71.巡る冬。
朝の食堂でエディットが一人で食事をしていると、対面に座る人物が現れた。エディットは特に其方を見なかった。見ずとも誰か分かったのだ。光が、嫌でも視界に入って来る。これだけの光を纏った神官は、そういない。
「おはようございます、エディット殿」
「おはようございます、ルシアン殿」
光も眩しければ、顔も眩しいルシアン神官である。相変わらず、全く動じることなくエディットの前にいる。一年目の頃から変わらない。そうして、エディットが目を逸らすのも変わらないのだ。美人は三日で慣れる、等と言うが、未だに顔自体を眩しく感じている。いや、普通に話すことが出来るようにはなったのだ。でもきっと、三秒以上目が合ったら、奇声を上げる自信があった。単なる変人である。
「そう言えば、もうすぐ市ですね」
エディットの内心など当然知るわけもなく、普通に話しかけてくる。勿論、ただの世間話だ。ルシアンが言う通り、もう六の月だった。此方の六の月とは、冬なのだ。
「ええ、ルシアン殿も行かれるのですか?」
「いえ、私は人が多い所が苦手で」
成程、顔がいいからだな。
勝手にエディットはそう結論付けた。これだけの美形だと、恐らく人の目を集めすぎてしまうのだろう。落ち着かないに違いない。美人も大変だな、等と一方的な想像を膨らませていた。
「エディット殿は?」
「クレマンス殿と行くと思います」
「そうですか。それがいいでしょうね」
暗に、一人では行くなと釘を刺されていた。冒険者ギルドの長、ベイトソンと同じである。去年市で詐欺に遭った事、それを気にしているのは恐らく本人よりも周囲なのだ。貴族の娘よりも危なっかしいのが、エディットなのである。
「気を付けて行って下さいね」
「はい」
素直に返事をした娘を見て、強いな、と、ルシアンは感心していた。普通あのような事があったなら、もう行きたくないと思ったとて当然だと認識していたのだ。だが、エディットは友人と出掛けるのだという。去年の出来事を上書きする何かがあったのだろう。いい事である。未だ、神官見習いの十一歳である。楽しめるときには、楽しむべきなのだ。神だってそれを許しているのだから。
「さあエディット殿、ブーツを新調する機会が巡って来たわよ」
意気揚々と宣言したクレマンスを見て、思わずエディットは笑ってしまった。余りにも楽しそうで。否定するつもりだったのに、笑ってしまったのだ。
「未だ履けると思いますよ」
「でもあなた、成長したわよ」
「本当ですか?」
「ええ、わたくしはもっと成長したけれど」
一言多い。つまり、クレマンスに敵う日はまだ来ないという事である。事実隣に並んでも、目線が合う事はない。残念ながらエディットは見上げるばかりである。
「ほらお二人とも、口より手を動かして下さい」
言ったのは、神官のマーヴァルである。今日は聖水作成の日だった。一年前よりもずっと簡単に作れるようになっていた。そう、話していても、完成するほどには。唸りながら力を込め、一本がやっとだった頃が懐かしい。二人とも、確実に成長していた。
「今年も市へ行かれるのですか?」
口より手を、と、言った張本人が話しかけてきた。
「はい。クレマンス殿と」
「それなら安心ですね」
「そうでしょう。エディット殿はこう見えて抜けてますので」
「ちょっと」
エディットが不満げに言う。だが、それ以上の文句は出なかった。抜けているのは、事実だからである。悲しいかな、エディット本人も自覚していた。そうしてマーヴァルは去年の事を思い出していた。知らない人についていってはいけません、と、そう注意したのだ。更に、食べ物をくれると言っても駄目ですよ。貰ってはいけませんよ、とも言ったのだ。確かにこの二つは守られた。まさか、商人に騙されるとは思わなかったが。去年エディットが市で騙された事は、教会内では周知の事実だった。結果、一人神官がいなくなったことも。だが、クレマンスが一緒に行くというなら、一先ず安心である。何故ならクレマンスは貴族である。もう一人大人が付いて行くことは決定事項だ。安心の度合いが桁違いである。
「マーヴァル殿、この聖水って亡霊にも効くって本当ですか」
また一本、聖水を生み出した少女が問うた。この問い掛けから、マーヴァルは何が言いたいのか想像がついてしまった。最近亡霊と言えば、話題の場所がある。
「ええ、王立劇場跡地にはいなかったようですが」
「御存じだったんですか」
「今王都で知らない人はいないのではないですかね。隅々まで、撒いたそうですよ。お陰で潤いました」
眼鏡の奥で目を細めて言った。成程、滅茶苦茶売れたのだな、と、エディットは察した。こう言うところが、俗っぽいな、とも。教会は、慈善事業はしないのだ。例え効果がなくとも、それは此方の責任ではないわけである。聖水自体は、本物なのだから。
「マーヴァル殿も市へは行かれるのですか?」
「その予定です。特に目的はありませんが」
本当に、王都にいる人は大抵行くのだな、と、改めてエディットは思ったのだった。去年は感じなかったが、確かに教会内の空気が何処か浮ついている。どうやら、市が近いからである。神官も楽しみにしているのだな、と、思い、それはそうだと納得した。あんなことがあったのに、やっぱりエディットも楽しみなのだ。クレマンスの性格がうつったのかも知れない。そんな風に思い、口角を上げたのだった。




