54.再会。
「一先ずこれで、冬は越せそうですかね」
「あなた、手袋持ってる?」
「持ってない事前提で聞いてますよね?」
「持ってるはずないと思ってるもの」
靴屋を出てすぐの会話である。
クレマンスの問いかけに、エディットは只口を噤むしかなかった。その通りだからである。ロングブーツがいる程雪が降るのなら、当然気温も下がる。すると、手袋もあるに越したことはない。自然とも言える話の流れである。もし自分に裁縫のスキルがあったなら、自分で毛糸を買って編むことも出来たのだろうか。そもそも、それは裁縫のスキルの範囲だろうか。先程靴のサイズが分かる等と言う物凄く細かいスキルを見てしまった所為で、分からなくなっていた。きっと世の中には、手袋を編むだけのスキルを持った人間がいる。絶対そう。どうやら、大分類中分類小分類とある。何処に属すかが問題である。その点エディットは、大ばかりだった。
しかも手袋で毛糸を想像していたエディットと違い、クレマンスが勧めてきたのはこれまた革製だったのだ。
エディットは思った。
高い。
シンプルにこれ。
最早値段しか気にするところはないと言わんばかり。仕方がない。隣にいるのは貴族のお嬢さんだが、エディットは只の平民なのだ。それも貧しい部類の平民である。
連れられるがまま、店に立ち入る。尤も露店なので、正確には先程と同じく、道沿いに並べられた商品の後ろである。靴屋とは違い、細々とした皮革製品を取り扱っている店だった。ただこの店の商人には、対象の手のサイズが分かる、と、言ったようなスキルを持った者はいなかった。そもそも、手袋など嵌めれば分かるわけなので、誰かに言われるまでもないのだが。結局この店でも、ただの革の手袋ではなく、これまた履き口にレースがあしらわれたお洒落を意識した商品を買ってしまったのだった。流石にブーツよりは安かった。しかしエディットの懐が痛まなかったわけではない。
もう絶対に何も買わない。
エディットは固く心に誓ったのである。
元より、これで必要なものは揃ったのだ。後は帰るだけ。
暫く歩くと、沢山のテーブルが並んでいる場所が見えた。どうやら、休憩スペースのようである。前世の記憶で言うところの、フードコートだな、と、思った。案の定クレマンスが休みましょう、と、言った。心なしか楽しそうに見える。普段であれば、貴族のお嬢さんが紛れるような場所ではないからだ。
大変賑わっていたが、丁度、四人掛けのテーブルが空いた。神様のお陰かも知れない。エディットは内心で祈りを捧げた。誰とは言わないが、恐らく今頃苦笑しているに違いない。クレマンスが腰を下ろす前に、さり気なく椅子にアミシーがハンカチを広げた。流石である。主人への気遣いが常に息づいている。エディットは感心してしまった。見習って、自分もポシェットからハンカチを出すと広げたのである。よく考えれば、貴族に間違えられる程、品質の良いコートを身に着けているのだ。汚してはならぬのは、エディットの方である。席に着くと、アミシーだけが立ったままだった。そのまま控える為ではない。どうやら、飲み物等を買ってきてくれるようである。ただ、くれぐれも動かない事、犯罪者に気を付ける事、知らない人間に話しかけられても無視をする事等を言い残して離れていった。これは責任重大である。エディットは勝手に、クレマンスを守らねばならないと意気込んだ。尤もクレマンスにすれば、エディットの方がずっと危なっかしい。何せこの娘、現に市で騙された実績の持ち主なのだ。
ただ実際には子供二人連れであるにも関わらず、誰も、声をかけてなど来なかった。着ているコートが立派だったからである。どう見ても貴族の子女だ。下手に話しかけると、面倒な事になる。そう、捉えられていた。だから、二人は静かに待つことが出来る筈だったのだ。
「おや、アンタ」
声が、かかるまでは。声の主を見て、エディットは目を丸くした。
「アッ、ゲーゼさん!」
咄嗟に頭の上を見て、名を読んだ。完全にズルである。正直名の方は失念していたのだ。
声をかけてきたのは、一度会った絵描きであった。それも、この市の初日にあったのだ。エディットが騙される前の話である。
「あら、お知り合い?」
「クレマンス殿、この方が絵描きさんですよ」
「よく私の名前覚えていたね。てっきり忘れられたもんだと思ってたよ」
全くその通りなので、気まずそうにエディットは笑みを浮かべた。
「あの、ゲーゼさんも休憩ですか?」
だがこれ以上突っ込まれては堪らないとばかりに、口を動かしたのだ。
「いや、商売中さ。通りで客を待ってても中々引っかからないからね。こうして休憩中の人に声をかけた方が、当たるんだよ。座ったまま、描けるしね」
成程、と、感心しながら見てみると、確かに絵描きは食べ物の類など持っていなかった。あるのは、リュックだ。恐らくそこに、色々な道具が入っているのだろう。
「だったら、わたくしとエディット殿を描いて下さらない?」
丁度いいと言わんばかりにクレマンスが口を挟んだものだから、絵描きが目を丸くした。
「あなたの絵、先程エディット殿に見せて貰ったわ。折角だし描いて頂戴な」
「いえでも、私は」
「あの、ゲーゼさん、クレマンス殿はゲーゼさんに絵のスキルが無い事は知っています。大丈夫です」
エディットが真剣なまなざしでそう申し出たものだから、余計に絵描きは驚いた。確かにこのお嬢さんは、どう見ても貴族である。物言いと言い、物腰と言い、全てが堂に入っている。その貴族のお嬢さんが、スキルなしの絵描きに似顔絵を描かせようと言うのだから、大した変わり者だと驚いていた。尤も平民と同じテーブルについている時点で、変わり者に違いはない。
「じゃあ、お二人並んでもらえますか」
だが、此方も仕事である。驚いてばかりもいられない。依頼を受ければ描くのが絵描きだ。指示を受け、エディットが席を立った。それまでは、向かい合って座っていたのだ。だから、隣に移動したのである。硬い椅子をピタリと並べ、隣に座る。
「時間がかかりますが」
「いいわ。どうせアミシーも直ぐには戻ってこないでしょう」
やはり、本物の貴族相手には対応も違うのだな、と、エディットは感心していた。見習わなくてはいけない。つい、相手の身分を忘れそうになるのだ。エディットは、貴族と平民の違いがイマイチよく理解できていないのである。二回目だと言うのに、エディットの表情は強張っていた。絵描きを前に、どのような表情を浮かべてよいのか分からないのだ。対するクレマンスは、平然としたものだった。
「急に黙ってしまってどうしたの」
「いやこれって、動いたり喋ったりしていいんですか」
「まさかずっと前を向いて無表情でいるつもりなの?」
「いや、似顔絵を描いてもらうってそういう事じゃないんですか?」
呆れた、と、言うよう、クレマンスが息を吐いた。恐らく、似顔絵を描いてもらった経験があるのだろう。しかしエディットは気付いてしまったのだ。それは、絵のスキルを持った絵描きが相手ではなかったのだろうかと。対するオーブリー・ゲーゼは、絵のスキルがない、絵描きである。恐らく、じっとしていた方がいいのではないか。しかし、それを言ってしまったら、相手にも悪い気がして言えなかった。絵のスキルと言うのもがどんなものなのか、エディットは知らない。しかし、対象が動いてもよいだとか、短時間で描くことが出来るだとか、色々と優れた点があるのではないかと推測していた。
「クレマンス様?」
声がかかった。
残念ながら、絵描きより、侍女の帰りの方が早かった模様である。トレイに湯気が上がるカップと、パイが乗った皿を載せて、アミシーが戻ってきたのだ。
「アミシー。今ね、エディット殿が前に描いてもらったと言う絵描きに、二人の絵を描いてもらっているのよ」
「そうでございましたか。丁度いいですね。ゆっくり召し上がる時間がありそうです」
これを聞いた時、絵描きの顔が引きつったのをエディットは見逃さなかった。恐らく、余り動いて欲しくないに違いない。だが当然貴族相手に言えるわけもなく、オーブリー・ゲーゼは必死に筆を動かしたのだった。何も言えない事を、エディットは内心で謝っていた。小心で申し訳ない。これである。
外は晴れているとはいえ、気温は低く、時折吹く風はとても冷たい。そんな中、温かいスープはとても美味しかった。スープと言うよりも、クリームシチューに近い。パイの中には肉が入っていて、エディットは贅沢さを噛みしめていた。これ、お金払わなくて大丈夫かな、と、打算めいた事を頭の片隅に思い浮かべながら。更に、これ、持って帰れないかな、と、帰宅後の事まで考えていた。基本、卑しいのだ。
「で、出来ました……」
風にかき消されるのではないかと言う程の、小声であった。勿論、絵描きの声である。既に、食事は粗方終えていた。寧ろアミシーなど、急かすべきかどうか思案したほどである。オーブリー・ゲーゼは、手の早い絵描きではなかったのだ。エディットに渡した時は、黒一色、それも、小さいものだったからある程度早かっただけであり、貴族相手ではそうはいかない。以前エディットが貰った大きさの倍以上の紙を、絵描きはクレマンスに差し出した。
「あら、いいじゃない」
全く軽い一言だった。しかし、オーブリー・ゲーゼは胸を撫で下ろしたのだ。これでやり直しだのなんだのと言われたら、困る。一番困るのは、金を払って貰えない事だが。
「見て、エディット殿」
言われ、どれどれ、と、エディットも絵を覗き込んだ。以前貰ったものとは違い、ちゃんと色が乗っていた。白いコートと黒いコートを着た二人の少女が並んでいる。但し、友人同士と言うより、姉妹程体格に差があった。同い年には見えない。こうしてみると、やはり貴族のお嬢さんは奇麗だな、と、しみじみエディットは思ったのだ。自分は何と華がない事だろうと。もう少し何とかならないだろうかとまで思ってしまった。これは美醜の問題ではない。生まれ育ちの問題である。
「アミシー払って頂戴」
最後にクレマンスはアミシーに絵を差し出した。もしかすると、値付けはこの侍女がするのかもしれない。エディットは絵の値段など知らない。普通似顔絵を描いて貰ったら幾らくらいするんだろう。リーズナブルなのか、それとも、逆に高価なのか。
「では此方の絵に額を付け、アルメヴレハ大聖堂まで届けて下さい」
「畏まりました」
言いながらアミシーが絵と共に数枚硬貨を渡したように見えた。尤もエディットには枚数も、幾らの硬貨なのかも見えなかったが。更に、額を付けろと言う指示がある所から、額縁代も入っているに違いないのだ。結局幾らなんだろう。分からないままである。
最初にエディットに神官だと聞かされていたからか、教会への配達を申しだされても、絵描きは驚いていなかった。そもそも、貴族と言うのは物を持ち歩かないものなのだろう。運ばせるのだ。
「さて、お嬢様方、帰りましょうか」
絵描きが去り、改めてアミシーが言った。確かに目当ての物は買えたのである。これ以上長居をする理由はない。特にエディットにとっては、これ以上の出費は避けたかった。クレマンスは、エディットに尋ねなかった。一体どの店で騙されたのかをである。尤も聞いたとて、最早店はなかっただろう。店主は捕まった後である。それに、エディットだって、店の場所など覚えていない。
「エディット殿」
「はい?」
「来年も行きましょうね」
「もう、ブーツは要りませんよ」
「あら、あなた成長しない気なの?」
「しますけど? クレマンス殿より大きくなりますけど?」
「じゃあ、要るじゃない」
結論、負け。どうあっても、この貴族のお嬢さんに勝てない。ぐ、と、唇を噛んだエディットを見て、クレマンスが笑った。背後では静かに侍女も笑みを浮かべていた。
王都の市は七日続く。毎年冬に、開催される。少なくとも後二回は、一緒に訪れる事が出来るのだ。
沢山の人が行き交う中、教会へと歩いて帰ったのだった。




