閑話〔第十七話〕 エスタテ辺境伯の苦悩(3)
その日、エスタテ辺境伯のステムは辺境領北部の兵を送り出した。
前ナリマ領主のバズク・ノーヴ・エスタテに指揮権を預けたことで時間が少し生まれ、久しぶりに優雅に昼食を取っているとき、獣人の子供らが拉致されたことを知った。
ステムは騎士団に拉致された獣人の子供らがどこに連れて行かれたのかを探らせた。
すぐに犯行がハラグロ子爵の雇った傭兵によるものと判明した。
ハラグロ子爵を呼び出し、獣人奪還の準備を進めている所にレプス男爵家から救援要請が届き、向かった騎士団の報告に頭を抱えた。
補佐を命じられたナリマ子爵、フィーン・ノーヴ・エスタテはステムに声を掛けた。
「この傭兵の隊長の証言が正しいかどうかだな」
「査察官は証言すれば、すべての罪を免除すると取引を持ち掛けた。私が保護する難民に手を出したのだ。相応の罰則が与えられる。雇い主のハラグロ子爵が非を認めた以上、傭兵への刑罰は免れない」
「それを免除するという取引か」
「儂の面目を潰したので奴隷落ちだ。それが無罪放免にすると言われてすべてを自白したそうだ」
「金で雇われる傭兵は信用できないか。偽証している可能性は?」
「ない。査察官には『真実の瞳』という杖を与えている。偽証すれば、その場で死刑となるので割が合わんな」
「そうなると、レプス男爵の娘が独断で密約を交わした問題ですか」
「読んでみよ」
「宜しいのでしょうか」
「読んだ方が早い」
ステムはフィーンに報告書を渡した。
フィーンは十歳の娘が傭兵を鎮圧したという報告を疑っていたが、読み進めるフィーンの顔が険しくなってゆく。その娘はハラグロ子爵と密約を結ぶと、奴隷契約書を独断で焼失させ、その罪の隠蔽に協力したと書かれているからだ。
ステムはレプス男爵の判断ではなく、娘の独断という点が気になった。
「傭兵の頭では密約の内容が理解できなかったようだが、二人が密約を結んだのは確実だ。証拠となる隷属具と獣人の子供がそう証言している」
「獣人を労働力として得る為の障害を排除したと書かれていますが、レプス領はそれほど酷い場所なのですか」
「噂くらいは聞いているだろう」
「冬の厳しさに冒険者らも撤退するほど、過酷な場所と聞いております」
「その噂は間違いではない。入居させた当初は酷かった。冬を越せず、兵や農奴に被害者が出た。毎年のように欠損を補充していた。男爵家の家令も辞め、侍女は一人が残ったのみ、料理人、家人もすべて辞めた。募集しても集まらず、派遣した執事から、使用人の費用分を食料費に回して欲しいと頼まれた」
「では、使用人は侍女一人のみですか」
「そうなる。貴族とは思えない生活をレプス男爵の子供らに強いたのは間違いない」
「恨まれて当然と」
「いずれはハラグロ子爵の後ろ盾であるワハス公爵家の傘下に入りたいと言ったとか」
「レプス男爵家も今後は用心する必要がありますな」
「無用だ。少なくとも現男爵が当主の間は無用だ」
「そうなのですか」
「そうだ。だが、その娘は七歳から騎士団に参加して、レプス男爵家を発展させた立役者の一人だ」
「七歳から……驚くしかありません」
「派遣した執事の報告によると、腹を空かせて森の草や木の実を食べ、腹を下し、高熱に侵されて育った野生児らしい」
「野生児? ハラグロ子爵に交渉を持ち掛けた娘と同一人物なのですか」
「それは儂が聞きたいくらいだ。だが、北の辺境に押し込めたのは事実であり、恨まれていても仕方ない」
レプス男爵の娘はハラグロ子爵と交渉して獣人の子供らの返還に同意させた。
それがハラグロ子爵を説得する為の詭弁なのか、本心なのか、どちらとも判断がつかない。
違法の奴隷契約を結ばせた嫌疑があった為に報告を待った。
待った結果、ハラグロ子爵の子息が獣人の子供と奴隷契約を強引に結ばせた証拠は揃った。
だが、レプス男爵の娘はその場で事実を否定している。
ハラグロ子爵の家人と傭兵と獣人はすべて平民であり、貴族を告発する証拠となり得ない。
交渉を持ち掛けたレプス男爵の娘がいう思惑通りであった。
すでに窓の外も暗くなっていた。
これ以上の証拠が集まらないと判断し、ステムはハラグロ子爵を呼び出した。
「まず、この度はお騒がせ致しましたことをお詫び致します」
「儂は言ったはずだ。二度と騒ぎを起こすなと」
「愚息の教育を間違えておりました。お詫びとして金貨千枚を献金させて頂きましょう。秋になりますが……」
「金で和解を望むとか、露骨過ぎるぞ」
「どんなに綺麗ごとを言っても所詮は金です」
「そうか、好きにするがよい。春は魔族が攻めてくるので大変なのだ。察してくれんか」
「申し訳ございません。すでに多額の支出を行いましたので金庫が空でございます」
「ぬかせ」
「どうやらワハス公爵様は私を切り捨ててでも騒ぎを起こしたいようです。嘆かわしいことですが、私も駒の一つだった。私は閣下との関係修復を望んでおります。ご一考ください」
「儂はここでお主を潰しておきたい」
「どうやって?」
「レプス男爵家の娘が証言してくれた」
「あり得ませんな」
「何故、そう思う」
「あの者は立派な淑女でした。閣下とやんごとないお方の立場を理解し、私の安全、自領の利益を提示しました。閣下が取れる選択は三つしかありません。一つは私に頭を下げて、やんごとないお方の軍門に下る。あるいは、その対立者と組む。そのどちらかを取れないならば、小さな淑女の提案を飲むしかありません。閣下が面談を望んだ時点で、選択肢は二つに絞れました」
「聡いな」
「他の者にどう罵られようとも、金の匂いを嗅ぎ間違えたことがございません。あの小さな淑女は嘘を言っておりました。ですが、私は仲間の方々にこう言いましょう。あの穢らわしい獣人共は北の僻地へ追いやられた。そのまま北の果てで朽ち果てればよいのだと」
ハラグロ子爵がニッタリと笑うと、その醜悪な面構えがさらに醜くなり、手を揉みながら巨体を揺らす姿にステムは嫌悪感が増した。
エスタテ辺境領でレプス男爵家の発展を知るものは少ない。
レプス砦の北で香辛料や果実の発見で沸いているが、それをレプス村の改善に繋げる者はいない。
ステムも村の発展の為に出していた支援金が返還された以外は何も知らされていない。
詳しい話は今年の秋にすると焦らされていた。
だが、ステムはレプス男爵家の人柄をよく知っている。先日の対面でレプス男爵家の自信の表れから確信していた。
ハラグロ子爵は金のニオイだけで察したというのだから驚くしかない。
ステムはそれ以上の追及を止め、ハラグロ子爵に退出を命じた。
「ご配慮、ありがとうございます」
「この貸しは大きいと思え」
「子爵家の廃絶もあり得ました。しかし、やんごとないお方に逆らえば、同じことでございます。お味方になれませんが、閣下の為に尽くさせて頂きましょう」
「捕らえている家人はどうする」
「私を裏切り、家令に従った者はご随意に。何も知らなかった者を返して頂けるとありがたいと思っております」
「わかった」
ステムは言葉を発することもせず、手を払った。
ハラグロ子爵が退出すると、醜悪な子爵の残像を払拭するように茶を一口啜る。
次に現れるのは、その醜悪な男を言葉一つで手玉に取ったという『野生児』……レプス男爵家とその娘が入ってきた。そして、レプス男爵家も謝罪からはじめた。
「急な事態ゆえ、辺境伯様に連絡もできず、お騒がせいたしましたことをお詫び申し上げます」
「うむ、一報は欲しかったな」
「申し訳ございません」
「だが、事態は把握しておる。だが、其方が獣人の子供と親しくしていたのは意外であった」
「私ではなく、娘のイルターの知り合いです」
「人違いで話し掛けたと聞いている。それだけで親しくなれるものか」
「…………」
ステムの質問にレプス男爵家の言葉が途切れた。
そこに娘のイルターが口を挟む。
紹介もされぬうちに言葉を発するのは礼儀違反となり、ステムは躾がなっていない子供が嫌いだった。しかし、レプス男爵家が貴族らしい言い回しで質問を避け、娘のイルターに振る姿が想像できなかった。狼狽して娘に助けを求めるのは、貴族として恥ずかしい。
娘は父の失態より無礼な子供と見られる方を選択したのだ。
「無礼を承知に発言させて頂きます。お父様は何も知りません。私が知らせておりませんでした」
ステムは娘イルターが非凡であると悟った。
下級貴族の普段着であったが、まったくぶれない背筋を伸ばした姿勢が美しい。
完璧な貴族令嬢を演じていた。
厳しい質問にも泰然として答え、ステムは「ほぉ」と声を上げた。
その娘イルターの視線は揺るがない。
ステムは報告書に書かれていた『人柱』の文字を取り上げた。
獣人を死ぬほどこき使い、その屍の上にレプス領を発展させると受け取れる文脈であり、話を聞いていた傭兵すら、娘イルターの残虐さに嫌悪したと語っている。
巷に流れるレプス領の過酷さを準えれば、獣人の半数以上が寒さと飢えで死に絶えると聞こえたのだろう。
ステムの問いに娘イルターはぞっと凍り付くような目を見せた。
「どうやらおしゃべりな方がいらっしゃるみたいです。主に不利となる証言をする者は信用できないと思います」
ステムの背中に冷たい汗が流れるのを感じながら質問を続ける。
娘イルターの目がステムを見据え、その冷たい視線に思わず跪きたくなる衝動を抑えた。
まるで王妃に報告するときのように思えた。
ステムは王の妹を妻に迎えており、準王族として王宮に上がる。
上流階級の令嬢と多く接してきた。
だが、敬意を払いつつも優しく冷たい視線で威圧するのは王妃であり、完璧な女性であった。
実兄であるラティラ公爵に対抗できる唯一の存在であり、王家を支えているのは王妃の力量であった。前ラティラ公爵が王家を乗っ取る為に用意した最強のカードが現王妃であり、実際に王は王妃の言いなりにされた。ただ、前ラティラ公爵の思惑とは違った。
王妃が誰よりも王国を思うお方であり、王妃になった瞬間に手の平を返すように、前ラティラ公爵を失脚させて王家の権威を復興した。
ステムが知る最強の女性であり、敵も味方も言葉巧みに手玉に取る娘イルターの振る舞いはそれを彷彿とさせた。
「貴族と名乗った私を襲いました」
娘イルターは自白による減免措置が施されたと察すると、“貴族を襲った”という罪を上乗せしてきた。確かに、平民が貴族を襲えば死罪は免れない。
傭兵をすべて「死罪にしろ」という意味か!
鉄壁にして合理的、冷徹にして残酷、温情と損得を自在に操る……まるで王妃様だ。
だが、被害者である獣人らはレプス領に隔離され、加害者である傭兵と家人は死罪となれば、ハラグロ子爵家とレプス男爵家以外に事実を知るものはいない。
噂のみが残り、事実は闇から闇に葬られる。
この娘は“神の子”、それとも“忌み子”なのだろうか。
見極めねばならんな。
そう考えながらステムは娘イルターと話を合わせた。
娘イルターは獣人すべてレプス領に連れて帰る段取りを求めてきた。
「レプス男爵家は難民の獣人を冒険者として雇いたいと考えております。つきましては、難民の身元保証人になる方を指名して頂き、年齢に関係なく、Ⅸ級冒険者〔見習い〕に登録できる特例を発して下さると非常に助かります」
「難民を雇うことが報告だと」
「ハラグロ子爵は間違いを認め、獣人を解放しました。すべては誤解でありました。問題はすべて解決しました。辺境伯様を煩わせることは何もないのです。それで宜しいのではありませんか」
「儂も謀るつもりか」
「謀るつもりなどございません。すべて辺境伯様の為です。何も起こらないことが最善ではございませんか」
ステムも娘イルターと同感であったが、同時に、否、それ以上に、この娘を野放しにはできない。
そう確信した。
この娘の首に鈴を付けねばならない。
そう考えながらステムは隣にいるフィーンを見た。
フィーンの三男とレプス男爵家のもう一人の娘が同じ年だったな。
ステムは両家を結ぶ婚約の話を持ちだした。
婚約の話に気をよくしたのか、娘イルターは秋の報告の一部を開示した。
辺境領は数年に一度の割合で冷害が発生し、食料不足で頭を抱える。
豊かな南部の援助なしで領地経営ができない。
麦一房十二粒から二十粒しか採れない収穫が、六十粒に爆増すれば、食料問題が解決する。
南部から食料支援を条件に辺境の領主らは彼らに従っていた。
だが、その南部領主の無理難題に嫌悪感を貯めており、その不満は爆発寸前であった。
ワハス公爵への乗り換えもその一つである。
辺境領を治めるエスタテ領主として情けないと自覚していた。
だが、食料が倍増するば……食料問題が解決し、支援金をその他に回せる。
領地経営が楽になる。
開墾と開拓に資金を充て、食料の増産体制に移行できる。
しかも娘イルターは弱兵のレプス騎士団をわずか三年でⅤ級冒険者並みに鍛えた。
六年後、貴族学院を卒業した娘イルターをエスタテ一族の者に嫁がせ、レプス砦の責任者に据え、辺境領の各騎士団を鍛えさせれば……対魔族の戦力も自前で揃えることも。
まるで夢のような話だと、ステムの脳裡に走った。
もう笑うしかない。
領主が夢を語るのは馬鹿げているとわかっていても想像せずにいられなかった。
レプス男爵と娘イルターを退出させると、フィーンに話し掛けた。
「急に婚約を決めて済まんな」
「問題ございません。誰かが内部から査察する必要がございます」
「幸い、家令から料理人まで不足している。信用ある者を使って調べてくれ」
「畏まりました」
「本当に麦一房に六十粒の実がなれば、王国中がひっくり返るぞ」
「南部が欲しがるかも知れません」
「出し惜しみなどせんよ。秋の終りに種を蒔く麦だ。この北国で雪の中で栽培するものなどない。対して、冬場に大豆などを栽培する南部の者らが、それを止めて収穫を増やす利点がない」
「確かにその通りです。ですが、これまで意のままに操れた者らが離反することになります。また、ワハス公爵へ流れた者も辺境伯であられるステム様の元に戻ってくる可能性も高くなります」
「まだ、何も確定しておらん。慎重にことを進めるぞ」
「はい。ですが、レプス男爵、いえ、イルターという娘を放置できません」
「もちろん、取り込む。だが、優秀ゆえに貴族学院に送らねばならん。王妃様はイルターを欲しがるだろうな」
「王妃様ですか」
「優秀なお方だ。あのお方のお陰で王家が持っている。王家の力を復興する為に優秀な者を集めておられる。わかっているので無下にもできん」
「厄介ですな」
「もう一つ頼んでもよいか。魔族の戦いが終わった後に、ナリマ騎士団の一部を派遣し、レプス騎士団と一緒に魔物狩りに従事させてくれ」
「承知しました。レプス男爵家を丸裸にしてみせましょう」
「頼む」
喜びが収まると、ステムはぞっとした。
初めからステムに選択肢はなかったと気付いたのだ。
辺境領の食料事情を一変する提案を、辺境伯であるステムに拒絶などできない。
娘イルターはいつでも合意させる最強のカードを用意していた。
そんな所も王妃様と似ていた。
参ったな。
長い溜息をはくと、そう遠くない未来を思ってしまう。
王妃様と娘イルターは手を取り合えるのだろうかと……それとも。
そこでステムは考えるのを止めて、残っている仕事を手に取った。




