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星粒のリテラエ ——異世界転移した文化人類学者、理系王女と最適解王子の“誤差”を観測する  作者: はなちゃん
第二章 蜂蜜色の殿下ハルジオン 〜あなたと私の境界が曖昧な国で〜
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第16話 虹の泉——供養のつもりが、餌だった

「個体記録の照会は王都でもできるから」


 ナナリエはそう言って庁舎を出た。


 どうやら私の戸籍を照会しようとしていたらしい。


「私ももう琥珀宮での公務は終わったから、ここに用はないの」


 琥珀宮政務院の混雑状況から、ここでの照会は見送ることにしたのだ。


 どうもこの琥珀宮はこの国で一番古い都市らしく、

 結環の儀という由緒ある祭典の所轄であるため、今が一番繁忙しているという。


「西は不便だから」


 ナナリエはつまらなそうに言った。

 こんな素敵な街なのに彼女はあまり関心がないみたい。



 これからカレンダエの首都、——ナナリエは王都と言っていた。そこへ行くという。


 私たちは、蜂蜜色の門をくぐって庁舎敷地外に出た。


 街に出るまでの道は緑地公園のようで、ゆるやかな遊歩道だった。

 

 散歩をする人たち、ベンチで陽に当たっている人たち、

 そして、花を抱えて木々の向こう側へ消えていく人たちがいた。

 

 「あっちに何かあるの?」


 見えない木々の向こう側が気になった。

 見えないと、見たくなる。


 「ああ、向こうには……」


 ナナリエはすぐには答えなかった。


 「あなたの星に、あるものかしら」


 さっきの“環”と“晶盤”の説明の時から、ナナリエは私の文化背景を気にするようになっていた。


 「えーっと、用途は?」


 ナナリエは少し考えてから言った。


 「循環……?」


 珍しく、疑問系。


 循環ってなんだ?浄水場かなにか、か?


 ナナリエは無言で林の中へ入っていった。

 街の喧騒は遠くなり、心地よい風が、木の枝と私たちの髪を揺らす。


 水の音。

 

 やっぱり浄水場?


 違う、


 聞き覚えがある。


 水の湧く音。


「虹の泉……?」


 目の前に広がるのは、あの虹色の泉だった。


 ナナリエと出会った、あの場所。


 透明な水の奥で、ゆらゆらと色が揺れている。

 底が見えないのに、不思議と静かで——目を離せない。


「……ここ、何?」


 ナナリエは優しさフィルターを諦めたように話し始めた。


「ここは、脈が止まって、呼吸が停止し、蘇生不能と判断された個体を——」


 重い単語を、無表情で淡々と並べるナナリエ。

 いや、優しさフィルター再装着してほしいな……


「——循環へ戻すための分解の場所よ」


 蘇生不能。

 

 循環に戻す。


 蘇生不能って言ったよね?

 戻すって、なにに?

 まさか。

 死んだあと、もう一回、動く……?

 いやいやいや。

 それって、

 ゾンビ的な?

 いや、でもゾンビって腐ってるよね?

 ここ、分解って言ってるし……

 え、じゃあ何?スープ状のゾンビ?


 思考が変な方向に滑る。


「蘇生不能な人を、蘇らせるってこと?」


 私は恐る恐る聞いた。

 知りたい気持ちはいつも止められないけど、

 人々の死生観に触れるのは、やっぱり慎重になる。


「蘇生不能な者が、再度生命活動を再開させることは不可能」


 ナナリエは表情を変えない。


「蘇生不能な者はここで分解される」


 その表情で、蘇生不能を連発しないで……


「分解された構成要素は、土壌や大気へ再分配される」


 分解。


 再分配。


 理屈はわかる。


 わかるけど——


「じゃあ、ここに入ると……跡形もなく消えちゃうの?」


「跡形もなく消える?」

 ナナリエはわずかに首をかしげた。


「分解されても、“消える”なんてことはないわ」

 瞳に虹が灯る。


「形が変わって、それがまた新たな物質になるのよ」

 淡々としている。


「“消える”なんて、観察者の主観に過ぎないわ」

 怖いくらいに。


「……これって、酸性が強くて溶ける、とかってやつ……?」


 私は理解しようと、必死だった。

 怪しい儀式としてではなく、できれば科学的に。


 ナナリエは一瞬だけ考えて、

「性質として近い部分もあるけれど、それでは説明が不十分ね」

 と、静かに言った。


「これは液体ではなく、分解と再構成を担う生体群よ」


 生体群。


 その単語に、背筋がひやりとする。


「微細な粒子が満ちていて、有機物を取り込み、分解し、別の形へと組み替える」


 さらっと言う。


 さらっと言うけど。


 それって——


「……生き物の中に入るってこと?」


 ナナリエは少しだけ考えて、


「そうとも言えるわね」


 と、あっさり肯定した。


 ぞわっとした。


 その瞬間、


 ——ネイ!


 あの時の声が、頭の中で蘇った。


 私は、はっとして泉を見た。


 両手で水を掬おうとしていた、自分の姿。


 ナナリエに手を掴まれた、あの瞬間。


 もし、あのまま。


 この中に手を突っ込んでいたら。


 皮膚がほどけて、

 中に入り込んで、

 分解されて、

 そのまま、どこかに——


「……!」


 思わず一歩下がった。


「危険ではないわ」

 ナナリエが言う。

「適切な状態で接触すれば問題はない」


 適切な状態って何。


 どういう条件?


 普通に触ったらアウトってこと?


 全然安心できない。


 私の恐怖が冷や汗になって背中を滑り落ちた時、甘い花の匂いがした。


「……ナナリエ様?」


 やわらかな声が、背後から差し込んだ。


 振り返ると、蜂蜜色の環を胸の前でかざす女性が、柔らかく会釈していた。

 花束を抱えている。


「王女殿下ではありませんか」


 あ、昨日のお茶会の——

 名前の聞き取れなかった——


「……マトリカリア」

 ナナリエが名を呼ぶ。

 あー!そう、そんな感じの名前。覚えられない……!


 マトリカリアはおっとりと「ケセラン」と言い、

 ナナリエと私が「パソラン」と応じると、ゆっくりと泉へと視線を向けた。


「お参りにいらしたのですか?」


「いいえ。説明していたところよ。蘇生不能な個体を分解する場所」


「まあ……」


 マトリカリアは静かに頷いた。


「この泉は、とてもよく“還る”場所ですものね」


 還る。


 その言葉に、背筋が少し冷える。


「分解も、均一に進みますし」


 おっとりとした口調でナナリエに同意している。

 そういえばお茶会の時も、この子はずっとナナリエの言葉を肯定し続けていた。

 ——どんな話でも、迷いなく。

 

「個体差はございますけれど、最終的には皆、同じようにほどけていきますの」

 

 ほどける。生々しい。


 というか、どこまでもナナリエに合わせてくるな、この子。

 どんな理屈にも即座に首を縦に振る。……この子、肯定のプロだ。もはや肯定陛下と呼びたい。


「痛みは?」

 気づいたら聞いていた。


「ありませんわ」

 優しい声。

「循環に戻るだけですもの」


 ナナリエも頷く。


「機能的にも、そのように設計されている」


 設計。


 設計って言った。


 私はもう一度、泉を見た。


 綺麗だ。


 信じられないくらい綺麗で——


 だからこそ、余計に怖い。


 マトリカリアは花束を胸に抱き直した。


「簡単に言いますと——」


 俯き加減に、ふふっと笑う。


「死者を弔う場ですわ」


 ……ん?


 数秒遅れて、理解が追いつく。


「……いや、お墓じゃん」


 ナナリエがわずかに首をかしげる。


 マトリカリアは、柔らかい笑顔を花束に向けて、泉にそっと投げ入れた。


 ……あ、お花を手向けてるんだ。


 ちゃんと弔いの場なんだ。

 泉の脇に供えるんじゃなくて、泉の中に入れるんだ。


 ……などと、一瞬優しい気持ちを取り戻していた時、


「セルロースね。炭素源として適切よ」


 ナナリエがまたもや情緒のないことを言った。



「人間の構成物質だけだと偏るのよ」


 なんの話が始まったんだ……?


「水中の微生物の代謝効率が落ちる」


 あ、この虹の泉は微生物が住んでるんだっけ……?

 肉ばかり食べずに、野菜も食べろってこと?


「だから、植物も定期的に入れる必要があるの」


 ナナリエの瞳も虹色。もしかして……ここにも……?


「でないと、泉が濁るわ」


 満足気に、虹の瞳は瞼の中に隠れた。



 ああ。


 ——違う。


 供養じゃなかった。

 餌だった。


「ね。マトリカリア」


 ナナリエは肯定陛下に肯定を求めた。


 肯定陛下は少し引き攣った笑顔で、


「……まあ、そういう面もございますわね」

 と、職務を全うした。


 投げ入れられた花はまだ形を保ち、

 虹色の水面が、静かに揺れていた。


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