57.埋まらない差。
「お寒かったでしょう」
そう優し気に声をかけてきたのは、クレマンスの侍女であるアミシーだ。教会に来た頃は、クレマンスを心配する余り部屋の外で待っていたものだが、今や慣れたと見える。きちんと、暖かい部屋の中で待機していた。
「お邪魔します」
エディットが挨拶をしながら、クレマンスに続いて入った。心なしか、自室より暖かい気がするな、と、思いながら。しかし貴族用の部屋なのでそう言うものなのかもしれない。アミシーが気を利かせ、エディットの衣類も乾かしてくれると言った。申し訳ないな、と、思いながら世話になる。コートを脱ぎながら、この生活に慣れる事を恐ろしく感じていた。時々でしかないにも拘らずだ。快適すぎるのである。身の回りの世話をしてくれる人間がいる環境は、エディットにとって恐ろしいものだった。堕落への一歩のように感じたのだ。そう思えばクレマンスはしっかりしているな、とも。日常がこれであれば、もっとエディットに頼り切っても良い所である。だが現実にエディットがクレマンスの分もしている事と言えば、掃除くらいの物なのだ。これで存外このお嬢さんは、しっかり自立しているのだな、と、そんな風に思ったのだった。尤もクレマンスに言わせれば、エディットは貴族の子女である己よりずっと危なっかしい平民なのである。頼る以前の問題であった。
アミシーの動きには無駄がなかった。二人分のコートや手袋を乾かす手筈を整えると、今度は茶の用意をし始めた。その間に席に付く。この二人掛けのテーブルにも慣れ始めていた。
「そう言えば、届いたのよ」
腰を下ろし息を吐いた所で、クレマンスが突拍子もない事を言った。思わずエディットは眉根を寄せた。話の流れが良く見えなかったのだ。その事を理解しているだろうに、気にせずクレマンスは続けたのだ。
「絵よ」
言われ、ああ、と、エディットは納得した。絵、と、聞き思い当る節は一つしかない。先日市で、オーブリー・ゲーゼなる絵描きに描いてもらった絵である。そうか、届いたのか、と、思う反面、随分と時間がかかったように感じていた。同日に注文したブーツは疾うに届いている。尤も此方は額縁も付けるよう指示したので、その分の時間なのかもしれなかった。
鼻腔を擽るいい香りが漂ってきた。温かい茶が運ばれてきたのだ。今になって思う。毎回違うカップである。もしかすると、とんでもない量の茶器を持ち込んでいるのではないだろうか。だが、聞くのも憚られ、ただ、傷を付けないよう心掛けた。値段の想像がつかないものは全て恐ろしいのである。静かにカップに口を付ける。相変わらず、味の良し悪しは分からない。だが、美味しいに決まっているので、これが美味しいお茶なのだと覚えなければいけない。尤も、エディットにとってこんな風に紅茶を嗜む場所は、この部屋だけである。
暫く無言でいると、何も指示していないのにアミシーが額縁を持ってきた。先程の会話が聞こえていたのかもしれない。何とも出来る侍女である。受け取ると、クレマンスはエディットに向かってみせたのだ。
「どう?」
「素晴らしいと思います」
即座に口から出たが、言ってから思った。あの時と違う絵のような気がする。よく見れば、紙も大きくなっている。色合いもより鮮やかになり、何よりエディットが美人になっていた。つまり、クレマンスはもっと美しかった。
どうやら描き直したらしい。
オーブリー・ゲーゼは絵描きだが、絵のスキルがない。だから、描くのにも時間がかかる。しかも今回の相手は貴族である。だからこそ念には念を入れ、もう一度描いたのだろう。額縁の問題もあったに違いない。もしかすると、あの時描いた紙に合う額が無かったのかもしれない。市で、即興で描いた似顔絵である。額を付けることまでは想定外だっただろう。エディットは人知れず絵描きの苦労を思い同情した。
「この部屋に飾るわ。だから、いつでも見に来て頂戴ね」
クレマンスが微笑みながら言った。もしかすると、エディットが訪ねる理由を作ってくれたのかも知れなかった。二人は友人だが、まだそこまでの気安さはなかったのだ。不図見た絵の中の二人は、友人と言うよりも姉妹に見える。体格差があるからである。それを密かにエディットは気にしていた。
「はい。何れこの絵に描かれた身長差を覆しますね」
しかも、口に出た。思いもよらぬことを言われた、と、クレマンスが目を丸くした。だが直ぐに笑い出したのだ。
「あら、楽しみね? でもね、エディット殿。わたくしも未だ成長するのよ?」
それはそうである。お互い同い年、それも未だ十歳なのだ。成長の余地は嫌と言うほどあった。当然の事を勝ち誇った顔で言われ、エディットは狼狽した。
「さ、最悪、浮きます。そして身長差をゼロにします」
「それって勝ったと言える?」
言えない。言えるはずがない。ぐ、と、口を噤み、負け惜しみにエディットは菓子に手を伸ばしたのだった。これを口にしたとて伸びるのは、縦ではなく横だろうな、と、思いながら。
帰り際クレマンスは、残った菓子を全てエディットに持たせてくれた。有難く頂戴したが、どう考えても憐れまれていた。でも菓子に罪は無いのだ。驚異的に背が伸びる魔法の食べ物ってないかな。現実逃避めいた事を思いながら、少し寒い部屋へとエディットは戻ったのだった。




