第18話 焼き鳥と琥珀糖
石畳の通りに出ると、庁舎の静けさとは打って変わって、人々のざわめきが広がる。
商店が軒を連ね、布や果実や、見たことのない加工品が並んでいる。
「王都ほどじゃないけど、この通りもそれなりに揃っているそうよ」
ナナリエがどこか気の抜けた調子で言った。
たしかに揃ってはいる。
けれど彼女はどの店にも特に興味を示さない。
通りすぎる。
また通りすぎる。
あの、焼き鳥みたいなの美味しそうな匂いなのに……
茶色いタレ……この星に、醤油とかあるのかな……?
ナナリエは本当に食に関心ないんだなあ。
思い出すのはこの3週間の食事。
栄養は整っている。無駄もない。
けれど——驚くほど、味気ない。生きるための食事という感じ。
と、そのとき。
「ずいぶんと楽しそうだな」
聞き覚えのある声が、背後から投げかけられた。
振り向くより先に、空気が少しだけ整う。
人の流れが、自然に道を空ける。
そこにいたのは——
やっぱり、場の中心に立つのが当たり前みたいな人だった。
「ハルお兄様」
ナナリエが軽く会釈する。
その隣で、私はほんの一瞬、息を詰めた。
視線が合った、気がした。
いや、正確には——
“測られた”。
お風呂には毎日入るようにしているから、もう臭くはないし、
服もナナリエに借りたものを着て、長いごわごわした髪の毛も三つ編みにしている。
だけど……
この琥珀宮に限っては、この、黒い髪も、黒い瞳も、まだ一度も目にしていない。
おそらく、この世界では異質なはずの存在を、彼は一瞬でなぞった。
ほんのわずか、蜂蜜色の目の奥が険しくなる気配がした。
でも、次の瞬間——
「そなたがナナリエのお気に入りか」
やわらかな笑みが、すべてを覆った。
「えーと、アンリと言います……?」
私は躊躇した。
この身体の持ち主の名前を知らないから。
ナナリエの言う通り、早くこの身体の身元を確認した方がいい。
「瑠璃宮の当主から聞いている」
彼が頷くと、金糸の髪がさらりと揺れた。
「叔父上から?何を」
ナナリエが眉をひそめた。
「素性のわからぬ者と私室を同じくするほど、熱を上げていると」
笑顔。でも語気は強め。
「侍従の進言も聞かないそうじゃないか、ナナリエ?」
「アンリは私の客人です」
あ、客人なのか。
友人じゃなくて。
——その言い方が、少しだけ引っかかった。
「客なら——」
ハルジオン殿下の視線が、再びこちらに向いた。
蜂蜜のような甘い笑顔。
「——きちんと歓待すべきだと思うがな」
ハルジオン殿下は軽やかに背を向け、商店の一角に一歩近寄った。
「香ばしく焼けている。店主、腕がいいな」
とお店のおじさんに笑顔を向けると、あの良い匂いの焼き鳥を一本買った。
肉が大きくて、茶色いタレがつやつや照っている。
焼き鳥というかクールなダディのバーベキューサイズ。
よ、よだれが……。
「食うか?」
と、ナナリエに聞く。
「私は……そういうのは」
ナナリエの眉間がどんどん険しくなる。
「冗談だ」
ハルジオン殿下は満足気に笑って、焼き鳥の串を私の方へ優しく突き出した。
「琥珀宮は老舗が多い。長年の歴史に裏打ちされた逸品揃いだ」
「あ、ありがとうございます……?いただきます……」
躊躇いの言葉とは裏腹に、私の腹は正直なので、口の中はよだれでいっぱいだった。
「ここに来てから、まともなものを食べていないだろう?」
ん?
さっそく焼き鳥を食べ始めた私が卑しく見えたのだろうか。
醤油というよりオイスターソースに似ている。甘くて美味しい。
「ナナリエは栄養効率しか見ない。味の優先順位が低すぎる」
ハルジオン殿下は妙に上機嫌だった。
「……否定はしません」
対照的に不満気なナナリエ。
その険しい眉間の前に、すっとハルジオン殿下が小さな瓶を差し出した。
「あ……」
ナナリエの息が漏れる。
瓶の中には透き通るカラフルなシーグラスのようなものが入っていた。
もし、これが食べられるものなら、たぶん、私の知っている“琥珀糖”だ。
「好きだろう?」
ナナリエはハルジオン殿下には答えずに、じっと、きらきらした結晶を見つめている。
「ナナリエは甘いものしか食べないからな」
やれやれ、と肩をすくめながら、ハルジオン殿下はナナリエの手に小瓶を握らせた。
ナナリエは何も言わずに瓶を開け、琥珀糖をひとつ口に入れた。
「甘い……」
不機嫌そうに言う。
美味しいでもなく、ありがとうでもなく、ただ、甘い、と。
この感情の乗っていない言葉のチョイス。
でも、なんだろう、
なんか、
「かわいい」
しまった。心の声が出てしまった。
ふふっと吹き出す音が聞こえた。ハルジオン殿下だった。
「なかなかよく見ているじゃないか」
あ、優しい表情。
既視感がある。
お茶会の時、ナナリエがハルジオン殿下の話をしていた時の、あの柔らかい表情。
「お二人は、もしかして……」
ハルジオン殿下は一瞬意外そうな顔をして、すぐにいつもの王子スマイルに戻った。
「察しがいいな」
王子様は王女様の手を取って微笑んだ。
「私とナナリエは婚約している」
ああ、なるほど。
お茶会の時の、あのお嬢さんたちの、そわそわと色めき立っていた光景が蘇った。
「制度上の都合です」
水を差すように、ナナリエが短く早口で言った。
手は握られたままだ。
「王室典範でそう決められているから、成立しているに過ぎません」
「えっ」
変な声が出てしまった。私だ。
言葉の軽さも、表情も、
照れ隠しでもなんでもなく、ただ事実を置いただけというトーンだ。
ハルジオン殿下は余裕そうにナナリエを見下ろしている。
婚約者相手に、その言いようはどうなんだ……?
甘い焼き鳥と琥珀糖のあとに、こんなに塩対応な言葉が飛んでくるなんて。
蜂蜜王子と粗塩王女がこの星の普通の距離感?
それでも、
「気にするな。いつものことだ」
王子様はどこまでも余裕綽々だった。




