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47.神に愛された娘。


 馬車に揺られて辿り着く。見知った場所へ。教会である。今朝後にしたばかりだ。尤もその時は一人だった。今は二人である。馬車から降りると、ベイトソンはあっさりと離れてしまった。またな、と、一言だけ残して。エディットは神官で、ベイトソンは外部の人間だ。入り口が違うのである。結局何をしに来たのだろうと思いながら、エディットはベイトソンを見送った。同じ方向へ行くわけにはいかなかった。ベイトソンが向かった先は、当然外部の人間用の入り口である。所謂、治癒処と呼ばれる所だった。他にも外部用の入り口はあるが、一番簡単に神官に会えるのが此処である。丁度空いた時間だったのか、受付には治癒を求める人間は誰もいなかった。

「御機嫌よう、冒険者ギルドの長殿」

 ベイトソンの姿を見た受付に座っている女性が言った。にこやかに、如何にも接客に慣れていますという風だった。訝し気にベイトソンは片眉を上げた。

「商売あがったりじゃねえか。閑古鳥が鳴いてんぞ」

「何を仰いますやら。時間ですよ。教会は慈善事業をしておりませんので。でもあなたには世話になっていますからね、特別にわたくしが癒してさしあげても構いませんよ?」

「不要だ。凄腕の神官を知ってるんでね」

「では本日はどういった御用件で? わたくしと話がしたいのですか?」

「そうだ、と、言ったら?」

「何やら恐ろしいですね。取って食うおつもりですか?」

「俺は悪食じゃねえよ」

 そう、のんびりと会話をしていた時だった。慌ただしく、床を蹴る音が聞こえたのだ。誰かが走ってくる音である。どうやらこの受付に用があるらしい。ベイトソンが少し横にずれた。案の定、男が一人、駆け寄ってきたのだ。

「お願いします癒して下さい!」

 顔すら青褪めさせて、息せき切りながら、訴えた。

「すみません、また後から来ていただけますか。既に締め切ってしまったのです」

 だが男の様子など関係ないと言わんばかりに、神官はあっさりと拒否したのである。しかも、目を細めてにこやかに。ベイトソンが顔を顰めた。こう言うところが嫌いなのだと物語っている、そんな顔だった。

「そんな、お願いします! 痛くて我慢できないんです!!」

 窮状を訴えんと、男が腕を見せ付けた。袖を捲ると、右腕、手首の少し上の方が黒くなっている。まるで、焦げたみたいだった。見た事も無い痣である。興味深げに神官と、ベイトソンが見ている。男の顔は痛みからか歪んでいる。相当に痛いのか、お願いしますと繰り返していた。

 其処へ、更に人の足音がした。

 見れば、神官たちがぞろぞろと中から出てきたところだった。休憩である。受付が断った理由がこれだ。不休で働くような真似はしないのである。これは、相当に金を積まないと動かないだろう。そんな風にベイトソンは思った。教会は慈善事業ではない。そう、受付は言った。その言葉通り、動かすなら先ず金を用意せねばならないのだ。だがそんなベイトソンの予想を裏切るよう、受付は、笑みを浮かべたのだ。

「では、見習いでもよろしければ」

 まるで、慈善すら感じさせる顔で言った。男は、構いません、と、急いで答え、見習い、の一言にベイトソンが顔を顰めた。ベイトソンにとって、見習い神官と言えばエディットであったのだ。先程別れた少女である。

「クレマンス殿!」

 だが、そうではなかった。受付が呼んだ名は、別の物だったのだ。ぞろぞろと出てきた中に、クレマンスの姿もあったのである。エディットがギルドへ送られる日は、大抵クレマンスも癒しの業務に励んでいたのだ。呼ばれ向かってくるクレマンスを見て、エディットより年上だな、と、ベイトソンは思った。実際は同じである。エディットが小さいのだ。

「何か御用でしょうか」

 何処かつっけんどんにクレマンスは言う。貴族のお嬢さんは、基本愛想がないのだ。

「ええ、此方の方を癒して下さい」

「お、お願いします」

 脂汗を流しながら言う男へと、クレマンスは顔を顰めて見せた。酷く嫌なものを見た、そんな顔である。貴族のお嬢さんは、嫌だと思ったらすぐに見下すのだ。しかし如何に貴族の子女であろうとも、此処では只の見習い神官である。そして神官に身分はないのだ。男が腕を差し出したので、渋々クレマンスも手を出した。態度は別として、真面目に神官としての役目に励んでいた。だから、治癒の力も最初の頃より上がっていたのだ。癒しの光が漏れる。真っ直ぐに、謎の黒い傷に降り注いだ。

 その時だった。

「ぎゃあああああああ!」

 男が、叫んだのだ。咄嗟にクレマンスは手を下ろし、後ろに下がった。驚愕の表情で。失敗した、と、思った。だが、果たして失敗とは何か。いや、癒しの力を使ったはずである。なのに明らかに男は痛がっている。男が騒いだものだから、他の神官も集まって来た。そして視線は、男の腕へと向いたのだ。

 傷の様子が変わった。

 黒い丸だった。焦げたような痕だった。それが何やら動いているのだ。神官たちは顔を引き攣らせた。このような物を見るのは初めてだった。傷が、動いているのだ。丸い黒が細くなり、まるで腕を這うように動いている。生きている。そんな風に見えた。そうして、決して消える事無く、黒は形を変え、腕に残ったのだ。

 男の呻き声だけが響いている。神官たちは恐れ、誰もが男から距離を置いたのだ。

「神、罰」

 一番近くにいたクレマンスが、ぽつり、と、呟いた。

 子供の声は、誰の耳にも届いた。いや、聞こえずとも良かった。誰の目にも見えていたからである。男の手に刻まれた、神罰と言う文字が。神からの、罰である。これは一体どういうことか。この男は、果たして何であるのか。困惑する神官たちの空気を破ったのは、部外者だった。

「手前、神官に悪事を働いただろ」

 冒険者ギルドの長、オスニエル・ランドン・ベイトソンである。力強く、有無を言わせぬ物言いであった。痛みに顔を歪めながら、男が怯んだ。

「そ、そんな、神官様に悪事など、」

「手前、商人だろ」

「え、ええ、しかし、しがない者でして、」

「市で子供を騙しただろ」

 ベイトソンの言葉に、男が目を丸くした。やはり、と、ベイトソンは内心で溜息を吐いたのだ。神罰を受けた人間など、当然ベイトソン自身初めて見た。だが、それを受けるには、と、考えた時、つまり、神に愛された人間に悪事を働いた結果なのではないかと思ったのだ。ベイトソンはエディットの事をそう知っているわけではない。だがあの子供が、神官として真面目に生きている事は嫌という程知っていた。どれほど目の前に金を積まれても、手を付けない。それどころか、詐欺師の事も盗人の事も責めなかったのだ。涙を零してはいたが、恨み言一つ吐かなかったのだ。エディットが許せないのは、被害者の自分であり、加害者をどうにかしようという気概が感じられなかった。だったら、誰が罪を裁くのか。神ではないのか。

「ベイトソン殿、どういう事です」

 受付の女性神官が顔から笑みを消し、硬い表情で尋ねた。

「エディットだ。この男は市でエディットを騙し、金を取ったのさ」

 エディットの名を聞き、クレマンスが息を呑んだ。最近会っていないが、まさかそのような目に遭っている等、思いもしなかったのだ。己は臥せっていたが、彼女は元気に過ごしていると、信じていたのである。

 尤も驚いているのは、神官だけではなかった。

「神官? 神官だって? あの子供が?」

 男が目を見開いたまま、小声で呟いたのだ。

「知らなかった! 知らなかったんだ!! 貴族のガキだと思ったんだ!」

 そうして、大声で叫んだのである。繰り出された言い訳に、ベイトソンが視線を鋭くした。

「貴族だと? どう見たって市井のガキじゃねえか」

「違う! 仕立ての良いコートを着ていたんだ!!」

 アッ、と、クレマンスが声を発した。仕立てのいいコート。思い当たる節があった。自分が贈ったものである。確かに、貴族の子供が着ていたコートだったのだ。深く考えずに渡してしまったが、決して平民の子供が着るようなものではなかったのである。男が勘違いして当然だったのだ。現にその前に話しかけた絵描きも間違えたのだから。しかし、それと騙すのは別の話である。

「貴族だと思ったから騙したんだ! 貴族のガキに取っちゃ端金だろ!? 神官なら取らなかった! 返す! 返すから!!」

 幾ら男が訴えても、腕の傷は動かない。いや、誰も癒そうともしなかった。神の意に反するのを恐れたのである。その内に神殿騎士がやってきた。騒ぐ男を取り押さえる。このまま、然るべき場へと引き渡されるだろう。

 喚きながら去っていく男を静かに神官たちは見送った。

「ベイトソン殿」

 受付の神官が呼ぶ。

「お話を聞かせて頂いても?」

「そのつもりで来たのさ」

 まさか市でのことを話す前に、詐欺師本人と遭遇するとは思わなかったが。成程、神は本当にエディットを見ているのだな、と、ベイトソンは感心すらしていたのである。今まで神などそう信じてはいなかった。だが、本当の神官の前ではそうではないらしい。ベイトソンは神官の事などそう知らなかった。尤もそれは、大概の人間にとってそうである。だからエディットが、神官として特別中の特別であることも、知らなかったのだ。

 大人たちが神妙な表情を浮かべる中、クレマンスは胸の前で手を握り俯いていた。エディットがそのような目に遭っていた事、そして、その原因を作ったのが自分だという事に深く傷ついていたのだ。だが、エディットはもっと傷ついたに違いない。どうしたらいいのか。クレマンスは悩んだ。ただ、胸が痛かった。この痛みは、治癒の力を持ってしても、治せない。唇を噛む。エディットを騙した人間も許せないが、自分も許せなかった。きっと、自分が一緒に行っていたなら、騙されずに済んだ筈である。一人では行かないで、と、念を押すべきだった。後悔だけを募らせて、クレマンスもまた、与えられた自室へと戻ったのだった。



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