表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
51/54

51.神官は眩しい。



 教会に響き渡る鐘の音が、朝を告げる。

 いつもと変わらない朝が来たのだ。なんだか不思議な気持ちだった。まるで昨日の出来事など無かったかのように、エディットは一人で、部屋は静けさに満ちていた。ぼんやりと起き上がる。よく眠れたのだろうと思う。しかし、徐々に覚醒してくるとやはり頭に浮かぶのは昨日の事であった。無かった事にはならなかった模様である。アイトネと言う特に面識もなかった神官の一言が、遅効性の毒のように心を刺している。

 目障り。

 そんな風に言っていた。あの時は聞き流したが、こうして心に残っているという事は、傷ついたのだ。まさか、他の神官から、それも関わった事のない相手からそのような事を思われている等、想像もしていなかったのである。己は目障りなのだろうか。一生懸命取り組んでいるつもりでいた。でも、そう言う問題ではないのだ。どうしようもない部分で、疎まれている。存在そのものを否定されたのだ。エディットは落ち込んでいた。

 だが、幾ら気落ちしていようとも、為すべき事はしなければならない。一先ず、身形を整える。その後は、掃除だ。今日からはクレマンスも一緒だろう。昨日まではエディット一人だった。だが、昨日に限って言えば、それに救われた思いもあった。硬貨を盗まれた直後で、誰にも会いたくなかったからだ。尤も、その問題も一応は解決した。それにクレマンスは友人である。エディットを拒絶したりしない。

「おはようございます。クレマンス殿」

 相変わらず、使われているのかいないのか分からない部屋の一室で、エディットは挨拶をした。

「あなたって、嫌になる程真面目ねエディット殿。今日くらい掃除しなくたって、誰も怒りはしないわよ」

 何処か呆れた物言いをするクレマンスにエディットは笑ってしまった。そのような事を言いながら、エディットより先に部屋に来ていたからだ。口ではそう言いながら、エディットが役目を放棄するとは、全く思っていないのである。 

「でも私が来なかったら、クレマンス殿も掃除しないじゃないですか」

「それは違うわ、エディット殿。わたくしは掃除をしないのではなく、掃除が出来ないのよ」

 全く清々しい程、貴族のお嬢さんの物言いである。でも大概エディットは慣れていたので、笑いながら水を木桶に満たしたのだった。こういう時、水のスキルは重宝する。態々汲みに行かなくともよいのだ。しかも今季節は冬である。幾ら教会の中は暖かいと言えど、水は冷たく、辛い作業であろう。その事を痛感するのは、雑巾を水に付けた時である。エディットが神から授かった力は、物を浮かせ自在に動かす力である。雑巾を絞るのは、エディット自身であった。もしかしたら、出来るような気がしないでもないが、今のところ手で絞っている。水に手を付けると、冷たさから、刺すような痛みが走った。しかし慣れている。そう言う暮らしをしていたからだ。これは貴族のお嬢さんには無理だろうと、二つ絞った。此処から先は、神からの力に頼る場面である。特に指示をしなくとも、すい、と、雑巾は浮き上がり、窓を滑っていった。尤も一枚だけである。もう一枚はエディットが自ら床を拭くのだ。

 ふと、物音がした。

 ドアを叩く音である。エディットは立ち上がり、クレマンスを見た。二人の視線が交差する。入室の許可を求める音である。

「どうぞ」

 声を発したのは、クレマンスであった。エディットはこういう事態には、不慣れなのだ。何時も呼び出されている方でありながら。大体今回もエディットを呼びに来たのだろう。そんな風にクレマンスは予想していた。ドアが開く。顔を出したのは、当然ながら神官であった。

「素晴らしい力ですね」

 本来なら挨拶をするつもりだったのかもしれない。だが、入室して真っ先に目に入ったのが、勝手に動く雑巾だったのだろう。神官は目を細めてそう言ったのだった。けれどもエディットは、何だか咎められたような気になってしまった。そんな意図はなかったにしろ、ズルをしているように思ったのである。だが謝罪するのも違う気がして、言葉が出なかった。この間もずっと雑巾は動き続けている。

「おはようございます。クレマンス殿」

「おはようございます。マルグリット殿」

 えっ。突然置いていかれたような気になった。入室してきた神官と、友人が挨拶を交わしたからである。どうやら知り合いであるようだ。エディットはそうではないのに。その動揺に気付いたのか、マルグリットはエディットに向かって微笑んだ。

「おはようございます。エディット殿。マルグリットと申します」

「えっ、あっ、おはようございます。エディットと申します」

 しまった。既に把握されているのに名乗ってしまった。だが他に言葉が浮かばなかったのだ。心なしか友人の視線が冷たい気がする。恐らく気のせいではない。しかも居心地が悪いのはそれだけではない。このマルグリットと言う神官から、気品を感じるのである。質素な形をしているのに、みすぼらしさが全くない。早い話が、ルシアンやクレマンスと同じである。エディットが持ち合わせていない、上流階級の空気であった。完全に己が浮いている事に、エディットは気付いたのだ。尤も、初対面ではない。昨日顔を合わせている。あの、礼拝堂で。その時は他の問題に気を取られていて気付かなかったが、今日は違う。落ち着いてみれば、年嵩ではあるものの美しい女性神官だった。

「エディット殿にお渡しする物があります」

「はい」

 返事をしたものの、心当たりはない。大方持っている袋に関する物だろうが。マルグリットは、布の袋を持っていた。其処から更に袋を取り出し、近くにあった机の上に置いた。乗る際、何やら硬質な音が響き、エディットは目を丸くしたのだ。悲しいかな、中身の予想が直ぐについてしまったのである。

 硬貨だ。

 自然と目が向いた。

「此方は、昨日ベイトソン殿があなたへと置いていったものです」

「えっ」

「全て、あなたの物です」

「いえ、お待ちください。頂くわけにはいきません」

 咄嗟にエディットは、拒否をした。欲しくないわけでは勿論ない。だが、貰うわけにはいかないのだ。何故なら、冒険者ギルドにおいての見習いの治療費は千トリオレ。その内半分が冒険者ギルド、もう半分が教会の取り分である。昨日の金額は千でもない上に、エディットが直接貰うわけにはいかなかった。神の目は常にエディットに向いている。規則に則らない事が恐ろしかったのだ。

 固辞するエディットに向かい、マルグリットは無視する形で続けた。

「そしてこちらが、アイトネ殿があなたから盗んだ物です」

「えっ」

 袋が増えた。硬貨が入った袋の隣に、またマルグリットは袋を置いたのだ。尤も最初の袋よりもずっと小さいものだった。それはそうだろう。マルグリットが言う事が事実であれば、数枚しか入っていないのだ。だが、あんな風に喚いていた女が、すんなりと返すものだろうか。冷静に会話が出来る状態ではないように見えた。それが、昨日の今日で、金を返すところまで進展するだろうか。エディットは疑った。

「もしかして、教会が補填して下さっているのではないですか」

 真っ直ぐな視線を受け、マルグリットは内心で狼狽した。十歳の見習いが寄越すような視線ではないように感じたのだ。だが、其処は年の功である。跳ね返すよう、笑みを浮かべたのだ。

「エディット殿。今回の事は、教会に責があります」

「責?」

「もう一つお渡しする物があります」

 萎んだ袋に手を入れる。もう何も入っていないように思われた其処から、マルグリットは小さな物を取り出すと、やはり机の上に置いたのだった。

「鍵?」

 エディットが小さく呟いた。

「はい。今日中に、あなたの部屋に鍵を付けます」

 エディットは目を丸くした。予想もしない言葉であった。そもそも、部屋に鍵があったなら、エディットは魔法の箱など欲しなかったのだ。遅すぎるとも言えたが、だが、今あって困るものでは絶対に無かった。

「ありがとうございます」

 素直にエディットは礼を言った。硬貨は別として、鍵は素直に嬉しかったのだ。マルグリットは一つ頷いてみせた。

「礼なら、ベイトソン殿に言うといいでしょう」

「ベイトソン殿に?」

「わたくし、大いに叱られましたので」

 何処か自嘲気味に言うマルグリットに、きょとんとエディットは目を丸くした。こうして居るとただの子供にしか見えなかった。だが本人含めその周囲は大いに光っているのだ。

「まさか、盗みを働く神官がいるとは、思わなかったのです」

「……私も、神官とは悪事を働かないものだと思っていました」

「違いましたね」

「はい。神官にも色んな人がいると知りました」

「失望しましたか?」

「えっ?」

 咄嗟にエディットはマルグリットを見た。まさかそのような問いかけをするとは思わなかったのだ。高貴な顔をした女神官は酷く凪いだ様相を浮かべていた。エディットがどのような答えを出しても受け入れる、そんな風に見えた。暫しエディットは黙った。

「いえ、勉強に、なりました」

 そうして、小声で言った。少し顔を顰めながら。

「神官のスキルがあると分かってから接してくれた人は皆さん優しくて、神官も、神官の近くにいる人も皆優しい人ばかりで、そう言う人ばっかりなんだって思い込んでました。それに、私は十歳です。こんな子供を騙したり盗みを働く大人がいるなんて、想像もしませんでした。世間には色んな人がいるんだと、勉強になりました」

 聞いている方の心が痛くなる告白だった。悪人の存在を知らなかったわけでも、信じていなかったわけでもない。でも、自分とは無関係だと思っていた。だが現実はそうではなかった。実際には、何処にでも、直ぐ傍にも悪い人間はいるのだと知ったのだ。結局のところ、自分の身を守るのは自分なのだと思い知らされたのである。特にエディットは神官だ。周りの神官も同じよう、敬虔なのだと信じ切っていた。少なくとも神官に悪い人間はいないと、そう、思い込んでいたのだ。

 結局、エディットは誰の事も責めなかった。

 それを何処か痛ましいものを見るような目をして、マルグリットは言ったのだ。

「エディット殿、あなたはとても眩しいですね」

 羨んでいるのか、それとも妬んでいるのか。どう言う気持ちから出た言葉なのか、自身でも測りかねていた。或いはただ、見たままを口にしただけでもあった。エディットは眩しかった。どの神官が見ても、選ばれた人間なのだと一目でわかってしまう程には。隣にいるクレマンスを憐れんでしまうくらいだった。ただクレマンスは慣れているのか、詰まらなそうな顔をして立っている。エディットが眩しい事など、今に始まった事ではないとでも言わんばかりに。

「マルグリット殿も眩しいですよ」

 そしてエディット自身もまた、己が纏う光など意に介してはいないのだ。何故なら、見えていないからである。素直に感想を述べたエディットに、マルグリットは僅かに目を丸くし、そうして、何やら救われた思いすら抱いたのだ。歴代の神官の中で最も光っているであろう子供の言葉は、マルグリットの神官としての経歴を裏付けたように感じていた。勿論、真面目に務めを果たしてきたと自負している。だが、マルグリット自身、己の光は見えないのだ。これはどの神官でもそうである。自分が纏う光は見えない。だから神官としての実績が、自分では分からないのだ。それが、たった一言で、報われた気になった。

「エディット殿」

「はい」

 確かにエディットは眩しい。だが、その眩しいエディットの目に、自分は眩しく映っている。そう知った時、素直にマルグリットはベイトソンの言葉を受け入れられるようになった。エディットは、十歳の子供なのだと。庇護すべき対象なのだと。光ばかりが目に入り、その実態が見えていなかった。

「今あなたは誰の事も信じられないかも知れません。ですが、クレマンス殿は違うのではないですか?」

「勿論です。ねえ、エディット殿?」

「アッハイ」

 何故かエディットより先にクレマンスが答えてしまい、エディットは曖昧に返事をするに至った。いや、事実であるが。確かに、誰を信じられずとも、友人のクレマンスは信じることが出来るだろう。

「ですが、クレマンス殿だけではありません。もし困った事があったなら、ルシアン殿やわたくしも力になります。必ずあなたの話を聞きます。ですから、安心して下さい」

 マルグリットの言葉にエディットは驚いていた。急に親身になってくれたように思った。いや、勝手にエディットが拒絶していたのかもしれない。この教会を家のように思っていた。周囲にいるのは、見知らぬ他人が殆どでありながら、それでも身内のように思っていたのだ。だが、違っていた。良い人もいれば悪人もいる、世間そのものだったのだ。それを知り、心を閉ざそうとしていたのは事実である。マルグリットは必ず味方になるとも助けるとも言わなかった。でも、それで十分に感じていた。何故ならエディットが間違わないとも限らないのだ。その時はきっと、叱ってくれるのだと分かったのである。

「ありがとうございます」

 エディットは素直に頭を下げた。マルグリットが一つ頷く。

「クレマンス殿も、エディット殿を助けてあげて下さいね」

「勿論です。だってエディット殿は、市で騙される娘ですから」

 また言った。もう昨日から何度言われたか分からない言葉である。思わずエディットは顔を顰め、マルグリットは軽く笑った。

「そうですね」

 しかも否定されなかった。仕方がない、事実である。

 こうしてマルグリットは去っていった。二つの袋と、一つの鍵を置いて。

「良かったわね」

「うん」

 頷いておきながら、本当にこれで良かったのだろうか、と、エディットは思っていた。少し納得していない部分もあったのだ。特に、教会が補填したと思わしき金の方である。あの時アイトネは、他の人間からも盗んだと白状していたのだ。その人にも返したのだろうか。自分だけが恩恵を受けているのではないだろうか。それに、あの女神官はどうなったのだろうか。相手が子供だからか、アイトネがどうなったか、その事をマルグリットは言わなかったのだ。恐らく、知る必要はないという事だろうが、気にならないと言えば嘘になる。だが、忘れた方がいいという考えも、理解できるのだ。今回の出来事は、間違いなくエディットにとって傷であった。だが、傷は何れ癒えるのだ。癒えるはずである。痕は残るかもしれないが。

 アイトネと言う女神官を大聖堂で見る事は二度となかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ