49.告白。
「エディット様、もしよろしければ、クレマンス様がお食事をと」
自室でぼんやりと過ごしていたエディットの元へと使いがやってきた。勿論、クレマンスの侍女のアミシーである。今朝だったら絶対に会いたくないと思っていただろうが、幾分気を持ち直したエディットは快諾したのだ。何より、空腹を感じ始めていた。昨日から何も食べていなかったのだ。食堂に行っても良かったが、今を以て尚、他の神官には顔を合わせ辛かった。つまり、有難い申し出であった。アミシーの後に続き、同じ見習いが使っているとは思えぬ部屋へと赴く。
「こんにちはクレマンス殿。お久しぶりですね」
「ええ、本当に……」
久方ぶりに顔を見たクレマンスは、元気がなかった。もしかして未だ体調が優れないのでは。エディットは案じ、部屋に戻った方がいいのではないか、と、考えたのである。しかし、本当に体調が優れなければ、侍女が先に動くはずである。結局、勧められるままに、席に着いたのだった。
「ええと、もう体調の方はよろしいのですか」
「ええ……」
言葉は返ってくるものの、どうにもおかしい。何を話しかけても、何処か上の空である。困ったエディットは傍に立つアミシーを見てみたが、此方も不思議そうに主人を見ていた。どうやら同じ気持ちのようである。はて、どうしたものか。
「エディット殿」
「アッハイ」
「わたくし、あなたに、謝らねばいけないことがあるの」
「えっ」
突然の申し出に、エディットは目を丸くした。謝罪を受ける理由が思い浮かばない。何せここ数日、真面に顔も合わせていないのだ。何かあっただろうかと、エディットは自身の頭の中を探った。尤も探り当てるより、相手が言葉を発する方が早かったのだが。
「あなた、市で騙されたんですって?」
「えっ……」
思いもよらぬ言葉が飛び出し、エディットは言葉を失った。クレマンスは沈痛な面持ちで、俯いている。だから、驚きを露わにしたエディットを見ていなかった。
「わたくしの所為だわ。一緒に行かなかったからよ」
「いえ、それは違います。クレマンス殿の所為ではないのです」
「いいえ、わたくしの所為なの。あなたに、コートをあげたでしょう」
「ええ、ありがとうございます。それが?」
「それで、あなたを貴族の娘だと思ったそうなの。だから、騙してもいいのだと」
「えっ……」
正直此処まで聞いても、何故それがクレマンスの所為になるのか分からなかった。エディットは理解していなかった。貴族と平民の差、つまり、隔たりである。同じ人間でありながら、其処には確かに差が存在していたのだ。しかし、今まで殆ど貴族と接したことのないエディットには分からない感覚だったのである。貴族の娘なら騙していいと、そう言う結論に至る理由も思いつかなかった。貴族だろうと平民だろうと子供は子供で、騙す対象などではない。事実被害者の癖に、そんな風に思っていたのだ。
「幾ら騙し取られたの」
「えっ」
「代わりに払うわ」
「それはいけません!」
咄嗟に、大声で反論した。急に声を張ったものだから、つられてクレマンスが顔を上げた。驚きを宿して。尚、隣で聞いていたアミシーも驚いていた。突然自分の声が響いたものだから、エディットも又驚き、恥じたのだった。
「それは駄目です、クレマンス殿」
「どうして? わたくしが一緒にいれば防げたのよ。だったら、」
「いえ、そういう事ではないのです」
「ああ、あなた、わたくしが家のお金を使うと思っているのね? そうじゃないわ。わたくしも教会から給金を貰っているのよ。それで払うわ」
「いえ、お金の出所の問題ではないのです。クレマンス殿、私が騙された事の責はあなたには一切ないのです。私が勝手に騙されたのです。私がもっとしっかりしていれば、騙されなかったのです。だから、あなたが払う理由は一つもないのです。もし今此処で私があなたからお金を頂いてしまったら、」
此処でエディットは言葉に詰まった。この先の言葉を言って良いのかどうか、悩んだのだ。ちら、と、クレマンスを見る。酷く深刻な顔をしていた。だがそれは、エディットも同じだった。二人して、子供らしからぬ思いつめた顔をしているのだ。まるで、この国の未来を憂いているような、そんな顔だった。
暫しの沈黙。破ったのは、エディットだった。
「友達じゃ、なくなってしまう」
意を決して、告げた。同じ見習いと言えど、貴族と平民。立場は全く違う。それでも、友達だと面と向かって言って良いのかどうか、悩んだのだ。クレマンスから言われた事はある。はっきり友人だと言ってくれた。でも、エディットが告げたことはなかった。恐らく、クレマンスよりエディットの方がずっと、身分に拘っているのだ。でも、言った。言ってしまった。
「でも、」
クレマンスが、言う。もしかすると、友達ではない、と、そう言うのだろうか。単なる一時的に見習いとして共にいるだけだと、今更言うのだろうか。内心で、覚悟した。
「あなた、とても、傷付いているでしょう」
は、と、息が漏れた。それは、安堵だったのか、それとも、驚きだったのか。
「わたくし、あなたが傷つくと、苦しいわ。だから、元気になって欲しかったの。わたくしの所為で傷付いたのだから、謝りたかった。でも、お金を払う他に、方法が思い付かなかった。あなたが、一番大事にしているものでしょう? だから、お金があれば、きっと、喜んでくれると思ったの」
金が惜しくないと言ったら、きっと嘘になる。でも今エディットは、金よりずっと価値のあるものを貰ったのだ。但しその価値は、エディットにしか分からない。クレマンスの言葉の優しさに、涙が零れそうだった。昨日流した涙とは、きっと温度が違う。騙されたし、盗まれた。それは悪い出来事だった。でも、エディットの周りには、自分を思い遣ってくれる人が確かにいる。それはきっと、何物にも代え難く、ここで、躓いていられないと素直にそう思わせたのだ。盗られたものは、きっと、返ってこない。だったらもう、次がないよう、気を付ける。それしか今出来ることはなかった。
金が惜しくないと言ったら、きっと嘘になる。でも、前を向こう。自然と、顔に笑みが浮かんだ。
「ありがとうございます、クレマンス殿」
「何もしてないわ」
「私は確かにお金が大事ですが、でも、お金より、クレマンス殿の方が大事です」
突然の告白に、クレマンスが目を丸くした。しかもエディットは悟りを開いたような、そんな顔なのだ。急に酷く大人びたように感じたのである。しかも、同じ神官であるクレマンスから見ると、光まで放っているのだ。今になってクレマンスは、何やらとんでもない相手の前で喋っているな、と、思ったのである。それでもクレマンスにとって、エディットは、エディットだった。平民と貴族と言う身分の差はあれども、同じ場所で過ごす、同じ見習いであり、
「わたくしもあなたを、友人だと思っているわ」
大事な、友人だった。
最初の重苦しい空気は既に霧散していた。隣で見ていたアミシーは、密かに胸を撫で下ろしたのだ。二人の仲が拗れずに済んだことに安堵したのである。エディットが、しっかりした子供で良かった。どうやら話を聞くに、騙されたようであるが、こんな子供を騙す不届き者がいるのだと、憤慨もしていた。何せ、自分の主も同じ子供である。今以上に気を張らなくてはいけない。しかも、貴族に見えたから騙したと言う。とんでもない話だ。知っていたが、王都は危険が多い。領地とて犯罪はあるものの、此処よりは安心である。だが、見習いの期間は後二年残っているのだ。
そうして、湯気の上がっていないカップに気付く。最初に用意したものの、話が途切れず、冷めてしまったのだ。淹れ直そうと手を伸ばしたアミシーに気付いたのか、焦ったようにエディットが一気に飲んだ。マナーも何もあったものではないが、それが何ともエディットらしくて、二人は笑った。エディットから言わせれば、ちょっと冷めただけで捨てるなど、勿体無くて死んでしまう。心が。
「そう言えば、どうしてクレマンス殿は私が騙されたと知っているのですか?」
エディットが飲み干してしまったので、仕方なくクレマンスも冷めた紅茶に口を付けた。隣で焦るアミシーは見て見ない振りである。
「実はね、」
先程の治療処でのやりとりを思い出し、クレマンスが顔を顰めた。よく顔は見なかったが、あの男が友人を騙したのだと思うと、今更ながら腹が立ってきたのだ。しかし、あの男が駆けこんでこなかったら、エディットは騙された事を言わなかったかもしれない。果たして、良かったのかどうか難しい所である。何やら一人で不快気に表情を歪ませたクレマンスを、エディットが不思議そうな顔で見ている。未だ料理は来そうにないので、クレマンスは事の次第を説明しようとした。
その時だった。
「わたくしが、見てまいります」
ノックが聞こえたのだ。少女が揃って、ドアの方を見た。だが、二人が立つよりも、侍女が動く方が早かったのだ。エディットの部屋のドアに比べると重厚な扉を僅かに開けて話している。勿論、施錠出来るドアである。そう長い用件ではないようで、アミシーは直ぐに戻ってきた。但し、難しい顔をしている。
「エディット様に、御足労願いたいそうです」
「私?」
用事があるのは、エディットのようだった。首を傾げるエディットより先に、クレマンスが席を立った。
「クレマンス殿?」
「行くわよ、エディット殿」
「お嬢様?」
呼ばれたのはエディットなのに、それより先にクレマンスが動こうとしている。それは侍女も止めると言うものである。何せ、意味が分からないので。
「いえあの、呼ばれてるの私だと思うんですけど」
「決めたのよ。エディット殿を放っておかないって」
「えっ」
「あの、お嬢様?」
「アミシー、エディット殿は、市で騙される平民なのよ!?」
うっ、と、小さくエディットが呻いた。心が痛い。事実だけに心が痛い。だがだからと言って、貴族のお嬢さんに付き添われる謂れは無いわけである。但しこの貴族のお嬢さん、こうと決めたら折れない。このままだと、勝手に一人でも行ってしまう。急いでエディットも立ち上がったのだ。
「大体、クレマンス殿、何処へ行くか分かってるんですか?」
「何処へ行くのアミシー」
「その、あの、礼拝堂だそうです」
「さあ、行くわよ、エディット殿」
「えっ、ちょっと、私一人で行きますから落ち着いて下さい」
「エディット様、くれぐれもクレマンス様をよろしくお願いいたします。わたくしが共に行ければいいのですが……」
「いえですから、残ればいいだけの話で」
「エディット殿、あなたは、市で騙される娘なのよ?」
完全に言い聞かせる口調であった。ぐ、と、エディットは言葉を呑み込んだのだ。めっちゃ言うじゃん。反論できず、内心でエディットは呟いたのだ。確かに騙されたのだが。否定できない事実である。拒否したところでクレマンスが従うはずもなく、仕方なく二人で礼拝堂へと向かったのだった。めっちゃ言うじゃん。内心で同じ文句を垂れながら。エディットは、市で騙される世間知らずの平民なのである。




