第500話 貴族の息苦しさ
「おや?」
「リカルド殿」
ナタリアの部屋を後にしてそりへと戻るためにヴィラロボス辺境伯邸の廊下を歩いていると、何やら大量の書類を抱えながら歩いているリカルドに出くわした。
「シエルさん、デミトリさんと再会できて良かったですね」
「ピ!」
シエルとリカルドは面識がないと思っていたが……ナタリア達と過ごしている間にリカルドと知り合っていたのか。
それにしても……。
「何か気になられてるみたいですね?」
「あ、いや……ナタリア様がシエルの名前に敬称を付けて呼んでいたのは彼女の性格だと思っていたが、リカルド殿もそうするんだなと思っただけだ」
「そう言う事ですか……貴族同士だとそれが一番楽なんです」
一番楽??
「希少な魔獣を手元に置くことで家格と地位を誇示したい者、領軍の騎兵部隊の為に血統に拘りながら飼育する繁殖家、愛玩用に飼育する人間、家族の一員として遺産の一部を相続させる法的手続きをしている者……貴族と魔獣の関係性は千差万別です」
「そういう事か……気軽に敬称を付けずに呼んでしまったら失礼に値する場合があるのか」
「はい。なので飼い主の許可を得るまではさん付けをするのが一番安全なんです」
「ピー??」
首を傾げながら鳴いたシエルの方を見てリカルドが申し訳なさそうな表情で謝り始める。
「私としてはシエルさんともっと仲良くなりたいんですけど、デミトリさんの許可が無いと、ね?」
「そう言われて駄目という訳がないだろう……もっと早く理由を聞くべきだった。リカルド殿もナタリア様もシエルに敬称を付けなくても大丈夫だ。シエルもそうしてくれた方が喜ぶと思う」
「ありがとうございます! 改めてよろしくお願いしますね、シエル」
「ピ!!」
リカルドが元気よく鳴いたシエルに気を取られてしまい、重心がずれてしまった書類の山が徐々に傾き始めた。俺の視線を追って即座に何が起こっているのかに気付いたリカルドが、慌てて姿勢を正す。
「ふー……」
「大丈夫か?」
「ええ、気にしないでください! 本邸にいらっしゃるという事は、ヴァネッサさん達が戻って来たんですね?」
「ああ。セレーナはまだそりの方にいるが、ヴァネッサはナタリア様の部屋に帰った所だ」
「デミトリさんもいい加減そりではなく本邸に泊まりませんか?」
「その件は先日理由も含めて説明した上で断っただろう」
ケイレブ殿との晩酌に誘われた際俺もヴァネッサ達と同じく辺境伯邸に泊まる事を勧められたが、ただでさえ大人数で押しかけているのにこれ以上迷惑は掛けられないと断った。
当然、一人二人増えた所で負担は変わらないとケイレブ殿には食い下がられたが……。
だが、いくら婚約者であるリカルドがいるとは言え、未婚のナタリアと同じ屋根の下で滅死の魔術士が過ごしていると知れ渡ったらどんな噂が広まるのかを想像して欲しいとお願いしたらあっさりと引き下がってくれた。
アムール王国で散々噂話の対象になっていた影響で自分が少し過敏になっているかもしれないと心配だったが、ケイレブ殿の反応から察するに俺の予想は当たらずとも遠からずだったのだろう。
「あの理屈で言うと婚約者であるナタリアがいるとは言え、ヴァネッサさんやセレーナさんを含む未婚の女性が泊っている屋敷で過ごしている私の立つ瀬がないんですが」
「婚約者がいるといないとでは雲泥の差だろう」
「それはそうかもしれませんが――あっ」
「おっと!」
「ピ!!」
崩れそうになったリカルドが抱えた書類を支えるために急に動いた為、俺の肩から振り落とされないようにシエルがばさばさと羽を動かしながら趾に力を入れた。
まだ成長途中とは言え、鋭い爪が服越しに肌まで達してチクリと痛みが走る。
「驚かしてごめんな、シエル」
「ピー」
「リカルド殿。落としたら片付けるのも一苦労だろう? 書類を半分俺が持つから目的地まで送らせてくれ」
「! それは――いえ、助けが必要な時は正直にそう言うべきですね。お言葉に甘えさせて頂けると助かります」
そこまで畏まる必要は無いと思うが……。
「……荷物を運ぶのを手伝って貰う位で大袈裟じゃないか?」
「貴族は隙を見せるのを良しとしませんから」
「なるほどな……」
貴族の矜持として、一方的な施しを受けたりするのを良しとしないなどはありそうだな。
「それじゃあ困っていた宰相令息を助けた礼はかなり期待しても良さそうだな?」
冗談だと分かるように声色を明るくしながら話したつもりだったがリカルドの表情が一瞬にして曇る。
「はぁ……そういう冗談は心臓に悪いので止めてください」
「……まさか、本当にこんな些細な親切で見返りを求める人間がいるのか?」
「残念ながら……」
シエルの呼び方と言い、迂闊に助けを受けられない事と言い、貴族は本当に色々と大変そうだな……。




