第15話 蜂蜜色の殿下
広間に、低く、澄んだ声が響いた。
ざわめきが消え、人の流れが割れる。
現れた人物の放つ圧倒的な「圧」に、周囲の空気が一段引き締まった。
光に透ける金色の髪に、蜂蜜色の瞳。
すらりと高い背に、白い装束が映える。
上衣は和装を思わせる深い前合わせの長丈シャツで、膝元まで流れる裾が、歩みに合わせて鋭く空気を切る。
その下には、対照的に脚のラインを際立たせる白いスキニーパンツ。
余計なたわみ一つないそのシルエットは、徹底して無駄が削ぎ落とされている。
そして肩から流れるのは、瞳の色と同じ、蜂蜜色のマント。
これは——琥珀の色?
「春うらら」
ナナリエが突然、俳句を読み出したのかと思った。
あ、たしか、春と麗らは季語が重なってるからダメよ、と吉野さんに言われたっけ。
え?吉野さんって誰だっけ。
いや、今、それはどうでもいい。
「ハルジオン殿下……」
課長(か、どうかは知らないが)らしき男性が恐る恐る近寄った。
ハルジオン殿下。
あ、これが噂の……
——理想を言い過ぎる
——でも、判断は正しい
カリスマ鬼畜経営者……
“はるうらら”、そうか、ハルお兄ちゃんって意味だ。
ナナリエが「ウララ」は「兄」という意味だと、以前言っていたんだった。
内心で呟く私の前で、ハルジオン殿下は足を止めることなく課長(らしき人)に問いかけた。
「報告を。滞留の規模は」
「は、はい……。結環の儀に向けた系譜照合に八割の人員を投入しております。
残る二割で一般戸籍を対応しておりますが、申請から環への登録完了まで三日の滞りが発生しており……」
「三日だと?」
ハルジオン殿下の眉が、わずかに、しかし不快そうに寄った。
「本来であれば即日付与されるものだと、理解しているのか?」
「おっしゃる通りです……はい」
「人員配置が非合理的だ」
彼は窓口の列に並ぶ人々を、その鋭い眼光で見据えた。
たしかに、並んでいる人たちの様子がばらばらだ。
申請に来た人と、処理が終わった後に登録に来た人。
本来は一度で終わるはずの手続きが、二つに分かれて、同じ窓口に流れ込んでいる。
列がぐちゃぐちゃだ。
「この列にいる者の目的は何か」
「……大半は、季節労働の許可申請や、出生に伴う給付の申請です。これらは照合が済まないと決済できませんので……」
「ならば話は早い。それらは『事後承認』に切り替えだ。窓口では一律で暫定許可を付与しろ。精査は儀式の後に回せ」
課長(っぽい雰囲気の人)が顔を青くした。
「し、しかし殿下、それでは不正受給や不備の懸念が——」
「この列に並ぶ民の、『今日という一日』を奪う正当な理由にはならない」
静かな、しかし有無を言わせぬ断定だった。
「環の記録は残る。不正は後からでも追える」
ハルジオン殿下はカウンター奥の、血統確認の待合に視線を移した。
「系譜照合も同様だ。過去三代に遡って変動がない家系は、照合を省略し確認済みに。疑義があるものだけを抽出して私の机に上げよ。……責任は私が取る」
ええー。省略しちゃうんだ。
お祭りのために家系図確認するほど、血統重視の国っぽいのに、それ後回しにしていいの?
「……殿下が、直接?」
「そうだ。責任の所在を明確にすれば、そなたたちは手を動かせるだろう。本日中にこの滞留を解消するんだ」
あ、これは……
ただの無茶振りではないかもしれない。
ハルジオン殿下は、彼らが「失敗を恐れて停滞している」ことを見抜き、その恐怖を自らが肩代わりしようとしている……のかも?
「……承知いたしました! 直ちに配置換えを!」
現場が弾かれたように動き出す。
窓口では次々と暫定許可の登録がされ始めた。
手渡すものはない。ただ、環をかざした瞬間に処理が完了しているようだ。
滞っていた人の流れが、堰を切ったように動き出す。
ハルジオン殿下はそれを見届けることなく、踵を返した。
すれ違いざま、彼はナナリエに向けて、ほんのわずかに頷いた。
その視線の端で、私を確認された気がした——けれど、確かなことはわからない。
嵐が去った後のような広間で、ナナリエが小さく溜息をついた。
「……相変わらず、理想を言うのが好きね」
ナナリエが、呆れたように、けれどどこか毒気を抜かれたような顔で呟く。
「……この国で不正は“隠せない”。だからできるの、ああいうやり方」
これは私への説明だ。
ナナリエは、私の違和感を見抜いて先回りして補足してくれたようだ。
……ああ、なるほど。
“後で必ず追える仕組み”があるなら、今止める必要はないのか。
「でも、おかげでみんな明日から自分の生活に戻れそう。……『今日という一日を奪うな』なんて、そんな傲慢な正論、お兄様にしか言えない」
私は、テキパキと動き始めた庁舎を眺める。
窓口で許可登録を終えた母親が、安堵して子供を抱き直す姿が見えた。




