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52.借りは返すもの。


 マルグリットの言った事は嘘ではなかった。勿論信じていなかったわけではないが、一日の為すべき事を終え部屋に戻ったら、ドアに鍵がついていたのだ。勿論、硬貨を持ち歩くわけにはいかないので、掃除が終わった時一度部屋に戻ったが、その時はついていなかった。因みに施錠はされていなかった。それはそうである。鍵の持ち主はエディットなのだ。勿論教会側も所持しているだろうが、厳重に管理されているに違いない。されていて欲しい。エディットの願望である。一先ずこれで、金を盗まれる心配は減った。どうやら内側からはかけられないタイプの鍵であるが、エディットがいる間に忍び込もう等と言う人間は流石にいないだろうから良しとする。大体、エディットから盗みを働くと天罰が下ることは既に広まってしまっていた。恐らくもう誰も実行しないに違いない。己の人生と窃盗、天秤にかけるには釣り合いが取れていなさ過ぎる。

 鍵の存在はエディットに安寧を齎した。失くすという恐れはあるものの、施錠出来るという事実が心強かったのだ。盗まれる前より増えてしまった硬貨の存在もある。今度こそ、気を付けよう。エディットは固く心に誓い、ベッドに向かったのだった。神への祈りを忘れる事無く。

「あなたって随分と忙しいのね」

 翌朝、クレマンスに言われた言葉である。

 又も掃除中に呼び出しを食らったのだ。今度は尋ねてきたのではなく、呼び出されたのである。何だか嫌な予感を覚えながら、向かった。案内された先は、応接室だった。以前、立ち入った事がある。その時と同じ状況であった。意を決して、ドアをノックする。当然、応えがあった。だが、そのノックをして返って来た言葉、いや、声までも同じで、エディットは顔を引き攣らせたのだった。

 ルシアンがいる。

 尤も同じ神官であるルシアンが態々このような所へ個人的に呼び出す等ない事である。つまり、もう一人、エディットを呼び出した誰かがいるのだ。恐る恐ると言った体で、部屋の中へと入る。

「おはようございますエディットさん。何やらお求めの品があるとお聞きしました」

 にこやかに挨拶をする男を前に、曖昧にエディットは笑みを返した。何の事だか、見当がつかなかったのだ。一先ず向かいに座った。エディットを待っていたのはルシアンと、ストランド商会の若き代表、レイナウトであった。先代が亡くなり、代替わりしたばかりである。

「おはようございますレイナウトさん。ええと、心当たりがないのですが……」

 エディットは正直に白状した。商会と言うからには色々な物を取り扱っているのだろうが、別に今欲しい物など無いのが実情だったのだ。しかも、無駄遣いはしないと心に誓ったばかりである。折角来てもらったところ申し訳ないが、お帰り願おう。そう思った時だった。

「そうですか? ルシアン殿から窺った話では、此方を御所望だとお聞きしたのですが」

 そう言うと、レイナウトは、何やら箱を机の上に置いたのだ。エディットはまじまじと見た。何か特別なものかもしれないと、そんな風に思ったのだ。だがどう見ても箱であった。それも、小さな木箱である。これが一体何だと言うのか。正直、箱の類はもう御免だという思いすら抱いていたのだ。

「此方は?」

 仕方がないので、素直に尋ねてみる。エディットに問われ、レイナウトは笑みを深くして言った。

「魔法の収納箱で御座います」

「はあ」

 エディットは思った。何だそりゃ。呆気に取られたとも言う。どうにも状況を理解していない子供を見て、レイナウトは少し表情を和らげた。商人の顔から、ただの大人の顔を見せたのだ。

「エディットさん、詐欺に遭われたとお聞きしました」

「あー……、そうですね。騙されました。しっかりしていなかった私が悪かったのですが」

「そんな事はありません。商売とは誠実さの上で成り立つものです。貴方のような子供を騙す等、商人だ等と名乗る資格すらない。全く恥ずべき行為です」

 どうやらこの大人は、自分を慰めてくれているらしい。理解したエディットは、胸を撫で下ろしたのだ。幾ら自分が悪いと分かっていても、責められたくはないものである。

「エディットさん、私は貴方に借りがあります。なので此方の箱を贈らせて下さい」

「いえ、そんな頂けません」

「この箱は、詐欺師が用意した物とは違い、本物です」

「いえ、ですから」

「こんなに小さな箱でありながら、数え切れぬ程の硬貨を入れる事が出来、尚且つ、貴方にしか開けられぬよう封を施す事が出来ます」

「えっ、すごい」

「そうでしょう。凄いでしょう。どうぞ、お受け取り下さい」

「いえ、頂けませんけども」

「ご安心を。このまま置いていきますので」

「何にも安心できる要素が無いのですが」

「此方に説明書があります。どうぞご自分で読み、納得し、お使いください」

「それはご丁寧にどうもありがとうございます。違うんです、受け取れないんです」

「ああ、よかった、これで私も肩の荷が下りました。きっと母も天上で満足している事でしょう。それではこれで失礼します」

「レイナウトさんお忘れ物がありますよ!」

「今度は是非店の方にいらしてください。どんなものでも、法に触れぬ物であれば、ご用意しますので」

「ちょ、」

 レイナウト・ストランドは一方的だった。恐ろしい程。エディットの言い分など端から耳を貸す気はないと言わんばかりに、本当に出て行ってしまったのだ。エディットは呆け、そして、微かな笑い声に気付いたのだ。音のする方を見れば、ルシアンが静かに笑っていたのだった。あ、死ぬ。唐突にエディットは死を覚悟した。上品に笑うルシアンが、余りにも美しかったからである。だが、今死ぬわけにはいかない。何せ状況を把握できていないのだ。一体何がどうなってこうなっているのか、聞くまで死ねなかった。

「る、ルシアン殿」

「お忙しいですね、レイナウト殿は」

「いえ、そうでしょうけども、そうではなく」

「これで心配事が一つ減ったのではありませんか?」

「いえですが、部屋に鍵を付けて頂いたのでそれで十分でして」

「念を入れて困るものではないでしょう」

「いえその、頂く事自体困っていると言いますか」

「其処は、レイナウト殿の為にも受け取って差し上げて下さい。あの方は、人に借りを作る事を嫌う性分なのです。尤もこちらは御母上の分のようですから、馬の分が残っていますね」

 何とも恐ろしい事をにこやかに言うものである。だがそう言われたら、受け取らないわけにはいかない。別に恩を売った覚えはないのだが。勝手に向こうが恩を感じているだけである。しかも二つも。仕方なくエディットは机の上に置かれた箱に目を向けた。幾ら見ても只の箱である。但し形だけは、未だにエディットの部屋にある、指を窪みに置くと光るあの箱に似ていた。こういう形が主流なのかもしれない。何だか溜息が出そうになって、堪えた。流石に失礼だと気付く。どうにも己が持ち帰らねばならないようである。このような事に付き合わされるルシアンも大変だな、と、そんな風に思った時だった。

「エディット殿、私は貴方に謝らねばなりません」

「えっ」

 思いもよらぬことを、美しい男性神官が告げたのである。エディットは目を丸くし、何事かと見た。見なければ良かった。絵画が実態を伴って現れたかと思った。何やら思い悩む様の美形は、とんでもなく絵になったのである。しかも、色気すらあった。駄目だ、死ぬ。目が死ぬ。咄嗟にエディットは俯いたのである。

「アイトネ殿が言っていたでしょう。私からも金を盗んだと。私は盗まれた事に気付きながら、無かった事にしたのです」

「えっ」

「勿論、誰が盗みを働いたかを知っていたわけではありません。ですが、貴方と同じ見習いの頃でした。部屋に誰かが入室した形跡があり、そして、硬貨が無くなっている事に気付いた。それを、気のせいだと思い込んだのです」

 ルシアンの告白を聞きながら、エディットは不思議に思っていた。何故ならどう見てもルシアンは貴族である。本人から聞いたわけではないが、今彼の頭上に浮かぶ名前とて、立派なものである。なのにどうやら、鍵のない部屋を宛がわれていたようなのだ。まるで、エディットと同じ、平民の見習いの扱いだった。その事を不思議に思い、だが、尋ねる事が出来ない。そこまでの間柄ではないと分かっていたからである。

「私は信じたくなかったのです。同じ神官の中に、人の金を盗む人間がいる事を」

 その気持ちが、エディットには痛い程に分かった。エディットだって同じだ。神官には悪人などいないのだと思い込んでいた。だが、現実は違っていた。善人だから神官のスキルを得るわけではない。神がそう言う人間を選んでいるわけではないのだ。でも、善人を装う事は出来る。きっとアイトネだって、普段から悪く振舞っていたわけではないに違いない。普通の神官として、そう見えるよう生きていた筈なのだ。

「あの時、盗まれたと訴え出ていたなら、貴方にまで被害は及ばなかったかもしれない」

 果たしてそうだろうか。エディットにはそう思えなかった。もしルシアンが訴え出ていたとして、見習いだったという彼の話を、教会は何処まで聞いてくれただろうか。エディットが心配したのも其処だった。あの時、訴えようかと思わないわけではなかったのだ。だが、見習いの話を何処まで聞いてくれるのか、信じることが出来なかった。だから、泣き寝入りするつもりだったのだ。結局、ルシアンと一緒である。ただエディットの場合は、神が味方してくれた。其処が大きな違いで、神が助けてくれなければ、きっとこんな風に救われていないのだ。

「私は、ルシアン殿の所為だとは思いません」

 俯いたまま、エディットははっきりと否定した。

「お金を盗まれたのは、私とルシアン殿だけではないと言っていました。他にも被害者がいる中で、此処まで問題にならなかったのならば、それはもう、どうしようもなかったのです。きっと、証拠もなかったでしょうし、それにあの方は、そう言う人間を狙って盗みを働いたのではないでしょうか」

「そう言う人間、ですか」

「ええ、その、つまり、盗みを働かれても、騒がない人間です」

 よく言えば、穏やかでお人好し、悪く言えば気が小さい、そんな人間を狙ったのではないだろうか。単純に金欲しさならば、クレマンスのような本当の貴族のお嬢さんを狙った方が良いに決まっている。だが、彼方は常に誰かが部屋にいる状況である。だからと言ってマルグリットのように少し上役の神官を狙うのも悪手である。黙っている筈がないからだ。その点エディットやルシアンは狙い易かっただろう。何せ、泣き寝入り前提である。まさかその背後に、神が待ち構えている等とは想像もしていなかっただろうが。

「結局あの方は、神官ではなくなったのですか」

 ぽつり、と、呟くような声音でエディットは尋ねた。聞いて良いのか、それとも聞かない方がいいのか、と、思いながら尋ねたのだ。ルシアンが目を伏せた。

「ええ、今はもう教会にいません。神官でもない只の罪人を置いておく理由がないので」

 神官でもない只の罪人。その言葉は、エディットの胸に深く刺さった。あの時、全く光を纏わない女を見て、恐ろしくなったことを思い出したのだ。ああも容易く、神官としての力を失ってしまうのだと、その様を目の前で見たのである。だが、エディット自身、此処へ来た時は同じ状態だったのだ。全く光らない、神官でもない只の子供でしかなかったのである。ほんの、数か月前の話だ。

「アイトネ殿の腕に現れた神罰の文字を覚えていますか」

「はい」

 女の肌に直接刻まれた黒い文字を思い出し、エディットは僅かに顔を顰めた。何とも悍ましいものだった。

「あの時現れた文字の数は、被害者の数と一致したそうです」

 果たしてそれが幾つであったのか、ルシアンは言わなかった。だが、エディットの記憶では、一つや二つでは無かったように思う。つまり神は、エディットの分だけでなく、被害に遭った全ての神官への罪を刻んだのだ。神は、大神官であるエディット以外の神官の事も見ているのだと、そんな風に思った。例え、声は届かずとも。

 結局、レイナウトが置いて言った箱を残していくわけにもいかず、エディットは自室へと持ち帰った。本当に小さな箱だった。十枚の硬貨も入らないと思う程の。説明書を読めと言われたのに、全く無視してエディットは蓋を開けた。当然何も入っていない。試しに、一万トリオレ硬貨を入れてみた。

「えっ」

 思わずエディットは声を上げ、箱の中をまじまじと覗き込んだのだ。

 硬貨が、消えた。

 確かに入れた一万トリオレ硬貨が消えたのだ。そんな馬鹿な。箱の中は、開けた時同様、何もない状態である。完全に底が見えているのだ。そんな馬鹿な。エディットは大いに動揺し、箱をひっくり返した。

 カン。

 出てきた。

 箱の中から、一万トリオレ硬貨が落ちてきたのだ。それはそうである。確かに入れたのだから。なのに、入れたら見えなくなったものだから、焦ったのである。此処へ来て漸くエディットは説明書を読む気になった。遅い位であった。

 直ぐにエディットは眉間に皺を寄せた。何やら理解出来ない事が書かれていたからである。曰く、最初に蓋を開けた者の魔力を持ち主として認定し、他の人間の干渉を弾くとある。成程、意味が分からない。いや、分かる。簡単に言えばエディット以外は開けられないという事である。だが、本当だろうか。こればかりは、他の人間に試して貰わないと分からない。しかも偽物の箱のように、光ったりしないものだから、余計に分からないのだ。ずっと、変わらないのである。更に読み進める。曰く、容量はほぼ無限である。はい、意味が分からない。無限の意味が分からない。無限とはつまり、限りが無いのだ。幾らでも入ってしまうわけである。ただ、箱自体が小さいので、硬貨位しか入りそうにないが。これでどんな大きさの物でも飲み込みます、等と書かれていたら、それこそ眉唾ものである。流石にその表記はなかった。そして最後。取り出したい物を念じ、魔力を込める。はい、意味が分からない。一番エディットが困った部分が此処である。エディットは知らなかったのだ。魔力の込め方である。だが、箱をひっくり返したら出てきたので、それで良しとした。出て来るならいいのだ。一番困るのは、中に入ったまま出てこない事である。そうして、半ば疑いながら、昨日マルグリットから貰った硬貨を次々と投入していった。

 成程、どうやら本当に魔法の収納箱らしい。

 どう考えても箱の大きさ的に無理なのに、次から次へと入っていってしまうのだ。恐ろしい程に。半分くらい呑み込んだところで、エディットは手を止めた。見えないのに無くなっていく硬貨に恐怖を覚えたのだ。意を決して、箱をひっくり返した。

 チャリン、チャリンとぶつかる音を立て、一気に硬貨が落ちてきた。

 成程、消えてない。だがエディットは困っていた。一々取り出す際、全部出てくるのはどうしたものかと。いや、魔力を込め念じればいいのだ。だが、それが出来ない。結局悩んだ末、半分は箱に入れ、半分は袋のまま置いておくことにした。部屋に鍵もついた事だし、一先ずこれでいいだろうと。つまり、諦めたのだった。

 こうしてエディットは、本当の魔法の箱を入手したのだった。但し現状、エディット専用の貯金箱のようなものである。



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