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60.二年目。


 年が明けた。

 一の月が訪れたのだ。季節は夏である。青々とした空の向こう、入道雲が遠くに見える。世界が変わっても見える景色に大きく差はなかった。しかし元日なのである。前世で言えばそうなのだ。この日エディットは休みだった。いや、大体の人が休みである。祝うために。尚、新年を祝うのではない。生誕を祝うのだ。

 この世界では無暗に生まれた日を人に言わない。それこそ、家族やごく親しい相手くらいのものである。しかし、祝う気持ちがないわけではないのだ。その為纏めて、新年に祝うのである。例え誕生日を知らずとも、新年を迎えれば間違いなく年を食う。だから顔を合わせれば誰であろうと祝福するのだ。

 その為、この日ばかりは、通常の挨拶よりもおめでとうが先に立つのである。

 多くの人が休みなのもそれが理由である。街中が賑わっているのだ。皆の生誕を祝うために。

 何時もは静かな教会ですら、何処となく空気が浮ついていた。尤も教会自体は休みではなかった。それどころか、夜通し開いていたのだ。怪我人の為に。お祝い事となると、羽目を外す人間が増える。その結果、怪我人が出る事も珍しくないのだ。賑わいは喧騒になり、酒が入れば陽気さが増す反面、穏やかさも失われる。勿論、クレマンスとエディットに指示はなかった。見習いに相手をさせてよい人間が訪れる時間ではないからである。だからこの日もエディットは普通に何時も通りの時間に起床したのだ。何だか夜中騒がしかったな、と、思いながら。正直、田舎から出てきたエディットには、新年を祝う為のパーティーや騒ぎと言ったものは無縁であったのだ。しかしそれは何もエディットに限った事ではない。

「おめでとう、エディット殿」

 貴族であるクレマンスも似たようなものだった。尤も此方は知識がある分、エディットよりは上である。

「おめでとうございます、クレマンス殿」

 朝一番で訪ねてきた友人に、お決まりの挨拶を返す。そうして一拍の後、一緒に笑い出したのだ。

「わたくし、貴方の誕生日先日お祝いしたわ」

「私もそうですよ」

 お互い三か月ほど前に誕生日を祝ったばかりだった。偶然にも、同じ日に生まれたと知ったのだ。

「アミシーさんもおめでとうございます」

「はい。エディット様、おめでとうございます」

 常にクレマンスの後ろに控える侍女にも挨拶をする。そう言えば幾つくらいなのだろう、と、ふと思ったが、誕生日を尋ねない事と同様、年齢も聞かないのが普通であった。聞いても失礼でないのは、精々二十歳くらいまでである。

 ふとエディットは気付いた。クレマンスの服装である。神官服ではなかったのだ。

「お出かけですか? お気を付けて行ってらっしゃい」

「ええ、早く用意して頂戴」

「なんて?」

 咄嗟にエディットはアミシーの方を見てしまった。要は、助けを求めたのである。だが侍女は、申し訳なさげに笑みを浮かべただけだった。どうやら、エディットを助けてはくれないようである。

「あの、ちょっと、お聞きして無いんですけども」

「王都では、平民が新年には外で大騒ぎすると聞いたわ」

「そうなんですね」

「行くわよ」

「いえあの、クレマンス殿、貴族の方でしょう」

「エディット殿、神官に身分はないのよ」

 こんな時ばっかりそんな事言うんだから。

 エディットは呆れたが、もう、言い返すような真似はしなかった。押しかけて来たクレマンスに、勝てた例がないのだ。

「神官服でいいですか」

「いいわけないじゃないの」

 断られるだろうな、と、思いながら一応尋ねたのでる。案の定の却下だった。仕方なく、昨年クレマンスに貰ったワンピースを着る。濃紺のワンピース。少し小さくなっただろうか。いやそれは勿論、窮屈に感じる方がいいのだ。成長を実感したいところである。尤も気のせいではなさそうだった。

「今日って、店は開いているのかしら」

 着替えたエディットを見て、クレマンスが言ったからである。

 明らかに買いに行くと言わんばかりであった。勘弁してほしい。とは言え現実的な問題として、教会から出ないのなら未だしも、こうして出掛けるともなれば服の一着や二着は必要である。つまり、クレマンスが正しいのだ。もうクレマンスは、自分のお下がりがあるとは言わなかった。身分の差はあれども、神官見習いとしての立場は対等だと気付いたのだ。それに友人であって、施す相手ではないとも。それよりも、一緒に買い物をする方が楽しい。お揃いの物を持つのは、もっと楽しいのだと。尚、エディットの感性は其処まで達していなかった。クレマンスが選ぶ物は総じて高いからである。

 外へ出るために廊下を歩けば、会う神官が皆、おめでとうございますと声をかけてくる。同じように返す。誰もが祝う日なのだ。

「神官て、イマイチ年齢が分からない人が多いわよね」

「正直言うと私が一番気になっているのは、あの、雪の日に上層の窓から声をかけて下さった方なのですが」

 エディットが何処か小声で言えば、ああ、と、クレマンスが納得の声を発した。大量の水を一瞬で消し去った、明らかに位が高いと分かる老人である。老いているのは分かる。だが、矍鑠としていた。さて、幾つくらいだろうか。

「百は超えてるでしょうね」

「えっ」

 意図も容易くクレマンスがそのような事を言ったものだから、エディットは驚いたのだ。百? 百歳? そうして気付く。この世界の平均寿命を知らない事に。

「だって神官て、基本長生きじゃない」

「えっ、そうなんですか?」

「そうよ。エディット殿も簡単に百くらい生きるわよ」

「嘘」

「だって、あの方よりもっと光ってるわよ」

 纏う光で寿命が決まる? エディットにはよく理解出来なかった。だが、クレマンスが言うのならきっとそうなのだろう。いや、本当に? 時々このお嬢さんは、エディットの世間知らずを逆手にとって、あっさりと嘘を吐くのだ。だから話半分に聞いておこうと思ったのである。

「わたくしも、長生きしなくてはね。あなたを見習って、真面目に神官として励むわ」

「はあ」

 何処までが本当か分からないながら、貴族のお嬢さんはそう纏めたのだった。

 外へ出てしばらく歩くと、騒がしくなってきた。特に、大通りに出た時である。周囲の店は殆どが開いていた。それ以外にも露天もあれば、大道芸らしき人間も見える。エディットは初めてこの世界で大道芸と言うものを見た。思わず足を止めれば、クレマンスも止まった。恐らく、此方も初めて見るのだ。

「どうなっているのかしら」

 顔を顰めながら貴族のお嬢さんが言う。無言でエディットは首を傾げた。

 ハッキリ言ってやっている事はジャグリングなのだ。細身の派手な服を着た男性が、両手を素早く動かし球体を宙に上げている。一つも落とす事無く、受け止めては又上げる。その数六。尤も驚くべきはその数ではなく、球そのものである。

 なんと、燃えているのだ。

 火の球が空に浮いているのである。そしてその燃えている球を素手で受け止めているのだ。これで手袋などしているようであれば、耐火性のものなのだな、と、思うところだが、素手である。全く意味が分からない。火自体は魔法が使えずとも、スキルがあれば何とかなるものの、それにしたところで熱い事に変わりはないだろう。もしかすると、熱さを感じないスキルを持っている、いや、だとしても怪我はするだろう。悪いな、と、思いながら、エディットは男性の頭上を見た。文字が浮かんでいる。エディットにしか見えない文字である。こう記してあった。

 火無効。

 スキルって、そういうのもあるんだ。

 エディットは感心してしまった。だとしても、ジャグリング自体は、努力だという事である。凄い。人間やれば出来るのだな、と、感嘆しながら、硬貨を男性の前に置いてある箱に入れたのだった。同時に、自分も滅茶苦茶頑張れば、水の球でジャグリングが出来るかもしれない、とも。そもそも、水で球体を作り浮かせるところからのスタートである。道は長かった。

「凄かったですね」

「本当に。熱くないのかしら」

 熱くないんですよそれが。男性のスキルを盗み見たエディットは内心で答えた。流石に勝手にばらすわけにはいかない。プライバシーの侵害である。どうせ二度と会う事もあるまいと、心の中に仕舞い込んだのだった。

 クレマンスのお望み通り、休みだと言うのに開いている店が多かった。もしかすると、生誕祝いを買うためかもしれない。誕生日そのものは知らずとも、この日は全員が年を取った事になるのだ。服屋も開いている。何処かウンザリしながらエディットは渋々ついていった。クレマンスの足取りに迷いはなかった。店に辿り着く直前で気付く。もしかして、貴族向けではないだろうか、と。止めるべきはなかっただろうかと。手遅れである。

 何故なら既に貴族のお嬢さんは入り口を潜り、歓迎された後である。

 市でブーツを購入した時同様、まるでお付きの人間の様な面持ちで、エディットは続いたのだった。

「どう言ったものをお探しですか?」

 おめでとうございます、と、言う本日限定のお決まりの文句の後に、すかさず店員が尋ねてきた。正直エディットは店内を見渡すことに忙しくて、応える余裕がなかった。大体、喋るのはクレマンスの役目だとすら思っている。そもそも店員の視線も、そちらにしか向いていないのだ。店内は明るく、女性用の服で溢れていた。暗い色が殆ど見当たらない。季節の関係もあるだろう。爽やかな色合いが目立った。

「そうね、彼女とお揃いにしようと思うの」

「えっ」

 ごく自然にクレマンスの口から飛び出した一言に驚いたのは、何もエディットだけではない。店員も驚きを表情に出したのだ。尤もこちらはプロである。声には出さなかった。まるで勝手知ったるとばかりに、クレマンスは並んでいるワンピースを見ている。もしかすると、常連なのだろうか。

「エディット殿、どれがいいかしら」

「えぇ……」

 さも当然とばかりに意見を求めてくるが、値段が怖くて何も考えられない。じっくり見ずとも分かる。高い。後店員の視線も怖い。完全にエディットを値踏みする目で見ている。何処へ出しても恥ずかしくない田舎者代表である。堂々とした貴族のお嬢さんとは雲泥の差だ。何をしに来たと思われている事請け合いである。いや別にエディットとて、このような店、望んで来たわけではないのだ。しかし、止めることが出来なかった時点で敗北は決定していたのである。

 これはもう、腹を括るしかない。

 エディットは覚悟を決めた。

 今から決闘でも仕掛けるのかと言う程の険しい表情で、クレマンスの隣に並ぶ。そして、宣言した。

「ぴ、ピンクがいいと思います!」

 尚、思ってもない事であった。

 ピンク色の服など、生まれてこの方身に着けた事もない。その上で、言ったのだ。何故なら、クレマンスもピンクは選ばないだろうと思ったからである。クレマンスは美人だが、大人びた美しさだった。つまり、ピンクは選ばないだろうと勝手に判断したのだ。どう見たって、シックな色合いの方が似合う風貌である。その上で、果たしてこの誘いに乗るのかどうか。挑むような、或いは試すような気持ちで、エディットは友人を見たのだ。

「いいわね」

「えっ」

 だが、意気込んだエディットとは裏腹に、クレマンスの答えはあっさりしていたのだった。ピンク? それが何? そう言外に告げられているように思った。気のせいである。

 クレマンスが了承したので、即座にピンクのワンピースが出てきた。勿論、二着。エディットの分もである。エディットは焦っていた。こんな筈ではなかったと思っているのだ。きっとクレマンスは拒否すると勝手に思い込んでいたのである。それが、あっという間に試着室に案内されていた。しかも、一人ではない。何故か店員も一緒である。疑問に思っていると、にこやかに服を差し出された。どうやら着替えろという事らしい。それはそうである。試着するためのスペースだ。分からないのは背後に控えている理由である。貴族向けの店と言うのはこのようなものなのだろうか。訝しみながら袖を通し、その理由が分かったのは最後だった。別に平民である己を怪しみ監視しているだとか、そう言った理由ではなかったのだ。

 背中のリボンを結ぶためである。

 店員が、エディットの背後にいたのはこのためだったのだ。バックがレースアップリボンになっている。寧ろリボンを結ばなければ、背中が丸見えである。締まらないのだ。ボタンではなく、リボンを通して締めている。まるで、靴紐みたいに交互に通っているのだ。最後に腰の後ろで結んで完成である。エディットは思った。かなり上級者のファッションであると。

「よくお似合いでいらっしゃいます」

 店員が貼り付けたような笑みで言う。社交辞令である。試着室から出ると、既にクレマンスがいた。勿論同じ服で。

「あら、似合うじゃない」

 この瞬間エディットは敗北を突き付けられたのだ。

 美人は何を着ても様になる。似合わない事など何もないのだ、と。ピンクのワンピースを着たクレマンスは、年相応であった。大変可愛らしかったのだ。あどけなさすら感じさせた。普段の強気さは形を潜めている。文句なしの十一歳の美少女だった。

 対する己はどうであろうか。

 エディットは自分が情けなくなった。ピンクは鬼門だった。初めて着たが、そうとしか言いようがなかった。十一歳どころか、五歳にすら見える。思い込みである。エディットは心に誓った。ピンクなど着ない事をである。寧ろこの状態でクレマンスと並ぶ事は、拷問であるとすら思ったのだ。

 しかし救いが一つあった。

「残念ながらこの服、一人では着れないので無しですね」

 そう、クレマンスと違い、エディットには助けてくれる人間などいないのである。一人で着脱出来ない服など、買う意味がないのだ。この瞬間エディットは勝利を確信した。さしものクレマンスも、着れない服を買えとは言わないだろうと。そしてエディットは失念していた。

「そうね、別のにしましょう」

 此処は服屋である。一つ駄目ならまた次。数え切れぬ程、服はあるのだ。

 結局エディットは服を買う羽目になった。それは勿論、必要だから買うのだ。しかし、別に貴族のお嬢さんとお揃いである必要はない。絶対にない。絶対にないのに、お揃いの服を買ってしまったのだった。

 水色のワンピースだった。有難い事に、ボタンが前方にあるタイプ。一人で着脱可能。嬉しいのに、嬉しくなかった。何せ値段が、十年くらい買い替えたくないと思う程だったので。しかし現実には、来年また買う羽目になりそうである。一応これでエディットも成長しているのだ。一ついい事があるとすれば、昨年貰った白い靴によく合っているという点だった。しかしこの靴もその内買い替えないと駄目なのだろうと思うと、また気が重くなったのである。

「クレマンス殿って、本当に何でも似合いますね」

「そう? ありがとう」

 何処か恨みがましく言ったものの、あっさりと躱されたのだった。

 物が増えると財布の中身が減る、と、言う当然の事実にエディットは打ちのめされていた。



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