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46.途方に暮れる。


 エディットは一人だ。

 今日も一人だった。クレマンスの具合はどうだろうかと思えども、訪ねる心の余裕がなかったのだ。見舞いに行った方がいいだろうかと悩んでいた事すら、ずっと前の事のように思えた。睡眠はとったが、よく眠れたかと言えば嘘になる。無くなった硬貨の事を考えると、眠れなかった。食事もとらなかったのだ。昨日の夕食も、今朝の朝食も。何をする気にもなれなかった。でも、動かないわけにはいかないのだ。

 今日は、冒険者ギルドへと行く日だった。

 救われた思いがした。教会にいたくなかった。誰と何を話していいか分からなかった。だって、きっと、エディットの金を盗んだ犯人も、建物内の何処かにいるのだ。見覚えはないが、エディットより年嵩だった。絶対に見習いでない事は確かで、つまり、エディットよりずっと、神官としての実績がある。その人が自分の金を盗んだと主張して、一体誰がエディットの言い分を信じてくれるだろうか。それも、証拠も何もないのだ。あるのは、神の力で再現した、姿絵だけである。上手くやれば、信じてもらえるかもしれない。だが今のエディットにはそうする自信がなかった。告発する気力すら、生まれなかったのだ。

 暗い顔をして立つエディットの前に、馬車が止まる。一人で乗り込む。ゆっくりと、進みだす。このまま、何処へも着かなければいいのに。初めてそんな事を思った。冬の風は、エディットを責めるように冷たかった。

 まだ市は続いている。

 その所為か道が幾分空いているように感じた。流れていく窓の外を見るのが好きだった。全ての景色が目新しくて、何度見ても飽きなかった。その気持ちすら今は生まれない。早く着いて欲しくない時に限って、呆気なく馬車は止まってしまったのだ。既に、冒険者ギルドの前である。エディットは深々と息を吐いた。降りたくない。でも、このまま教会に戻るのも困る。扉を開ければ、冷えた風が飛び込んできた。さもエディットを追い出さんとするかのように。仕方なく、ゆっくりと降りた。今更コートを着てくることを忘れた事に気付く。道理で寒い筈である。エディットが地に降り立ったことが分かったのか、六本足の馬が動き出した。ありがとう、と、小声で礼を言った。勿論応えはない。

 冒険者ギルドの入り口を守る両開きの扉は、今日に限ってはエディットを拒絶しているように佇んでいる。勝手な思い込みである。冒険者ギルドは基本的に人を拒んだりはしないのだ。はあ、と、溜息をついた。

「入らないのかい?」

 不意に声をかけられ、エディットは肩を震わせた。驚いて背後を見れば、見知った顔がいたのだ。

「ブランケルさん」

 女性冒険者のアマリア・ブランケルであった。最初に会ったころと違い、顔を隠すものは何もない。冒険者ギルドに顔を出すようになり数か月経つが、未だに冒険者の知り合いは彼女だけだった。そもそもエディットにとってギルドでの見知った顔など、片手で程足りるくらいである。

「おはようございます。入ります」

 入りたいわけではないが、入らなければいけない。そんな気持ちで、小さく答えた。何時になく元気がない子供を、訝し気にブランケルは見ている。エディットは見られている事にも気付かず、扉を開け中に入ると、まるで呟くように朝の挨拶を口にしたのだった。そのままトボトボと、与えられた場所へと向かう。室内のざわめきすら全く気に留める事無く。後ろからブランケルが付いてきている事にすら気付いていなかったのだ。無言で席に座る。何時もであれば、エディットの方から挨拶する。それがなかったものだから、隣に座る受付の女性が不思議そうに近付いてきたのだった。早い話が、誰がどう見ても、何やら落ち込んでいるように見えたのである。

「何かあったの? 体調が悪いの?」

「え?」

 傍に来て初めて、気付いた。エディットの態度はそう物語っている。

「やっぱそう思うよね。このお嬢ちゃん元気ないよね?」

「え?」

 更に別の方からも声がかかり、二度困惑の声を発する羽目になったのだ。エディットは困っている。碌に寝てもいないし、食事もとっていないが、体調不良ではない。寧ろ悪いのは体調ではなく、精神の方である。つまり、何かあった事は正しいのだ。しかし、言えない。いや、何をどう言っていいのか、分からないのだ。自分の中でもまだ、消化できていないのである。

 大人二人の視線が痛い。

 避けるように俯いた。

 何をどう言おうか。

「いえ、特に何も」

 暫し悩んだ末、何もなかった事にした。エディットは人に相談するのが下手であった。いや、泣きついて、自分の落ち度を指摘されるのが怖かったのだ。市で騙された事も、勿論詐欺師が悪いに決まっているが、自分の判断力が甘かったことが問題であったと思っているし、お金を盗まれた事も、盗人が一番悪いにしろ、安易に置いておいた自分にも非があると思っていた。分かっている。分かっているのだ。だから、責められたくなかった。これ以上、辛い思いを味わいたくなかったのだ。

 力なく俯く少女を見て、大人の女性二人が顔を見合わせた。どうしたものかと、目で会話する。

「あっ、そう言えば市へは行った?」

 受付の女性が気分を変えるためか、それとも言葉を引き出す為か、明るい口調で言った。尤もこれは、エディットにとっての地雷であった。突然踏み抜かれ、衝撃の表情を浮かべたのだ。誰がどう見ても、一目で、市で何かあったと察する顔であった。エディットは詰めが甘かった。表情筋に仕事をさせることを失念していたのだ。

「楽しくは、なかったみたいね?」

「えっ」

 窺うように言われ、またも動揺してしまう。何故何も答えてないのに、行ったのがバレているのだろうと思っているのだ。顔である。既に行った事は彼女たちの中では断定している。ならば、楽しくなかった理由を述べるだけである。エディットは考えた。

「えっと、その、一人だったので……」

「一人? 一人で行ったのかい?」

「大人は? ついてきてくれなかったの?」

 大人? 大人って何? エディットは呆けた。そうして、十歳児が一人で出かけるなら、大人の付き添いがあって当然なのだと、今更ながら気付いたのである。だが教会は殆ど最初から放任主義であった。見習いと称しながら、何処かエディットの事を一人前のように扱っていたのだ。偏にエディットが、十歳にしてはしっかりしすぎているからだった。多少放っておいても大丈夫だと思われている。だがそれはあくまで、教会内部での話なのだ。それに、今まで外でエディットが本当に一人でいる事などなかったのだ。休みの日に外出するとならばクレマンスとその侍女が一緒であったし、冒険者ギルドでは見ての通りである。常に傍に誰かがいた。送迎は馬車である。

 困惑顔で黙ったエディットを見て、大人二人は事を深刻なものとして捉えだした。王都は比較的治安がいいとは言え、悪人が皆無ではないのだ。誘拐事件も起きるし、軽犯罪ともなれば尚である。市のような大勢の人が集まる場では、より危険も増すのだ。其処へ一人で行ったというものだから、心配して当然だった。

「怪我はしてない?」

「えっ、怪我?」

「何か、危険な目に遭ったのでしょう?」

 予想もしない問いかけにエディットは目を丸くし、首を横に振った。何故そこまで飛躍したのか分からないながら、否定したのだ。実際、危険な目には遭っていない。小刻みに首を横に振った子供を見て、大人二人が顔を顰めた。

「犯罪に巻き込まれた?」

「犯罪……巻き込まれて……は、」

 犯罪の二文字に胸が痛くなった。巻き込まれてはない。いや、果たしてそうだろうか。エディットにはよく分からなくなっていた。早い話が商人に騙されたのだが、それは、この世界でも犯罪に該当するのだろうか。しかも相手は子供である。詐欺として、裁かれるのだろうか。そもそも、エディットには告発する自信がなかった。領収書だとかそう言ったものがないので、実際にエディットが五万トリオレ払ったと証明できない。その場で一部始終を見ていた人間もいない。田舎から出てきた只の子供の証言が何処まで通るか。いや、通らないだろう。つまり、泣き寝入りである。只エディットは世間知らず故に騙され、五万トリオレを失ったのだ。

 泣く以外、出来る事はなかった。

 唇を噛んで俯く子供を見て、これはもう一大事に違いないと、こっそり受付の女性は冒険者ギルドの長を呼びに行ったのだ。怪我はしていないようだが、何かあった事は間違いないようである。どうにか、口を割らせねば。何せ、子供である。こうして冒険者ギルドに、働くために赴いているが、立派に庇護対象者であった。

 エディットは何も気付いていなかった。教会の外で大人たちが、どれほど気にかけてくれているかをである。神官が冷たいわけではない。ただ、普通の神官から見てエディットは、余りにも特別過ぎたのだ。普通に気に掛けることを憚られる程には。それ程光り輝き、また、神の加護を得ているようにすら見えていたのである。つまり、何かあったとして、神がその身を救ってくれる筈だと認識していたのだ。

 だが現実には、神の手はそこまで伸びていないのである。

「おう、腹でも壊したか」

 背後から厳つい声がして、驚きエディットは顔を上げた。座ったまま振り向けば、何処か不機嫌そうな顔のギルド長がいたのだ。だが大抵こういう顔である。

「いえ、特に」

「冗談に決まってんだろ。とっと何があったか吐いちまえ」

 この物言いに、受付の女性が頭を抱えていた。経緯を説明して連れてきた結果がこれである。ギルド長に、段階と言う言葉は存在しなかったのである。直球で問われ、エディットは瞬きを数度した。目の前の存在を、見極めるかのように。

「いえ、特に何も」

「ねえわけねえだろ。ガキの癖に一丁前に抱え込んでんじゃねえよ。此処何処だと思ってやがんだ」

「冒険者ギルドです」

「おう。問題事の解決にはもってこいだ」

「でも、そう言うのじゃなくて」

「じゃあ、どう言うのだ。言ってみろ」

 冒険者ギルドに集うのは、あくまで冒険者である。犯罪者の取り締まりなど管轄外である。それでもベイトソンの口調は有無を言わせぬものだった。周りで大人たちが、何処かハラハラしながら、見守っている。射貫くような真っ直ぐな視線を受け、とうとう、エディットは観念したのだ。

「あの、市で、私、一人で」

 だが、説明する気がなかったので、頭の中は纏まっておらず、何をどう言っていいのかも分からずたどたどしい口調になった。それでも大人たちは、黙って聞いている。

「えっと、買い物をして、それで」

 騙された。その言葉を吐こうとすると、胸が辛くなり、口が開かなくなった。代わりに、目が動いた。瞬きが多くなる。エディットの視界が滲んだ。涙が競り上がってきたのだ。こんな事で泣くわけにはいかない。咄嗟にエディットは目元を押さえ、だが、滴が落ちる方が早かった。

「だ、騙され、」

 絞り出すように言った。これ以上は言葉にならなかった。受付の女性が、しゃくりあげるエディットの背を摩った。エディットは静かに泣いている。子供らしからぬ泣き方だった。しかしそれがより見ている者の心を締め付けたのだ。ベイトソンが溜息を吐いた。どうしたものか、と、態度が示している。

「エディット」

 名を呼ばれた。この声で聞く己の名に馴染がなさ過ぎて、エディットは動きを止めたのだ。思わず声の主を見た。其処には、しかめっ面のギルド長がいるのだ。

「何を買わされた?」

 静かに問う。怒るでもなく、慰めるでもなく。ただ、自然に問うた。だからエディットも、答える事が出来たのだ。つられたのである。

「……魔法の、箱」

「幾らで?」

「五万……」

 大人たちが息を呑んだ。五万トリオレ。結構な額である。少なくとも子供が一人で持ち歩く金額ではなかった。一体教会は何をしているのか。いや、どうなっているのか。大人たちは訝しんだが、単にそこまで介入していないだけである。個人の金銭の使い道迄把握しないし、また制限も儲けていないのだ。また、出自の問題もある。神官の中には貴族もいる。平民と同じ枷は付けにくいのだ。

「偽物だったのか?」

 無言で、エディットは頷いた。だが、昨日、あの時までは本物だと信じ切っていたのだ。

「何故偽物だと分かった?」

 あの時、蓋を開け、中の硬貨が消えたのを見るまでは。空になった箱を思い出すだけで、涙が溢れてきてしまう。騙された事も辛いが、大事なお金が消えた事の方が辛かった。故郷に、持ち帰るためのお金だった。

「……部屋に置いて、お金入れてたら、なくなって、」

 涙に濡れた声での告白は、聞いた者に衝撃を与えた。

「なんてこと……」

 こんな子供を騙す人間がいることも、また、こんな子供から金を盗む人間がいることも、どちらも信じ難かったのだ。しかも、神官である。そう、神官相手にそのような悪事を働く人間がいる事も、驚きに拍車をかけたのだ。

 沈黙が降りた。

 居心地の悪い静けさに、言うべきではなかった、と、エディットは後悔したのだ。こんな事を聞かされても、困るに決まっていた。我が身に置き換えても、困る以外の感想がなかった。酷く申し訳なくなった。その時だった。

「オイ! 此処にいる冒険者ども!!」

 突然至近距離から大音量が発せられ、エディットは目を丸くした。拍子に、涙がポロリと一粒落ちた。見上げれば、ベイトソンが、室内全てに向けて声を発している。よく通る、大きな声だった。

「全員この嬢ちゃんから治療を受けろ! 古傷でも掠り傷でもなんでもいい。但し、一回三千トリオレだ!」

「えっ」

 エディットは驚き、脳裏にぼったくりの言葉が浮かんだ。何故なら、ギルドでの治療費用は、一回千トリオレである。こんな勝手はいけない。否定の声を上げようとした。

「アタシを元の美女に戻した凄腕だよ! 三千トリオレは破格だよ!」

「えっ」

 だがその前に援護とばかり、ブランケルまで声を張り上げたものだから更に困惑したのだ。意図が分からず、エディットは二人の大人を交互に見た。

「無くなった分は、稼ぎゃいい。お前さんには、その力がある」

 静かにベイトソンが言う。言わんとすることは分かる。でも、エディットは素直に頷けなかった。もし今稼いだとして、そのお金は、エディットの物ではないからである。

 教会の物だ。

 尤も、エディットが拒否しようと、治療希望者が現れたなら、力を振るわなければならない。その為にいるのだ。そして、冒険者ギルドに来るようになって、漸く三人目の治療と相成ったわけである。ギルド長の声かけに興味深げに、冒険者たちが集まってきたのだ。

「何を治してくれるんだ?」

「何でもだ何でも」

「いや、ベイトソンさん、そんな、」

「じゃあ、肘の調子悪いんだけど、治せる?」

「余裕だ余裕」

「ちょっと、ベイトソンさん」

 エディットが困惑しながら呼ぶが、全くの無視である。こうなるともう、やるしかない。どうなっても知らないんだから、と、何処か自棄にも似た気持ちで、最初に名乗り出た男性の右肘へと力を送った。治れ、と、念じながら。これで治るかどうかは実の所分からない。何故なら、傷跡がないからである。神官が治す怪我は、あくまで外傷なのだ。だからこれは、気休めでしかない。それでもこうしてギルド長の話に乗ってくれている。それは、エディットが子供だからだ。子供相手への大人としての優しさなのだ。そして、治らなくても、三千トリオレを置いて行ってくれるに違いない。

「なあ、おい、」

 エディットの力は発動した。光が収束する。尤も効果があったかどうかは不明である。だが男性の困惑顔を見るに、なかったに違いない。謝った方がいいかな。エディットが悩み始めた、その時だった。

「治ってるんだが」

「えっ」

「だから言っただろ、治るって」

「いや、何が原因かも分かってなかったんだぞ」

 言いながら、肘を伸ばしたり縮めたりする。不調があるようには見えなかった。果たして本当に患っていたのだろうか。エディットは訝しんだ。大人たちが一芝居売っている可能性があることに気付いたのだ。

「ホントに三千トリオレでいいのか」

「そう思うなら余分に置いていけ」

「おう。ありがとな、お嬢ちゃん」

「えっ」

 急に話を振られ、エディットは動揺した。何より、言葉と同時にカウンターの上に置かれたものに、目が向いてしまったのだ。

 硬貨だった。

 それも、一万トリオレ硬貨だったのである。

 三千の筈だったのではないのか。いや、三千でも貰い過ぎである。

「多すぎます!」

 エディットは声を上げた。

「あっても困らねえだろ。取っとけ」

「いえ、困ります」

 実際エディットは困っていた。幾ら治療費とは言え、エディットの懐に直接入れるわけにはいかないのだ。売買と同じである。商品が売れたとして、そのまま店員の懐に代金を入れるわけにはいかない。基本的にお金は、教会に預けなければいけないのだ。そしてエディットには、教会から支払われる。あくまでそう言うシステムである。

 だがこの男性とのやり取りを見ていた冒険者達は益々興味を持った。初めて、エディットの前に列が出来たのだ。しかも殆どが、見えない傷を癒してくれと申し出てくる。肩が痛いだとか、膝に違和感があるだとか、そう言ったものである。エディットが手を翳し念じれば、確かに光る。だが、見えないので、治っているのかどうかは不明である。それでも冒険者たちは、明るい顔で代金を置いていくのだ。エディットの目の前に直接。

 積み上がっていく硬貨が恐ろしくなってきた。誰もが、三千トリオレの縛りを易々と越えていく。基本的にエディットは気が小さいのだ。沢山の硬貨を見ていると、酷く悪いことをしている気になったのである。同時に、これだけ多くの人を癒したのも初めての事であった。殆ど、遣わずにきた力である。エディットが一番使っているのは、聖水を作る力で、それ以外は殆どなかったのだ。尤も、直接神に与えられたものも含めれば、物を浮かせる力が一番であるが。

 ああ、漸く最後の一人になった。

 気付けば列が消え、残りは一人であった。その一人を見て、エディットは目を丸くした。知った顔だったのである。

「ブランケルさん」

 嘗て顔の傷を治した相手であった。また新たに傷が増えたのだろうか。それとも、他の古傷だろうか。

「やっぱりね、少ないと思ってたんだよ」

「え?」

 言っている意味が分からず見れば、口角を上げてエディットを見下ろしていた。そして、何やらずしりとしたものを、カウンターの上に置いたのだ。中身の想像はついた。それでも、確認したくなかった。エディットは極力見ないよう、視界から外したのだ。

「受け取っておくれ」

「いえ、困ります」

 間髪入れず断った。だが、これで確定してしまった。中身は、硬貨である。それも、一枚、二枚、等と言った数ではない。もっと、大量。早い話が、十枚以上だった。いままでのエディットの全財産を易々と越えていたのだ。恐怖を覚えた。

「これで、元は取れたな」

 ずっと傍に控えていたギルド長が、平然と言う。元って何。エディットは理解したくなくて、首を横に振った。

「いえあの、貰えませんので」

「自分で稼いだ金だぞ」

「教会の決まりを破るわけにはいきませんので」

「教会には、人数分の五百トリオレを出しておく」

 これを聞いて、つまり、千トリオレの半分は冒険者ギルドの取り分だったのだと知ったのである。場所代だろうか。それとも、エディットの預かり代だろうか。元より、見習いの治療費は五百トリオレと決まっているので、教会の取り分としては間違ってはいない。そこから更に一割くらいが、エディットの元に入っているのかもしれない。

 お金が欲しくないと言ったら嘘になる。

 エディットは、お金が欲しい。

 でも、この硬貨を貰うわけにはいかなかった。

 エディットは、神官である。教会が定めたルールに従わなければいけない。神に背いてはいけないのだ。どれだけ大人たちが勧めても、頑なにエディットは断った。絶対に手を付けなかった。勿論、欲しい。でもこれ以上、神に見放されるわけにはいかなかった。人に騙され、そして盗みを働かれたエディットを、神はきっと呆れている。そんな風に思っていたのだ。

 余りにも子供が頑固なので、とうとう大人たちは諦めた。理解出来ないという顔で。

「神様は、私の行いを見ているのです」

 敬虔な信徒そのままに、エディットは言った。だったら、助けてくれてもいいのではないか。聞いた大人たちはそんな風に思ったのだ。こんなにも真面目な子供に対して、教会は聊か冷たすぎないだろうか、と。神ではなく、教会を非難した。普通の人々にとって、神は遠い存在だったのだ。

 エディットが手を付けなかったので、結局ギルド長が硬貨は預かった。

 何も解決していないが、それでもエディットの気持ちは軽くなっていた。冒険者ギルドの人々は優しかった。知っている人も知らない人も、優しかった。誰もがエディットを非難しなかった。騙された事も、盗まれた事も、エディットが悪いと誰も言わなかったのだ。それだけで、救われた気がしたのである。尤も大人たちからすれば、被害者である子供を責めて、一体何になるのかという話である。罪を負うべきは、騙した人間と、盗んだ人間だ。エディットはあくまで被害者なのである。

 冒険者ギルドへ来るようになってから、一番清々しい気持ちで外へと出た。既に帰りの馬車は到着していた。

「エディット」

 一人で乗り込もうとしたその時、背後から声が掛かった。見れば渋い顔で、ギルド長が立っていたのである。

「何か?」

「俺も行く」

「えっ」

 聞き間違いだろうか。そう思い問い返そうとしたが、ベイトソンの行動の方が早かったのである。先に乗ってしまったのだ。そうして、中から、エディットに向かって手を差し出したのである。意外にも、紳士であった。ただそれを口にしないだけの分別がエディットにはあったので、黙っていたのだ。乗り込めば、少し広い筈の馬車が、狭く感じた。ベイトソンと並んで座る。何とも居心地が悪い。一体教会へ何用だろうか。こんな事は当然初めてだった。

「エディット」

「あっはい」

 突然至近距離から呼ばれ、動揺しながら返事をした。お互い並んで座っているので、顔は見えない。隣同士である。

「教会に居場所がないから、冒険者ギルドで身柄を引き取ってもいい」

「えっ」

 予想だにしないことを言われ、エディットは動揺した。教会に居場所がないなら、と、ベイトソンは言ったが、そんな風に感じたことはないのである。確かにお金を盗まれてはいるが、ぞんざいに扱われた覚えはなかった。寧ろ、手厚いとさえ思っていたのだ。衣食住が整っているだけで、幸せだった。ある意味最低限であるが、その最低限すら危ぶまれる環境で生きてきたのである。

 だが、ベイトソンから言わせれば逆であった。余りにもエディットに対する教会の扱いは、雑であった。幾ら見習いとは言え、もう少し保護してやるものではないのか。こうして冒険者ギルドへと不定期に丸投げしている事もそうである。大体、未だ十歳なのだ。親の庇護下にあるべき年齢である。冒険者とて、十三歳まではなれないのだ。つまり人として、未成熟なのである。

 市に出たという詐欺師の事も考えた。冒険者ギルドから人を向かわせてもいいと思ったが、恐らく逃げた後だろう。勝手に依頼として、詐欺師の確保をギルドに張り出してもいいが、結局裁くのは、別の機関の仕事である。金を盗んだという教会内部の人間に関しては、もっと管轄外だ。

 それが分かっていて尚、ベイトソンはエディット共に教会へと向かっていた。一言物申さねば気が済まない。そう言う顔だった。まるで、保護者の面構えだった。カタカタと、馬車は進んでいく。何時もより、多い人数を乗せて。



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