55.お節介或いは面倒見がいい。
前世の感覚で言えば正月であるが、此方では七の月である。夏なのに冬。尤もそのような事を感じているのはエディットだけであるが。初めて王都へ来た時と比べれば、随分と寒くなった。そろそろ雪が降るのかもしれない。先日購入し、届いたばかりのブーツを下ろした。不要な装飾が付いた立派な革のブーツである。貴族のお嬢さんには聞かせられない感想である。履いてみれば、足元だけが急にランクアップした気がした。何せ貴族のお嬢さんとお揃いのブーツである。身の丈に合っていない。思わず溜息を吐いた。勿論サイズは丁度だ。対象の履物の大きさを的確に選び抜くスキルの持ち主が選んでくれたのだから。それを思い、普通靴とは少し大きめのサイズを選ぶのが当然だと認識していたが、この場合はどうなっているのだろうかと、そんな疑問を抱いた。もしかすると、滅茶苦茶フィットしているように感じるが、少し余裕もあるのかもしれない。それとも、都度買い替える事を念頭に、本当に丁度のサイズなのかも知れなかった。貴族には平民のように長く使う、と、言う概念が無いのかも知れない。エディットは何も知らなかった。ただ、願わくば来年も、更にその次の冬も履けますようにと内心で唱えたのだ。クレマンスより大きくなると豪語した事は既に忘却の彼方の模様である。
外へ出れば、吐き出す息が白かった。勿論エディットだけでなく、馬の口から出る息もそうである。
今日は冒険者ギルドへと行く日だった。
あの、詐欺に遭い、挙句金を盗まれたと泣いた日以来である。
非常に行き辛い。だが、礼は言わなければいけない。あの時、ギルドにいた職員、冒険者、そして、ギルド長。全ての人がエディットを案じて、寄り添ってくれたのだ。その気遣いや優しさに、エディットは確かに救われたのである。世の中には悪い人もいればいい人もいる。そのような当然の事を身に染みて理解したのだった。
馬車に乗ると、久々だからか何やら広いと感じてしまった。いや、違う。前回乗った時の事を思い出したのだ。冒険者ギルドの長である、ベイトソンと乗った時の事である。幾らエディットが小柄とは言え、ベイトソンは立派な大男であった。狭くて当然だったのだ。その時の事を思い出す。教会に居場所がないなら、冒険者ギルドで身柄を引き取ってもいい。そんな風に慰めてくれた。不愛想で、直ぐ揶揄ってくる、でも、人情味に溢れた男なのだと知った。ちゃんと、礼を言おう。冬の乾いた道を、馬車はゆっくりと進んでいく。前と違い、着かなければ良いとは思わなかった。
黒いコートに黒いブーツ、その何方もが立派なもので、平民の見習い神官だとは誰も思わない、そんな出で立ちでエディットは冒険者ギルドの扉を開けた。
「おはようございます」
挨拶をすれば、パッと視線が向いた。前は無かった事である。あの一件で、エディットの存在は漸く冒険者ギルドで認知されたようだった。その事に驚いている間に、彼方此方から挨拶が飛んでくる。慌てながらエディットは挨拶を返し、何時もの席に着こうとした。カウンターの一番端である。
「おはよう。ギルド長が上に来て欲しいんですって」
何かとエディットを気にかけてくれる隣に座る受付の女性が言った。上、と、言うのは、ギルドの三階である。ギルドは三階建てだ。その一番上の階。ギルド長がいるのは其処である。最初に訪れた時、神殿騎士のレモンドと共に向かったのだ。随分と前の事のように感じるが、一年も経過していない。あの時レモンドは、ノックもせずにドアを開けた。尤もエディットには出来ない芸当である。そもそもこの階に来ること自体二度目で、単身では初めてである。すう、と、息を吸い、重厚な扉を叩いた。コン、コン、と、二回。
「入れ」
扉の向こうから、威圧のある声が返って来る。扉を開ければ、最初の時同様、オスニエル・ランドン・ベイトソンが書斎机の向こうで座っていた。不図エディットは思い出した。値踏みするような目で己を見ていた、男の事である。勿論今目の前にいる人間と同一だ。その上で、「初めまして! アルメヴレハ大聖堂より参りました見習い神官のエディットと申します!」そう、大声で挨拶した事を思い出したのだった。不意に表情を緩めたエディットをベイトソンが訝し気に見た。
「どうかしたか」
「いえ、初めて訪れた時の事を思い出したのです」
そう言うと、ベイトソンは器用に片眉を上げてみせた。だが、直ぐに思い当る節があったようで、目を細めて見せたのだ。
「形は小せえが、肝は座ってたな」
その上で、同じ事を言ったのだった。
「おはようございますベイトソンさん」
「おう」
「ありがとうございました」
何をとは言わなかった。ただ短い礼と共に頭を下げたのだ。
「解決したのか」
「はい」
あっさりとエディットは頷いてみせた。だが果たしてそうであろうか。ベイトソンは懐疑的だった。今日もエディットは、仕立ての良いコートを着ている。詐欺に遭う原因となったコートだ。その上、新調したと思しきブーツも同等のものであった。明らかに、平民の、それも見習い神官が身に付けるものではなかった。分かっているのか、いや、分かってはいるのだろう。だが、友人だと言う貴族の娘につられたに違いない。エディットは流されやすいのだ。勿論クレマンスも己が渡したコートが原因だと理解している。それでいて、自分が一緒にいれば大丈夫だと慢心しているのだ。その上エディット自身も、これから気を付ければいいと結論付けている。どうしようもない。教会は当てにならない。少なくともベイトソンの感想ではそうなのだ。だが、放任はしていても、十分な賃金は渡している。現にエディットは、貴族用のブーツを購入しているのだ。兎角神官のスキルは金になる。だからこそ、もっと保護の観点を持つべきではないのか。
「あの、部屋に鍵がつきました」
「そうか。良かったな」
良かったなとは言ったものの、当然だろうとベイトソンは思った。今まで無かった方がおかしいのだ。
「マルグリット殿が、ベイトソンさんに叱られたと言っていました」
急に己の名が出てきたものだから、ベイトソンは思わず目を丸くした。その様を見て、エディットは微かに笑ったのだ。どうにも、知られたくなかったようだと。この男は、恐らく陰で動くくらいが丁度いいと思っているのだ。
「お陰で、部屋に鍵もつきましたし、お金も頂きました。ありがとうございました」
もう一度深々とエディットは頭を下げた。ベイトソンは気まずげに目を逸らしたのだ。
「盗まれた金は?」
「それも、戻ってきました」
「そうか」
詳しくは聞かなかった。だが、戻って来たという事は、誰が盗んだかは判明したのだろう。ベイトソンの予想は当たっている。神罰は確かに下ったのだ。尤も聞かれたとして、エディットも詳しい事は知らないのだ。もう教会に、アイトネと言う名の女神官はいない、それ以外は知らなかった。
「エディット」
「はい?」
「ギルドに部屋は余ってるがどうする?」
唐突な問いかけに、今度はエディットが目を丸くした。そうしてあの日言われた、教会に居場所がないなら、冒険者ギルドで身柄を引き取ってもいい、と、言う言葉を思い出したのだ。ベイトソンは意地悪く口角を上げている。答えは分かっていると、そう言わんばかりの顔だった。だからエディットも微笑んでみせたのだ。
「御世話にならずに済みそうです」
少なくとも、今のところは。尤も先の事など、誰にも分かりはしないのだ。
部屋を出ていくエディットの後姿を見ながら、無駄にいい靴買いやがって、と、ベイトソンは内心で悪態を突いた。本人が意識しているわけでもないのに、足音一つしなかったのだ。吸い込まれているように、無音だった。
人数の問題か、下に降りれば急にざわめきが耳に入りだした。まるで長年勤めているような態度で、エディットは席へと戻ったのだ。御世話にならずに済みそう、等と言ったものの、見習い期間が終わったらギルドへ就職するのはありかも知れない、そんな事を思った。ただ出来るのは受付業務ではなく、怪我の治療である。
「話は無事終わったみたいね」
隣に座る受付の女性が声をかけてきた。
「はい。あの、先日はありがとうございました」
「元気になったみたいで良かったわ」
素直に案じられているのが分かり、エディットの顔は自然と和らいだ。人の優しさに触れることが嬉しかった。その優しさが自分に向いている事に幸福を感じていた。
恐らく今日も暇だろう。
前回が可笑しかったのであって、大抵エディットは座っているだけなのだ。
しかしその予想に反し、直ぐに人が来たのである。
「今日も治して貰えるかい?」
「えっ、あっはい」
知らない男性冒険者だった。恐らく知らない筈である。だが、今日も、と、言うからには以前も治したのだ。エディットの記憶に無いだけである。返事をすると、男性が肩を見せてきた。エディットは数度瞬きをした。何故なら傷が見えなかったからである。一体何を治せというのだろうか。いや、見えない傷がある? 何も分からなかったが、治せというのだから、手を翳した。光が肩へと降り注ぐ。いや、果たして意味はあるのだろうか。
「三千トリオレだっけ?」
「いえ、千です」
「千でいいのかい?」
「はい、但し、治っても治らなくても千なんです」
重要な部分である。真剣な顔でエディットは告げた。後から治らなかったとクレームなど入れられても困るのだ。そもそも、ない傷は治らない。だが、傷ありませんよね? とも言えず、エディットは口を噤んだのだ。
「じゃあ、はい、千」
「あっ、お支払いは受付の方でお願いします」
「お嬢ちゃんに直接じゃ駄目なのかい?」
「そうなんですよ。決まりなんです。前はちょっと、特別だったんで……」
「へえ」
気のない返事をし、それでも男性冒険者は素直に離れて行ったのだった。ごねるタイプじゃなくて良かった。エディットは息を吐いた。何せ、冒険者と言うのは大抵厳ついので、怖いのだ。流石に十歳の見習い神官の少女に暴力も暴言も吐かないだろうが、威圧されないとも限らない。世の中、いい人ばかりとは限らないと学んだばかりである。
今日はこれで終わりだろう。誰も来ないのが普通なのだ。だがそのエディットの予想に反し、何やらポツポツと人が来始めた。エディットは酷く動揺した。つい先日まで、そう言う扱いではなかったからである。そもそも、存在を認識されていたかどうかも微妙である。しかも依頼して来る人間が挙って、傷が見当たらない部分を示してくるのだ。肘、膝、肩、そう言った部分である。一体何なのか、と、疑問に思いながら、エディットは癒しの光を発したのだった。
後で気付いた。
もしかして、関節では?
冒険者とは大抵、身体が資本である。しかし怪我とは、見える部分ばかりとは限らないのだ。それこそ、骨折だったり、腱だったり、見えない部分を痛める事もあるわけである。もしかすると、そう言った部分を自分は治療出来ているのかもしれない。只、見えないので、何も分からないだけである。
今日は、凄く働いたのかもしれない。
まるで前々からギルドの受付に居座って治療の業務を引き受けてきたような、そんな錯覚を抱くほど、冒険者達の接し方は自然だった。当然のようにエディットに話しかけ、誰も文句を言わなかった。だから恐らく治っているのだ。達成感じみた感覚を抱きながら、エディットは一人帰路に就いたのだった。




