黙。
通りのざわめきが、妙に遠く感じる。
——ふと、
ハルジオン殿下の視線が、こちらに滑った。
「ところで」
何気ない調子で言う。
「カレンダエの国民なら、当然知っている知識だが?」
わずかに、目が細くなる。
試すような、確かめるような視線。
心臓が、ひとつ跳ねた。
私は一瞬だけ言葉を探して——
「ええと……」
曖昧に笑ってごまかすしかなかった。
ナナリエが、軽くため息をつく。
「みんながお兄様みたいに法典を暗記してると思わないでください」
「私が?まさか。暗記しているのは君だろう、ナナリエ」
「……それが仕事なので」
ハルジオン殿下はそれ以上追及しなかった。
ただ一度だけ、こちらを見て——
何かを測るように、視線を止める。
それから、すっと外した。
「まあいい」
興味を失ったように言う。
でも、たぶん違う。
完全に“保留”された。
そんな感覚が残る。
通りのざわめきが、また現実に戻ってくる。
この人……、
蜂蜜色の笑顔に、全てを隠せてしまう人なのかもしれない。




