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70.危機感ゼロ。




 貴族のお嬢さんはいつも元気だな。

 そんな風にエディットが思ったのは、勿論ただの現実逃避だった。

「幽霊を見たですって!?」

 くわ、と、欠伸をしながら掃除のときにエディットは話したのだ。幽霊を見に行った事をである。その結果がこれ。我慢ならぬという体で、クレマンスはエディットに食って掛かっていた。

「はい、見ました」

「どうして! 誘ってくれてもいいじゃない!」

「いやだって、真夜中ですよ。アミシーさんが駄目って言うでしょ絶対」

 エディットの正論に、クレマンスが顔を顰めた。そう、貴族のお嬢さんはおいそれと夜中に出歩くべきではないのである。すす、と、同意するよう、窓を拭いていた雑巾が円を描いた。最近自我もあるらしい。そんな馬鹿な。エディットは見て見ない振りをした。

「いいって言わせるわ」

「えぇ……」

 可愛そうなので止めてあげて下さい。その言葉をエディットは呑み込んだ。恐らく言わなくても、許可されないだろうと思ったのだ。あの侍女は、駄目な事は駄目だという質である。

「それで、どんな幽霊だったの?」

「神官の老女でした」

「まあ、教会だものね。何をしてたの?」

「祈ってました」

「他には?」

「祈ってました」

「まさかそれだけ?」

「夜中から朝までお祈りを続けてるらしいですよ」

 言えば、なあんだ、と、急速に興味をなくした。面白みのある幽霊ではなかったのだ。だが、興味を失ってくれてエディットはホッとしていた。好奇心全開で見に行った己が言う事ではないが、そっとしておく方がいいと思ったのだ。あの祈りは邪魔すべきではない。きっと他の神官も同じ思いを抱いているだろう。だから、誰も見に行かないのだ。そう、エディットは勝手に解釈しているが、単に見ても面白くないから行かないだけである。ずっと祈り続けるだけの幽霊に求めるものがある方がおかしいのだ。

 今日は冒険者ギルドへと行く日だった。つまり、クレマンスとは別行動である。ただ治癒処にはマルグリットがいるだろうから、其方からも話を聞くかもしれない。尤も、特に面白い話はないが。

 視線を落とすと、買ったばかりの靴が目に入る。神官服にはやはり白い靴が合うな、と、無理矢理己を納得させ馬車に乗った。

 最早冒険者ギルドの一員のような顔をして、エディットは受付へと向かう。顔見知りも増えた。治療を頼んでくる人間も、ゼロと言う事はなくなった。尤も目立つ傷ではなく、見えない傷の治療ばかりだが。ただどんな傷にしろ、治療するのが仕事である。治っても、治らなくても。相変わらず治療費は千トリオレである。見習い期間はずっとそうだ。

「王立劇場の話聞いた?」

 隣に座る受付の女性が話しかけてきた。暇なときは、大抵お喋りしてくれる。そうして、また、王立劇場か、と、思ったのだ。どうやら本当に広まっているらしい。

「ええ、崩れるんですよね」

「そうらしいわ。造っても造っても駄目なんですってね」

「亡霊の仕業じゃないかって聞きましたけど」

「それはねえだろ」

 ふと、厳つい声が聞こえた。尚、顔は声よりもっと厳つい。冒険者ギルドの長、オスニエル・ランドン・ベイトソンだ。忙しいだろうに、エディットが来た時はほぼ確実に顔を見せてくる大人だった。

「ないんですか」

「亡霊なら、お前さんの聖水で一発だろ」

「私じゃなくて教会ですよね」

 エディットは訂正したが、ベイトソンは鼻を鳴らしただけだった。妙な態度である。ともあれ、亡霊の仕業でない事は確定のようである。恐らくあの抜け目がなさそうな貴族の事だ。念入りに試した後だろう。関係ないが。

「でも、だったら何が原因なのかしら」

「さあ……聞かれましたけど、知るわけないですよね」

「聞かれた?」

「アッ」

 物凄く自然に余計な一言を口走ってしまった。幾ら馴染んでいるとはいえ、此処は教会ではないのだ。だが余りにも空気がホーム過ぎて、つい忘れがちである。自分に優しいのが悪い。訝しむベイトソンの視線を受け流すよう、目を逸らした。効果はなかった。

「誰に?」

「いえ、あの、ちょっと、貴族の方に……」

「貴族だと?」

「いやあの、本当に知らないんですよ?」

「それで相手は信じたのか?」

「はい。真偽官の方がいて……」

「真偽官!」

 やっぱり一般的じゃないんだな。ベイトソンと女性、両方の反応を見ての感想である。此処まで来ると、神官とどちらが珍しいのか、なんて事まで考えてしまう。職になっている程なので、それなりにはいるのだろう。

「お前、滅茶苦茶疑われてるな」

「えっ」

「普通真偽官なんて連れ回せねえぞ」

「でも、貴族の方ですよ?」

「貴族だろうが、真理院が納得する理由がなければ従わない」

「えっ」

 エディットは絶句した。ならばあの男は、一体何と言って真偽官を納得させたのか。いや、真理院とベイトソンは言った。つまり、所属している組織の名だろう。エディットが絶対に関わっているという、自信があったのだろうか。いい迷惑である。

「でも、嘘吐いてないって分かって貰えたんでしょ?」

「それはもう。本当に吐いてないので」

 その点だけは、真偽官がいてくれてよかった。直ぐに信じて貰えたのだ。あのまま追及されていたらと思うと、想像だけでウンザリした。何よりあの貴族ともう対面したくなかった。苦手なタイプである。エディットを子供だと見做していないのが丸分かりである。見ての通り、子供である。手心を加えるべきだ、と、エディットは思っているのだ。

「そう言えば、冒険者ギルドって幽霊は出るんですか」

 どうせこの問題は考えたところで答えが出るものでもない。だからエディットは話を変えたのだった。最近の己の中での興味事、幽霊の話である。

「出るワケねえだろ」

 だが、ベイトソンの返答は実に素っ気なかったのだった。

「出ないんですか?」

「お前なあ、冒険者なんて死ぬときゃ、恨み辛み未練くらいしか抱えてねえよ。なるとしたら幽霊じゃなくて亡霊の方だろ。ンで、とっとと始末されんだよ」

 にべもない答えだった。そうして、亡霊も人間由来なのだと知ったのだ。つまり、根本は幽霊と同じなのだ。どうやら魔物の類では無いようである。死んだときに抱えている思いで変わるのだろう。尤も大多数は、幽霊にも亡霊にもならないのだろうが。皆が皆幽霊だの亡霊だのになったら、そこら中に溢れている筈である。怖すぎる。

 エディットが嫌な想像をしたのが伝わったのか、話を変えるべく女性が口を開いた。

「ねえ、もうすぐ市ね。今年も行くの?」

「えっ」

 市。聞いて咄嗟に浮かんだのは、去年の事である。嫌な思い出だった。騙されたし、盗まれたのだ。世間には子供相手に犯罪を働く大人がいると分かったし、自分の周りには比較的善人が多い事も分かった。つまり、勉強になった出来事であった。その始まりが、市である。

「お前さん、一人で行くなよ」

 渋い顔でベイトソンが言った。全くエディットの事を信用していないのが丸分かりである。それでも忠告をしてくれる優しさは持っていた。去年エディットを酷く助けてくれた大人である。愛想もないし見た目も怖いが、意外と情に厚い。気にかけてくれているのだ。

「ああ、護衛を付けたらどうだ?」

「護衛? 神官見習いですよ?」

 何を言っているのだろうこの人。そんな気持ちでエディットは眉根を寄せた。護衛、と、聞いて浮かぶのは当然貴族である。平民に付けるようなものではないと思っているのだ。それもエディットは、単なる見習いである。

「危なっかしい子供を守るには必要だろ? 見てみろ、沢山いるぞ此処には」

 そう言って指差した先には、複数の冒険者がいた。成程、冒険者とは単に魔物を倒したりするのではなく、人を守ったりもするのだな、と、エディットは理解したのだ。

「いえ、お金がありませんので」

 ただ、依頼するかどうかは別の話である。エディットは知っていた。冒険者家業は危険と隣り合わせ。つまり、依頼料が高いのだ。そんなもの、子供に払えるはずがないだろう。そう、思っているのである。大体自分を守る費用など、無駄中の無駄。しかも行先は、市である。王都である。別に街の外に出るわけでもない。精々危険、等と言ったところで、去年遭遇した詐欺くらいのものだろう。

 結論、頼まない。

 簡単に考えているエディットを見て、ベイトソンは深い溜息を吐いたのだった。




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