第501話 有り得た二つ名
「本当に助かりました、ありがとうございます」
「お安い御用だ。それにしても……運んだ資料はほんの一部だったのか」
リカルドの案内で到着した執務室を見渡しながらため息が出る。備えられた机は綺麗だが、大量の書類の山が壁沿いに並び、大きなものだと俺の腰位の高さがある。
「ヴィラロボス辺境伯領の再生を掲げて私が考えた計画を、机上の空論ではなく現実にするためにはこれでもまだ足りない位です。あ、デミトリさんの持っている束はこちらにお願いします」
一応書類の分類毎に分けているのか…‥ここにあるのはプラード子爵領とセヴィラ侯爵領に関する資料か。この短時間で良くここまで隣領に関する詳細な資料を集められたな。
宰相家か、リカルド本人が王手の伝手を頼ったのだろうか?
隣の資料の山は年季を感じる古びれた本も含まれているが、幽氷の悪鬼が出現する前のヒエロ山に関する調査資料みたいだ。
魔獣の分布図……採掘が可能だった頃の氷岩鉱を含む鉱石の産出量や鉱脈の予想図……。
「……まさか一人で全て確認するつもりなのか? 最低でも文官の一人や二人雇った方が――」
「いずれはそうしたいのは山々です。ただ、今は余裕がないので仕方がないですね」
宰相令息のリカルドが文官を一人も雇えないのは信じ難いが……。
「不思議そうですね? 私はナタリアの婚約者であるのと同時にアルフォンソ殿下の側近候補でもあり、宰相令息でもあります。国境の安定の為に城塞都市ボルデに赴くにあたって、王都で私が抜けた後の穴を埋めるために人員を手配する際かなり無理をしたので……しばらくは人員の補充は出来そうにありません」
「それにしても、ボルデに来たのは国境を安定させて欲しいと言う王命が下ったからだろう? 王家が融通を利かせてくれそうだが……?」
「そ、それは…………です」
ん?
「すまない、何と言ったか聞こえなかった」
「……今回の任命について私が無理を言って押し通したんです。ナタリアが心配で……ヴィーダ王もアルフォンソ殿下も私に人を付けようとしたんですけど、私の我儘でそこまで迷惑を掛けるのは筋が違うと思い断りました」
そこまでして……。
「……本当にナタリア様の事が好きなんだな?」
「はい! 前々から伝えようと思っていたんですが、デミトリさんにも改めて感謝致します」
「?? 俺は関係がないと思うが……?」
「アルケイド公爵邸の茶会で私達の命を救ってくださったでしょう? 表向きは何ともないように振舞っていましたが、最悪の場合も想定していました」
あの時腑抜けていた他の茶会の招待客達と違い、気丈に振舞っていたリカルドとナタリアに感心した事を思い出す。
混乱に陥りそうだった貴族の令息令嬢達を鼓舞したり、常に周囲を警戒しながらアルフォンソ殿下と負傷したグローリアを気に掛けていたので余裕があるのだと思っていたが、恐怖を律してそう振舞っていただけなら猶更凄いな。
「生き延びて、私がナタリアの魅力に気づけて婚約出来たのもデミトリさんのお陰です。幽氷の悪鬼が定着しなければ、デミトリさんの二つ名に鮮血の愛天使を推そうと真剣に考えていたんですよ?」
「……そ、そうか」
リカルドが推薦しようと思っていた二つ名を聞いた瞬間悪寒に襲われ、嫌な汗が出て来たが首を軽く振ってなんとか平常心を取り戻す。
散々幽氷の悪鬼という二つ名に不満を抱いていたが……レオの『発情バイクロップス』みたいな二つ名と言い、比較的ましな異名を授かった事に感謝するべきかもしれない。
「あ、あの茶会でナタリア様に惚れたのか?」
「ええ!」
何とか話題を二つ名から遠ざけられた事に安心しながら、未だに手に持っていた書類を指定された書類の山の上に乗せた。
「私を含め、貴族は基本的に上辺を取り繕うのが上手です……危機的状況に陥った時人の真価が試されると言ったら大袈裟ですが、友人を守ろうとデミトリさんに立ち向かったナタリアの行動に感銘を受けて、そのまま――」
「確かにあの時は怖がられていたが……立ち向かわれた側としては複雑だな」
「まぁ、上手い具合に全てが丸く収まったので細かい事は良いじゃないですか」
リカルド殿……初対面の時の演技と言い、シエルの敬称呼びを止めたいとお願いして来た言い回しと言い、意外といい性格をしているな。
「あ、丁度良い機会なので一つ伝言を伝えさせてください」
「伝言?」
「お義父さんもデミトリさんの助言に感謝してました」
「ケイレブ殿が?」
「冒険者ギルドとの連携強化について進言してくれたと」
その件か。俺なんかが進言しなくても既に動いているか検討中だったはずだ、ケイレブ殿はかなり律義な性格をしているな。
「余計なお世話かもしれないと心配だったが……」
「そんな事ありません、むしろデミトリさんのお陰で色々と動きやすくなりました」
俺のお陰で……??




