第512話 廃坑道
フォーレの森の中、ヒエロ山を望む小高い丘の上でギルドで渡された依頼票を取り出す。
――久し振りに一人だな。
連れて行けない事にシエルはかなり不満そうだったが、暗く狭い廃坑は最近飛び方を習ったばかりのシエルにとって相性が悪すぎる。
何かあった時飛んで逃げる事が困難になるのが目に見えたので、カミールに頼んで預かってもらい留守番をしてもらう事にした。
「……さっさと終わらせて帰ろう」
シエルだけでなく、行方不明になった銀級の冒険者達の捜索を一人で行ったと知られたら、ヴァネッサ達にも心配を掛けてしまう。
『流石に一人は無茶じゃねぇか?』
『ヴァネッサ達を待っている間に、救助が間に合わなくなってしまったら元も子もないだろう?』
イーロイも俺が一人で依頼を請ける事についてあまり良い反応をしなかったな……安全第一で、迅速に依頼を終わらせよう。
取り出した依頼票を両手で広げ、今自分が立っているセコーヤの木が生えていない特徴的な丘と遠方に聳えるヒエロ山を目印にしながら、依頼票に複写された地図を確認する。
まだ坑道が利用されていた当時の地図なので、細かい部分は違うが……。
――あった。
まだ氷贋鉱の採掘が盛んだった頃に移動と運搬用に切り開かれた道は、人が利用して久しいからか遠い昔に廃れてしまったみたいだが、完全に消えては無かった。
最早何が書いてあったのか分からない程朽ち果てた木製の看板の先に、細い獣道が伸びているのが見える。一度整備された道は幽氷の悪鬼が現れ人がヒエロ山を去った後も森の獣達に利用されていたらしい。
――日没前には廃坑に着きたい……急ごう。
依頼票を丁寧に折り畳んで収納鞄に仕舞い、決して歩きやすくはない獣道に足を踏み入れた。
――――――――
――ここが旧氷贋鉱坑道か……。
ヒエロ山の麓に到達してから更に歩いて二時間。フォーレの森を見下ろす事が出来、その先に在る城塞都市ボルデが眺められる程度の標高。
そんなヒエロ山の中腹よりも手前の岩肌に、明らかに人工的なセコーヤ製の支柱に支えられた大穴が岩肌に現れた。
坑道の入口らしき場所の手前にある空地には、鉱夫達が利用していた物と思われる長屋に掘り出した氷贋鉱を一時的に保管する納屋、いくつかの小屋らしきものが一応残ってはいるが……。
長年放置され、過酷な山の天候に晒されてきた為全て廃屋と呼んでも過言ではない程荒廃している。
かろうじて建物の壁に穴が開いておらず、ぼろぼろながら屋根が残っていた小屋の扉を壊さないように慎重に開くと、小屋の奥に見えた古びた暖炉の周りだけ不自然に整理され火を起こした形跡があった。
注意深く床を観察すると、長い年月を経て積もった埃の上にいくつもの足跡が残っている。
――行方不明になった冒険者達は廃坑にはたどり着けていたみたいだな?
この形跡が冒険者達の物ではなく、第三者の物だった場合にも一応備えるべきと頭の片隅にいれておきながら小屋を出て、もう一度廃坑の入口に戻る。
「……」
廃坑の中を覗き見ると、日差しに照らされた入り口付近からそれなりの傾斜で地下へと延びる暗い坂道になっているのが分かる。
試しに適当な石を拾ってかなり力を込めながら廃坑に投げ入れてみると、即座に廃坑の闇に吸い込まれた小石が何度も地面と衝突する音だけが反響して返って来た。
それなりの回数の衝突音が聞こえた為、廃坑の道は少なくとも数十メートルは途切れず真っ直ぐ地下へと進んでいるようだ。
「厄介だな……」
思わず愚痴を零してしまったが坑道内に極端な高低差があるのは本当に面倒だ。心配なのは、廃坑内に有害な気体が溜まっていないかだ。
前世でも興味本位で洞窟に入った人間が無臭の気体、例えば一酸化炭素を気付かずに吸ってしまい帰らぬ人になったと言う話を聞いた。
この世界では似た様な話を聞いた事はないが、見知らぬ洞窟を見つけても安易に中に入るべきではないのは変わらぬ常識の筈だ。
廃坑になる以前は安全だったかもしれないが幽氷の悪鬼が封印されてから討伐されるまでの間、この山にどんな変化があったのか分かった物ではない。
幽氷の悪鬼と関係のない地殻変動や、その他の要因で廃坑内に変化が生じていてもおかしくないのに、準備も無く中に入るのは流石に躊躇してしまう。
「……」
――行方不明になってしまった冒険者達が事故に遭い、廃坑の中で救助を待っているのであればここで足踏みしている場合じゃないな。
覚悟を決め、坑道の幅と高さよりも若干小さい直径二メートル程の水魔法の球体を自分自身を中心にしながら生成する。
――数学と理科の授業の時、もう少し集中していれば良かったな……。
前世の記憶を無理やり振り絞り、思い出す曖昧な情報に呆れながら思考する。
……球体の体積は四分の三、掛けるπ、掛ける半径の三乗……? だったはずだ。
πの小数点以降なんてもう覚えていないが、この際四捨五入して三で代用しても問題ないだろう……この球体の半径が一メートルだから百センチと考えて……百の三乗は……百万だろう?
四分の三掛けるπは三を代用して、分母を失くせば良いだけだから四のはずだ。それを百万に掛けたら四百万立方センチで、それをリットルに変換するなら……千で割ればいい、はず……?
「四千リットル……?」
過度な運動をしてない場合を除いて、人が一分間に消費する酸素は大体十リットル位だったか……??
自信が無いな……計算や記憶が間違っていた時の事を考えて、消費する酸素が二十リットルだと仮定した場合百分は空気が持つ……のか?
水の球体に捕えた空気が全て酸素ではない事や球体に入っている自分自身の体積、呼吸して吐いた二酸化炭素で酸素濃度が下がる事、諸々他にも間違えてしまっている可能性も踏まえた上で、一時間は持つと考えても良いだろうか……?
「……これ以上無い頭を捻っても意味が無いな……」
自分の無知への苛立ちと未知の洞窟に潜る不安を言葉にして吐き出してから、重い足取りで廃坑の奥へと足を進め始める。
反射の異能を持つクレアと戦った時は追い詰められていたせいか、逆にゴチャゴチャと細かい事は気にせずに彼女を窒息させる大胆な作戦を実行出来たが……自分が窒息しないように気を付けるとなるとこうも話が変わって来るとは……。
「はぁ……」
曖昧な前世の記憶を頼りに、目測と感覚を基準に計算した内容に自分の命を預けている現状に全く安心できない。
全て取り越し苦労で、有害な気体など坑道内に溜まっていなければ良いのだが……。




