表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
53/54

53.市再び。


「さあエディット殿、今日こそ市へ行くわよ」

 朝一で部屋に訪れた友人の一言に、エディットはポカンと口を開け呆けてしまった。何を来るなり口走っているのかこのお嬢さんは。そんな気持ちで視線を返す。

「えっ、おはようございますクレマンス殿」

「ええ、おはよう。早く支度して頂戴」

「えっ、聞いてないんですけども」

「今言ったわ」

「いや、そう言う事じゃなく」

「エディット殿、市って七日続くの」

「はい、聞きました」

「今日って七日目なの」

「アッ、そうなんですね」

「行くわよ」

 基本貴族のお嬢さんは我が強く、エディットの言い分など全く聞きはしないのだ。この部屋、内側から鍵かけられないの不便だな。今更ながらエディットはそのような事を思ったのだった。何せ、こういう相手の場合、遠慮せず入ってきてしまうからである。尤も、現状クレマンスだけである。

 仕方なく身支度をしながら、そうか、あれから、六日経つのか、と、しみじみエディットは思っていた。エディットが市で騙された日である。あれは、初日の出来事であった。何だか随分と前の事のように感じてしまう。色々な事があった数日間だった。一先ず途中でエディットは神に祈りを捧げた。例え声が聞こえずとも、神は常にエディットを見ている。そして、助けてくれるのだ。

 さて、出掛けるとなると、問題がある。幾ら持って行くかである。基準が全く分からないのだ。取り敢えず、箱ではなく袋に入っている硬貨を適当に財布に詰めた。箱をそのまま持って行くことも出来るが、取り出せない以上不便でしかない。一枚ずつ取り出せたなら、きっと便利だろうと思うのだが、魔力と言う壁が立ちふさがっていた。その内誰かに聞かなければいけないとは思っている。

 貴族の娘に間違えられた仕立ての良い黒いコートを着る。このコートが原因で騙されたのだが、今日は本当の貴族のお嬢さんが一緒なので、大丈夫だろう。

「あなた結局ブーツ買ってないんでしょう」

「そうなんです」

「買うわよ」

「アッハイ」

 否を言わせない物言いである。しかも、クレマンスは知っているのだ。既にエディットが無一文ではない事を。何せ目の前で見たのである。マルグリットから金を貰うところをである。つまり、全く遠慮をするつもりなど無かったのだ。元よりクレマンスに遠慮の文字はないが。

 クレマンスが出歩くとなると、当然アミシーも一緒である。流石にクレマンスを一人で出歩かせるわけにはいかないのだ。紛う事なき貴族の娘である。そしてその貴族のお嬢さんより危なっかしいのが平民のエディットであった。箱入りであろう貴族より世間知らずの田舎者なのだ。

「安心して頂戴、今日は大丈夫よ」

「いえあの、私だって流石に気を付けますよ」

「アミシー心して頂戴。エディット殿は、市で騙される娘なのよ」

「はいお嬢様」

 また言った。エディットの顔が引き攣った。だが事実なので返す言葉がない。そして流石に気付く。これ、この先もずっと言われ続けるヤツだ、と。しかも甘んじて受け入れる外ない話である。ぐ、と、文句を呑み込んで、エディットはクレマンスに続いて外へ出たのだった。

 幾ら冬とは言え急激に気温が下がるわけでもなく、エディットが市へ出た時と似たような体感温度だった。クレマンスは本当に市へ行きたかったようで、エディットより表情も明るければ足取りも軽かった。まるでエディットと対になるような白いコートが目にも眩しい。雪が降れば、紛れてしまいそうな程美しい白いコートだった。通りは相変わらず人が多く、はぐれないよう並んで歩く少女二人の後ろから侍女が目を光らせている。一人の時は適当に歩いていたが、その点今日は安心である。クレマンスもアミシーも、エディットよりずっと王都に詳しいのだ。何よりスリの心配をしなくてもいい。前回エディットは犯罪を警戒するあまり、ずっとポシェットを握りしめて歩いたのである。尤も、子供一人、と、言う事もあり、傍から見れば立派に不審であった。

「そう言えばエディット殿、初めての市はどうだったの? 騙されただけ?」

 思わずエディットは眉根を寄せてしまった。歩きながらクレマンスが、割と酷い言い草で問い掛けてきたからである。だが確かに騙され持ち金全て無くしてしまったので、それ以上の事はなかったのだ。ただ、騙される前には少しいい事もあったのである。

「いえ、絵描きさんと出会いました」

「あら、描いてもらったの?」

「ええ」

 答えながらエディットはポシェットを開けた。中には描いてもらった似顔絵がそのまま入りっぱなしだったことを思い出したのだ。何より、騙された事と盗まれた事で頭がいっぱいで、正直忘れていたのだった。鞄から取り出した黒一色で描かれた絵を見せる。自分であって自分でないような、そんな気になる不思議な絵。

「いいじゃない」

 するとクレマンスがごく普通にそう呟いたので、何だか嬉しくなってしまった。別段自分が描いたわけでもないのに、褒められたように感じたのだ。

「この方、絵のスキルは持ってないみたいなんですけど」

「珍しいわね」

「そう言うものですか」

「だって、わたくしもあなたも、神官のスキルがあるから神官なのよ」

 そう言われればそうである。神官のスキルがあるから神官。全く以てその通りであって、確かに神官のスキルがなければ神官になろうとは思わないし、先ずなれない。その点この絵描きは、絵のスキルがないのに絵描きを名乗っているのだから、確かに凄いのである。しかも実力が伴っているのだ。

「未だいるかしら」

「さて、どうしょう」

「いたら、一緒に描いてもらいましょうよ」

 もしかするとこの世界で絵を描いてもらう、と、言うのは、写真を撮ってもらうくらいの感覚なのかもしれない。ふと、エディットはそのように思ったのだった。前世の感覚で言えば、何となく敷居が高い行為も、此方ではそうではないのかもしれない、と。その上で、確か、宣伝すると約束した事を思い出したのである。結論から言えば、全くしていない。これはマズイ。急激にエディットは焦りだした。宣伝の対価として、無料で描いてもらったのだ。クレマンスを、本物の貴族を紹介する事で、許してくれないだろうか。急に打算めいたことを考え出したのだった。尚当の絵描きは、子供の宣伝など全く当てにしていなかったのだが。

「お嬢様もエディット様も、くれぐれも逸れませんよう」

 市の入り口で、アミシーが少女二人に注意をした。勿論目を離すつもりはないが、これだけの人出である。念を入れる事で、本人たちにも自覚を持ってもらう事が重要なのだ。神妙な顔で、二人は頷いた。流石のクレマンスも異を唱えず、従っている。

「あなた、絵描きの場所は覚えているの?」

「多分……入って真っ直ぐ行ったところだったんですよ……多分……」

 頼りない答えにクレマンスは緩く首を振った。所詮浮足立った田舎者の記憶など当てにならないわけである。

「取り敢えずブーツね」

 すぐさまクレマンスは気を取り直した。絵描きの件は諦めた方がいいかもしれないと思いながら。するとさり気なくアミシーが二人の行先を示した。出来る侍女は、市の大体の像を把握しているようである。勿論、示した先にあるのは絵描きではなく、ブーツであるが。

 人混みの中を、そう逆らわずに歩いていく。初日に来た時も圧倒されたものだが、今日も同じくらいの多さだった。時折現れる、馬に跨った騎士を見て感動するのも同じである。何も知らないエディットは今更ながら、売り物によって区分がある程度分かれている事に気付いた。尤も、考えずとも分かりそうなものではある。これだけの広さを手当たり次第に見て回る人間は少数だろう。

「沢山あるんですね」

 道の両端に並ぶ店を見て、エディットが呟いた。店の数そのものが多いのは当然のことながら、靴を取り扱った店が想像よりも多かったのだ。

「種類がそれだけあるのよ。男性用、女性用、大人用、子供用、貴族用、平民用、後は、職業によっても違うのよ」

 成程、店によって取り扱っている種類が違う。つまり、片っ端から見ればよいというものではないのだ。エディットは黙ってクレマンスに従った。いや、従うつもりでいたが、あることに気付いたのだ。

「あの、クレマンス殿。私、一番安いのでいいんですからね」

 そう、互いの身分の差である。どう考えてもクレマンスが選ぶのは、貴族の女児用である。対するエディットは、平民の子供用で十分なのだ。

「そうね」

 エディットの言葉にクレマンスは軽く返事をした。余りにも素っ気ない一言。エディットには分かる。これ、聞き入れる気がないやつだ、と。

「いえあの、お揃いとか止めましょうね」

「いいわね、いい事言うわね。そうしましょう」

「ちょっと、クレマンス殿聞いてます?」

「聞こえてはいるわ。聞き入れる気がないだけ」

 強い。エディットは顔を引き攣らせた。クレマンスが持つ貴族のお嬢様感に逆らえない。特権階級の人間て凄いな。此処まで来るとエディットは感心してしまった。いや、従っている場合ではないのだが。何故なら無駄遣いはしないと決めたばかりである。ブーツを買うのは必要な事だとして、高価である必要はないのだ。尤もその言い分が全く友人に伝わらないだけである。

「此方の店などよろしいのではないかと思います」

 後ろを歩いていたアミシーがさり気なく助言をした。その声を無視する主人ではない。クレマンスが足を止めれば、自然とエディットも止まった。まさか何も知らない人間が、おいそれと先に行くわけにはいかないのだ。

 急ごしらえの店は通りに面していても、其処に貴族を立たせておくわけにはいかない。通りに並ぶその後ろ、呼び込みをする商人の背後にもスペースがあった。身分によっては此方に通して、ゆっくり眺めて貰うシステムである。勿論、クレマンスは其処へ通された。エディットを伴って。もう自分は今日、クレマンスの御付きでいいんじゃないかな、と、投げやりな事をエディットは思ったのだった。

「さて、お嬢様。此方は如何でしょう」

 にこやかに、貴族を相手にするのは慣れていますと言わんばかりの態度で、後ろに控えていた男が言った。呼び込んでいる商人とは別に、もう一人いるのだ。どう見ても靴屋であるが、時期的なものか、ブーツしか置いていないのでやり取りもスムーズである。勧める商品の種類が一つなのだ。

 既にクレマンスは用意された椅子に座っていた。エディットも座ればよいのに、気後れして立ったままである。だからこそ余計に御付きの人間に見えるのだが。

 出されたブーツは革製であった。尤も、何の皮かは、分からない。エディットにそこまでの知識はない。しかもこの世界、魔物がいるので選択肢が多すぎるのだ。

「良さそうね。どうかしらエディット殿」

「えっ」

 話を振られ、エディットは困惑した。何も分からないのに聞かないで欲しい。これである。現状エディットに理解できるのは、革製で、色が黒だな、と、この程度なのだ。

「其方のお嬢様もお求めでしょうか」

「そうなの。お揃いにしようと思って」

「大変よろしいかと存じます」

 何が? 目の前で交わされる会話を見て、エディットの意識は飛びつつあった。理解出来ないのに巻き込まれているのだ。しかも一番重要な値段の話が一切出ないのである。片や商人の対応は早かった。客だと分かるや否や、椅子に座らせたのだ。逃げ場が封じられてしまった。エディットは顔を引き攣らせ、自分の前にも用意されたブーツを眺めたのだ。

 そう、ブーツである。

 黒色で、革製で、履き口には折り返しがあり、其処に白い糸でレースがあしらわれていた。エディットは思った。このレースがなければ、値段が下がるのではないだろうかと。所詮お洒落を理解しない人間の言い分である。クレマンスが試着を始めたので、仕方なくエディットもブーツに足を入れた。今世で縁のなかったものである。こんなに締め付けられるものだっただろうか、等と思いながら履いた。どうにも、ピッタリすぎやしないだろうか、もう少し余裕がある方が来年も履けるのではないだろうか、と、そんな事を考えていた。

「お二人とも丁度いいようですね」

 えっ。

 思わずエディットは商人を見た。にこやかな表情である。いや、余りにも自信に満ちた表情であった。これは、おかしい。思わずエディットは商人の頭上を見てしまった。其処にはエディットにしか見えない文字が浮き出ているのだ。日頃は見ないよう心掛けているのだが、今回ばかりは見てしまったのだ。

 そして、思わず呆けたのだった。

 対象の履物の大きさを的確に選び抜く。

 文章である。今までに見た事のないスキルであった。これがスキルだと仮定するならば、であるが。いや、スキルなのだろう。エディットの目に見えているのだから。

「どうなさいましたか?」

 エディットが不自然な顔で動きを止めたものだから、商人が訝し気に声をかけた。

「いえ、あの、頂きます」

 咄嗟にエディットは口走ってしまった。最早、無意識であった。何故なら、スキルが示しているのだ。これが、自分にとって丁度のサイズであると。疑いようがない。しかし、とんでもないスキルである。靴屋としては重宝するだろうし、靴屋としてしか需要はなさそうである。

 結局エディットは全てを諦めたのだった。これはもう、抵抗しても無駄だと悟ったのだ。

「では此方を、アルメヴレハ大聖堂まで届けて下さい」

 こんなに上等なブーツを買う羽目になるとは、と、勝手に落ち込んでいるエディットの横から、アミシーが口を挟んだ。成程、貴族ともなれば、自分で買ったものを持ち歩いたりしないのだな、と、エディットは驚いたのである。寧ろ自分が二つ持ってもいいくらいには思っていたのだ。完全にお付きの人間である。

「教会まで?」

 思いもよらぬことを言われたのだろう。商人が驚いたよう問い返した。

「ええ。此方のお嬢様方は、神官様なのです」

 神官て、凄いんだな。

 感心した商人の視線を受け、他人事のようにエディットは思ったのだった。尚、クレマンスは当然と言わんばかりの態度だった。このお嬢さんは、エディットよりも神官の立ち位置を理解しているのである。

 こうしてエディットは流されるまま、明らかに貴族のお嬢さん向けのブーツを買ってしまったのだった。尚、値段については思い出したくもない。偽物の魔法の箱よりは若干安かった。その程度しか、自分を慰める言葉が浮かばなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ