61.運がいい。
元旦だの三が日だのと言う呼び名こそないものの、一日を過ぎても年が明けて初めて会う相手への挨拶は、おめでとうである。一の月の間であれば祝福するのだ。流石に教会内部では収まった挨拶であるが、外へ出たエディットにとっては、続く挨拶だった。
「おめでとうございます」
尤もエディットが向かう先など一つしかない。冒険者ギルドである。
此処へ定期的に顔を出すことにも慣れた。そろそろ一年である。また、慣れたのはエディットだけではない。迎え入れるギルドの方も慣れたのだ。もう最初の頃と違い、不審げな目で見る人間は大分減っていた。
「おめでとう」
隣の席の受付の女性がにこやかに返してくれた。尚、この後続く言葉は決まっていた。
「幾つになったんだっけ?」
これである。年が明ければ、誕生日を迎えることになる。つまり、年を取った事になるのだ。その上で、二十歳までは年齢を聞いても失礼ではない。しかもエディットは実年齢より小さく見えるものだから、余計に聞かれるのだった。
「十一歳です」
多分、十にも満たないと思われているんだろうな、と、思いながら誤魔化す理由もないので、普通に答える。尤も神官としてのスキルが判別している時点で、十以下と言う事は有り得ないのだが。スキルの有無は、十歳の誕生日を迎えないと調べることが出来ないのだ。
聞いておきながら特に驚くでもなく、女性は言った。
「まだ、ギルドに登録は出来ないわね」
「その前に、冒険者にはなれる気がしないんですけども」
冒険者としてギルドに登録できるのは、十三歳からである。エディットが神官としての見習いを終えるのと同じだ。尤もエディットに冒険心はないので、年齢以前の問題である。しかも圧倒的に荒くれ者が多い。小心者には向かない世界である。
「少しは育ったか?」
背後から掛けられる、愛想のない声にも慣れた。今更ながら気付く。そう言えば、図体が大きいわりに、物音がしない歩き方をするな、と。冒険者ギルドの長ともなれば、一般人とは違うのだろう。振り返れば案の定いたのは、オスニエル・ランドン・ベイトソンだった。
「お陰様で、服が少し小さくなりました」
「ふうん」
聞いておいてこの態度である。そう言えばこの男こそ幾つくらいだろう。ふと疑問に思う。三十代にも見えるが、もっと年上にも見える。貫禄があるのだ。
「おめでとうございます、ベイトソンさん」
「おめでとう」
浮かぶ疑問を呑み込み、多少前後したが、お決まりの挨拶を交わした。年齢は聞かないのがマナーなのだ。特に用はないのか、それともエディットを見に来ただけか、直ぐにベイトソンは去っていった。これで一応暇ではないのかもしれない。
さて今日は何人来てくれるだろうか。
最初の頃とは違い、エディットの顔を見ると話しかけてくれる人が増えた。ついでに、見えない怪我の治療を頼んでくれる人も。肩や、肘、そして膝あたりの治療を希望する人が多い。肉体を酷使する職業って大変だな、と、エディットは思っていた。尤も治療したとて変化が見た目に現れないので、治ったかどうかは定かではない。
冒険者ギルドは人の出入りが多い。日にもよるが、年が明け落ち着いたからだろうか、この日は特に多い方だった。そろそろ日常生活に戻る頃合である。何時までも祝ってばかりではいられないのだ。ふと扉が開き、自然とエディットは其方を見た。冒険者であろう男性が入って来る。特に変わった事でもない。その男性が一直線にエディットに向かって来なければ、普通の事であった。
「よかった! いた!」
「えっ」
エディットの姿を見るなり、男が大声で言ったものだから周囲も皆驚いた。尤もその姿が見えていないかのように、男性は続けたのだ。
「頼む! 一緒に来てくれ一大事なんだ!」
「あっはい」
咄嗟に返事をしてしまったが、果たして良かっただろうか。だが、これだけの人間が見ているのだ。此処から悪事を働こうとは思うまい。それでも不安がないわけではない。誰か口を挟んでくれないだろうか。そう思いながら席を立った。
「どうした」
同時に、背後から声が掛かり、エディットはホッとしたのだ。恐らく男がエディットに声をかけた時点で、誰かが呼びに行ってくれたらしいと知る。声の主は、ギルドの長であるベイトソンだったのだ。
「ペーカーが怪我したんだ!」
男の大きな声が室内に響いた。焦りが窺えるも、エディットには移らなかった。耳に入ったのが、知らない名であったからだ。そもそも冒険者ギルドにおけるエディットの知り合いなど片手程である。顔見知りは沢山いるが。その中で一等頼りにしているのが、ベイトソンだった。尤もベイトソンを頼りにしているのはエディットだけではない。このギルドにいる全員である。現にベイトソンが姿を現しただけで、空気が少し落ち着いたのだ。
「エディット、頼めるか」
「はい」
そのギルド長に言われたならば、否やはない。エディットにとってベイトソンは、信じられる大人であった。ついてきてくれ、と、男が走り出す。向かった先は勿論外だ。エディットもつられて走った。その後ろから、ベイトソンが追って来る。
「お前、遅いな」
「えっ」
追ってきている筈だったが、直ぐに抜かれた。いや、並ばれたというべきか。エディットを置いていっては意味がないと分かっているのだろう。並んだのだ。エディットは顔を顰めた。遅いというが、自分が遅いのではなく、ベイトソンが速いのではないだろうか。大人と子供である。男性と女性である。冒険者と神官である。何処をとっても、エディットが敵う相手ではないに決まっていた。ただ実際に口に出す余裕はなく、内心で訴えるのみであった。
向かった先は、ギルドの裏手であった。エディットは初めて訪れた。ギルドの後ろなど、行こうと思った事もなかった。別の建物がある事すら知らなかったのだ。二階建ての建物で、ギルドよりは小さいが、それなりの大きさであった。男が一目散に中へと入って行く。扉が閉まるところを、ベイトソンが押さえ、エディットは隙間を縫うように中へと踏み込んだ。
そうして、圧倒されたのである。
カウンターがある。問題はその後ろだ。まるで、厨房かと思った。手洗い場や、調理台のようなものが見えるのだ。それも、複数。大きなレストランの厨房を彷彿とさせた。もっと驚いたのはその匂いである。何とも、血腥いのだ。顔を顰める程に。
一体此処は何なのか。
「こっちだ、早く!」
エディットが疑問を口にする前に、男が声をかけてきたものだから急いで後を追った。誰の許可も取らずに、カウンターの後ろへと行く。エディットが厨房だと思った其処である。尤もベイトソンがいるのだから、許可など要らないのだろうが。
そうしてエディットは、己が連れて来られた理由を理解したのである。
「ペーカー、連れてきたぞ!」
「アァ!?」
酷く威圧感のある声だった。人が、床に座り込んでいる。服を赤く染めて。どうやら腹部から出血しているようである。まるで手負いの獣のように、その人間はエディットを睨みつけた。余りに鋭い眼差しに、エディットは怯みそうになった。だが、引くわけにはいかない。
「神官見習いのエディットと申します」
声が震えそうになったが、堪え、自分もしゃがみ込むと手を伸ばしたのだ。何も聞かなった。聞いている場合ではないと思ったからだ。呼ばれ、目の前に怪我をしている人がいるならば、することはただ一つである。
癒す。
神官としての勤めだ。
理由なり何なりは後から聞けばいい。最悪治療費は払って貰えずとも構わない。冒険者ギルドに立て替えて貰おう。何せ、ギルド長であるベイトソンはエディットの後ろにいて、一部始終を見ているのだ。
エディットの手から、眩い光が発せられる。治れ、治れ、と、ただ只管に祈った。他に方法も知らないし、それしか出来ないからだ。まるで患部を包み込むように光が覆う。触れていないのに、見ているだけで温かさすら覚える。エディットを睨みつけていた眼差しも和らいだ。
恐らく数秒の事だった。
エディットが手を下ろす。光が消える。周囲で見ていた人間が、息を吐いた。何故か誰もが息を殺して、エディットの癒しの力に見入っていたのだ。
「信じられん」
服を赤く染めている人間が、ポツリと呟き、そうして、服を捲った。エディットはギョッとした。まさかこの場で直に確かめるとは思わなかったのだ。血で汚れた立派な腹筋がお目見えした。
「傷が消えた」
触って確かめている。血の跡でよく見えないが、傷跡一つないだろう。エディットの力とはそう言うものなのである。
「嬢ちゃん、何者だ?」
もうそこに敵意はなかった。只見極めるように、エディットを見たのだ。
「神官見習いです」
「見習いだって? 嘘だろう?」
「本当に決まってんだろ。この形だぞ?」
エディットの後ろからベイトソンが口を挟んだ。思わずエディットは眉間に皺を寄せた。暗に小さいと言われたからである。勿論事実だ。
「ギルド長、アンタが連れて来てくれたのか」
「いや、連れてきたのはそいつだろ。エディットは、月に何度かギルドに詰めてんだよ。運が良かったなペーカー」
「マジかよ。誰か教えろよ」
「表に顔出さないからそう言う事になるんだ」
「この形で出てくと、受付の嬢ちゃん達が嫌がんだよ」
確かに、と、耳を傾けながらエディットは納得していた。お世辞にも奇麗とは言えない格好である。しかも段々麻痺してきているが、匂いも相当なものだ。血の匂いである。
「で? 何だってこんなヘマを?」
ベイトソンが、確信をつく問い掛けをした。問われた方は、何処かきまり悪げに顔を顰めたのだ。
「どっかの馬鹿が、生きてるヤツを放り込みやがったのさ。お陰でこの様だ。しっかり止め刺してから持って来いって言ってんのによ」
まるで吐き捨てるように言った。此処まで来ると漸くエディットにも事の次第が分かって来た。そうして、この場所が何であるかも。恐らく此処は、魔物を解体する場所なのだ。だから調理場のようだと思ったのだ。エディットは魔物についてよく知らない。だが、冒険者が魔物を討伐して生計を立てていることを知っている。それは単に退治するだけでなく、売り捌いてもいるのだ。魔物と言うのは、金になる生物なのだ。尤も死体そのままでは意味がない。使える部位と使えない部位に分ける必要がある。それを請け負っているのが、このペーカーなる人物なのだろう。きっと、ギルドの職員の一人なのだ。つまり、ベイトソンの部下である。
「新人の仕業だろうな。注意しておこう」
「頼むぜ。命が幾らあっても足りねえ」
やれやれ、と、溜息交じりに言うと、最初とは違う険が取れた目でエディットを見た。
「ありがとな、嬢ちゃん。幾らだ?」
「千トリオレです」
「何だって?」
そうして今度は目を丸くして、ベイトソンを見たのだ。
「言っただろ。見習いだと」
「破格すぎんだろ」
「運が良かったな、ペーカー」
まるで今年の運は全て使い果たしたとでも言わんばかりである。だが何だって命あっての物種だ。精々今後は慎重に生きねばなるまい。幾分優し気な声で、ペーカーはエディットに向かい言った。
「後で払ってもいいか?」
「はい。ギルドの受付にお願いします」
「分かった」
そうしてエディットはベイトソンと共に、建物を後にしたのだった。外へ出ると、自棄に空気が澄んでいるように思えた。やはり、血の匂いがきつかったのだ。自然と、息を大きく吸って、吐いた。肺が綺麗になった気がする。
「酷い場所だっただろ」
「ええ、まあ。魔物の死体を運び込むところですか」
「そう言うこった。アイツは、解体のスキルを持ってんのさ」
言われると、確認しておけばよかったと思うのだから不思議である。必要以上には見ないとこれでも決めているのだ。
「魔物の死体が動くって事はよくあるんですか」
「よくもねえな。稀にある。ただそれは、仕留める側の責任だ。魔物ってのはな、通常の生き物より強い。そう簡単にくたばらん。死んだふりもする。だから慢心せず、確実に止めを刺す。鉄則だ。でないと、今回みたいな事になる」
大変だなあ、と、他人事の感想をエディットは抱いていた。聞いたところで今後、エディットが魔物と対峙する事などないだろうと思うからだ。何故なら神官である。そう言うのは、神官の役目ではないのだ。そうしてそれはきっと、解体する人の役目でもない。ペーカーが相手にするのは死体であって、生きている魔物は範囲外なのだろう。きっと、運が悪かった。でも、エディットがいたことで、悪すぎる事も無かった。正に命拾いしたといったところだろう。
教会に戻ったらクレマンスに話そうか。今日、魔物を解体する場所に行ったと。そしたらきっとあの好奇心旺盛なお嬢さんはズルいと言って、わたくしも行く、等と言いだして、そこまで考えた結果、滅茶苦茶面倒な事になりそうなので、やっぱり言わない事にしたのだった。




