44.魔法使いにはなれそうにもない。
教会に戻ったエディットはコートを脱ぐと早速箱を取り出した。やはり見た目はただの木箱である。だが違う事はもうよく分かっていた。クローゼットの奥に忍ばせ、開けてみた。店で一度開けた状態で持って帰ったので、そのまま開くだろうと思ったのだ。案の定、木箱は開いたのである。中は空だ。其処に、袋に入れたままの硬貨を入れた。それこそエディットの全財産である。五万トリオレ無くなったが、まだ、同程度の数はあった。観劇後のカフェの代金の支払いで減ったものの、ギルド長であるベイトソンから貰った一万トリオレがあったからだ。
エディットは考えた。
袋のまま入れたものの、硬貨を直接木箱に入れた方が見栄えがいいかもしれない。尚、見るのはエディットだけである。脳裏に浮かんだのは、どこぞの海賊が貯め込んでいそうな宝箱である。金貨が詰まった宝箱を想像しながら、硬貨を出した。たった数枚なので、逆に見すぼらしい気がしたが、エディットは満足していた。これから増やすモチベーションになると思っているのだ。三年経つ頃には、この箱が硬貨で一杯になるといいな。そんな風に願いながら、箱を閉じた。ふー、と、息を吐き、窪みに指を置く。仄かに場所が暗いので、青い光が外よりも綺麗に見えた。そう、確かに光ったのだ。だから、安堵した。箱は、エディットの魔力を覚えている。
空腹を覚えた。
何せ市では全く飲み食いせず出てきてしまったのだ。きっと何かしらあったに違いないが、遭遇すらしなかった。恐らく、飲食に関してはエリアが違ったのだろう。明るい顔で食堂に向かう。相変わらず誰もエディットに話しかけてこない。でも忌避されているわけでもないのだ。そもそもエディットに限った事でなく、一人の神官は多かった。余り友情を育むような土壌は無いのかもしれない。偶々エディットには同い年の見習いがいるが、それだって一人の年もあるだろう。それに、一緒にいるのは三年だ。その後はきっと分かれる。中々親しい友人など出来ないのかもしれない。
一人静かに食事を取り、密かに祈りを捧げた。
その後入浴を済ませ、部屋に戻り日記を書いたのだ。初めて王都の市に出向いた事、それもたった一人で。絵のスキルがない絵描きに会った事、親切な商人から魔法の箱を大枚叩いて購入したこと。自分にいい事があったのと同じくらい、あの人にもいい事がありますようにと祈った。神のお陰で買う事が出来たと信じているのだ。眠りに就く前、もう一度エディットは箱を確認した。指を窪みに当て、光るのを確認して開ける。そして閉めて、また指を窪みに当て光を見て安堵した。ベッドに入り、ランプを消す。ふと、気付く。もしかしてこのランプ、魔法のランプなのではないだろうか。
初めて、まじまじとランプを見た。上に持ち手があり、ランプと言うよりランタンに近い。教会の尖塔のような形で、透明なガラスの中に光がある。果たしてこの光は何なのだろうか。今更だが、魔法の一種なのではないかと思ったのである。下の方に小さなスイッチのようなものがあり、この部分でオンとオフを切り替えているのだ。自然とそう言うものだと受け入れていたが、おかしいのでは? 自分の周りにそう言う魔法を使ったものはないと勝手に思い込んでいたが、普通にあるのでは? そう言えば、明日の予定は座学である。丁度いい、聞いてみよう。だが、一先ず今は寝るのが先だ。
ランタンの出っ張りに触れる。部屋が一気に暗くなった。
思いのほか疲れていたのかもしれない。エディットはすぐさま夢の中へと誘われたのだった。但し、記憶には残らなかった。
翌日もエディットは一人だった。貴族のお嬢さんは、未だ回復していないらしい。申し訳なさげに、クレマンスの侍女であるアミシーが訪れた。曰く、本当は昨日も出かける気満々だったらしい。今日も、既に元気だと主張しているそうだ。しかし、周囲はそれを信じていない。エディットはうんうんと頷いて、お大事にと告げたのだった。元気になったらあれこれ言われそうだな、と、想像しながら。
エディットは座学が嫌いではなかった。クレマンスは詰まらないと言う。それは物を知っているからである。世間も知らなければ、常識にも疎いエディットからすれば、必要な時間であった。
神官と一口に言えど、色々な人がいる。貴族と平民は勿論の事、他の職業も兼ねている、いや、兼ねることが出来るスキルの持ち主がいるのだ。シレーヌ・ティスロはその一人である、と、勝手にエディットは思っていた。何せ、スキルが神官と学問である。何より見た目がもう、学校の先生を彷彿とさせたのだ。常に背筋を伸ばし、眼鏡をかけ、長い髪は下の方で一纏めにしている。指示棒が似合う出で立ちであった。今世では学校へ通っていないので、自然と前世を思い出していた。今日はクレマンスがいないので、一対一である。
「おはようございます、エディット殿」
「おはようございます、シレーヌ殿」
但し、教えは乞うものの実際教師ではないので、他の神官と同じく名前呼びである。がらんとした部屋で二人だけの授業が始まった。だがその前に聞いておきたい事があった。
「シレーヌ殿、お聞きしたい事があるのですが、よろしいでしょうか」
「わたくしで答えられる事でしたらどうぞ」
「魔力って、皆さん持ってるんですか」
この表情は初めて見たな。冷静にエディットは思った。シレーヌが、目を丸くして黙り込んだのだ。想定外であると、その表情が物語っていた。暫し沈黙が降りた。
「ええと、エディット殿」
「はい」
「結論から言うと、そうです」
「やっぱり!」
何がやっぱりなんですか、何が。シレーヌの顔はそう告げている。これがエディットでなければ、おちょくっているのかと疑うところであるが、エディットなので本気で驚いているのだろうと察して黙ったのだ。この見習いが、本当に何も知らない事を、理解していたからである。字の読み書きと計算が出来る、それだけで大いに褒められるべき存在であると思うくらいには、物を知らなかった。何も知らなくても生きて行ける環境で生まれ育った故である。
「でもシレーヌ殿、私は魔法が使えません。なのに、魔力はあるのですか?」
「魔力、と、言うのは、魔法を使うのに必要な力の事ではないのです。誰しもが生まれつき持っている力なのです。時には、肉体に作用したりもしますし、それこそ、魔法が使えるようになることもあります。稀ですけどね。魔力が、魔法を使う力に転じる事があるのです」
「魔法を使うのに必要な力ではないのに?」
「魔力と言うのは、変化する質なのです」
ふとエディットは己の手を見てみた。勿論ただの手であり、他に不思議なものなどなかった。
「魔力を見る事は出来るのですか?」
「そう言うスキルがあれば」
「えっ!」
そう言うスキルがあれば? エディットは驚いていた。本当に様々なスキルがあると理解して尚、驚いていた。魔力を見るスキル。つまり、そのスキルを持った人をエディットが見たなら、頭上には魔力が見える等と、書かれているのだろうか。それとも魔力感知、だろうか。ただ考えてみれば、スキルを見るスキルがあるのだから、魔力を見るスキルがあったとして、別におかしなことではないのだ。
「もしかして、神官みたいに、そう言う組織があったりします?」
「ええ、魔力ギルドがあります。メイジユニオンとは勿論別ですね」
急にファンタジー感出してきたな、と、エディットは現実逃避気味に思ったのだ。冒険者ギルドでも大概だったのに、魔力ギルドときた。メイジユニオン、と、言うのは、魔法使いの組合の事だろう。
「あの、シレーヌ殿、部屋にあるランプって、魔法のランプですか」
「魔法のランプ、と、一般的には言いますが、魔力を利用してつける道具の一つですね。それが何か?」
「もしかして、他の便利な道具も全部そうですか」
「大体そうなのでは?」
シレーヌの様子から、一体エディットが何を言わんとしているのか理解出来ないと言った感情が窺えた。そう、一般的に当然の事を尋ねている。だが、エディットにとっては不思議な事だった。何せ魔力を知らなかったのだ。生きていく上で、恐らくもっと早い段階で知っていて当然の事を知らなかった。いや、気にも留めていなかったと言うべきか。例えば前世であったとしても、テーブルランプがあったからと言って、その仕組みをエディットは知らなかった。スイッチを入れれば点くと言うその事実のみを受け入れ、生きていたのだ。深く考えもしなかったのである。今回も同じだったのだ。ランプについている小さな出っ張りを押せば点く、もう一度押せば消える。そう言うものだと勝手に納得していたのだった。
「シレーヌ殿、魔力と言うのは、人によって違うものですか」
「似ている魔力はあれども、全く同じ魔力はないと言われていますね」
「指紋や人の顔みたいに?」
「ええ、固有のものと考えてもらって結構ですよ」
「なのに、魔法のランプは誰が点けても点く?」
「皆が使えねば意味がないものですからね」
成程、と、感心する一方、これ以上詳しい説明を求めていいものかどうか悩んでしまった。一人一人魔力は違うのに、何故、全員の魔力に反応する物が作れるのか。疑問に思うのは当然で、だが、明らかに専門家でなければ分からない問題であった。きっと、シレーヌに聞いても分からないだろう。彼女は神官であって、魔力ギルドに属しているわけではないのだ。あくまで、一般的に知られている事をエディットに話しているだけである。寧ろ逆に、エディットが昨日購入した木箱の方が原理としては理解できるのだ。エディットの魔力を覚えさせ、エディットの魔力でしか開かない。非常に分かりやすい作りである。なのにありふれているのは、誰でも使える道具の方なのである。対象が一人である方が、ずっと作り易いのでは? ふと、そのように思ったが、あくまでエディットの想像である。実際の所は、何も分かっていないのだ。
「その、エディット殿は、魔力を知らなかった、と、言う事でしょうか」
暫しの沈黙の後、言い難そうにシレーヌが問うた。突然このような話をしてきたものだから、疑問に思ったのだろう。それでいて、流石にそんなわけはないと疑ってもいる。
「はい。昨日知りました」
だがエディットは、あっさりと認めてしまったのだった。シレーヌが眉間に皺を寄せた。理解に苦しむ顔である。
「あの、エディット殿。ご家庭にランプはありませんでしたか?」
「魔法のランプはありませんでした。実は母が、光のスキルを持っていまして……」
知らなかった理由の一つがこれである。きっと、普通の家には、こうしたランプが幾つもあるのだろう。何なら教会には、天井にも光があるのだ。それこそ、蛍光灯のように。原理は全く分からないが、きっと、魔法のランプと同じように何処かに人が触れるスイッチがあるのだろう。よくよく考えれば、冒険者ギルドにもあった気がする。ただ、明るい時間にしか行かないので、記憶は定かではない。
「まあ……。では、水はどうされていたのです?」
「父が、水のスキルを持っていまして……」
このシレーヌの物言いから、きっと普通の家には、水が出る魔法の道具があるのだと察せられた。教会のように、蛇口すらあるのかも知れない。エディットの実家にはなかった。それでも、水は飲み放題使い放題だったが。水のスキルは凄いのだ。
シレーヌはこれ以上尋ねなかった。火についても聞かれるだろうかと思ったが、そうではなかった。聞く意味がなかったとも言う。もしかすると、火に関しては魔法の道具があったのかもしれない。そう思いたいが、火打ち石のようなものを使っていた気がするのだ。でもああいう魔法の道具もあるのかもしれない。結局何も分からなかった。いや、余計に分からなくなったのだ。
「あの、シレーヌ殿、魔法の道具かそうでないかは何処で見分けるのですか?」
「基本的には、魔力を感知する部分があるかどうかですね。ランプで言うところの、出っ張った部分です」
つまり、スイッチだ。エディットの感覚で言えばそうである。でも、常にそうであるとも限らない。エディットの魔法の木箱などは、窪みである。道具によって違うのだ。今度から何を見るにも注意してみよう。密かに決意した。急にファンタジーが我が身に降りかかったような、そんな気持ちだった。今更である。
「他には何かありますか?」
問われ、少し考えた。いい機会だから、知りたい事は全部聞いた方がいい。クレマンスが一緒だと聞きにくい。彼女にとっては一般常識だろうから。復習する必要もない程の。
「魔法と言うのは何なのですか?」
魔力ときたからには、もう一つ、魔法の方も気になる。使えないと分かっていても、思い切って尋ねてみた。そうくると思っていたのか、シレーヌは頷いてみせた。
「最初はやはり、魔力だったと言われています。魔力が転じて、発現した力。それが何故か代々血統に現れるのです。歴史ある貴族ほど魔法使いが多いのは、その所為ですね」
「つまり、私が今から魔法使いになれる可能性もある?」
「ええ、方法は知りませんが」
この物言いで分かる。シレーヌも、魔法は使えないのだと。貴族であるクレマンスは使えるのだ。彼女は水の魔法が使える。だから、聖水を作る事が出来るのだ。でも、どのように使えるようになったか聞いても、恐らく無駄だろう。血統に現れる、と、言う事は、生まれつきなのだ。聞くなら、クレマンスの先祖に聞かなくてはいけない。無理である。
使ってみたかったな。素直に思った。魔法である。どう考えても憧れの部類だ。スキルも重々魔法染みているが、気分的に違うのだ。格好良い呪文とか唱えるのかも知れない。現にクレマンスも聖水を作る時は、何やら唱えていた。格好良いかどうかは別として。
「魔法使いには、魔法使いが分かるんですか?」
「そのようですね。但し、同じ系統でなければ分からないそうですが。水なら水、火なら火、と、言った具合に」
「神官に神官が分かるように?」
「恐らく、そういう事でしょうね」
ならば、水と火の魔法使いが相対しても、分からないと言う事である。一騎打ちなどする事があれば、大変だな、と、思った。エディットの中の魔法使いは、戦うイメージが強かった。前世、そう言う創作物を見たからである。
「もしあなたが魔法の事を詳しく知りたいと思うなら、メイジユニオンに行くのが一番いいでしょうね」
確かに、と、エディットは納得した。使えない人間に聞いたところで、一般的な知識しかないに決まっている。魔法使い本人ならもっと詳しく知っている筈である。ただ、シレーヌの言葉はここで終わらなかった。
「門前払いでしょうが」
「えっ」
見れば、シレーヌは楽し気に目を細めていた。
「駄目じゃないですか」
「ふふ、魔法使いは魔法が使えない人間を相手にしない傾向にありますので」
「駄目じゃないですか」
「因みに、魔力ギルドもそうです」
「駄目じゃないですか」
ふふふ、と、シレーヌが口元を隠して笑った。どうやらエディットを揶揄ったようである。だが、魔法使いが気難しいと言うのは、何となくイメージ的にもそうなので勝手に納得してしまった。門戸が狭そう。実際狭いのだろうが。
どうにも魔法使いになるのは無理そうである。大人しく神官として生きよう。速攻でエディットは諦めたのだった。
この日エディットは教会で色々なものを観察した。どれが魔法の道具で、どれがそうでないのか確かめたかったのだ。結論を言えば、殆どが魔法の道具だった。注視していないだけで、触れる部分が微妙にへこんでいたり、或いは出っ張りがついていたりと、何らかの仕掛けがあったのだ。これで、自分の魔力を感知して動いている。そう思うと実に不思議だった。果たして、魔力とは無限なのだろうか。それとも有限なのだろうか。或いは、量と言う概念はないのかもしれない。自然と身にあるものとして、存在しているのかもしれない。エディットは自分の手を見た。普通の手である。他には何も見えなかった。
日記を書く。ペンは魔法の道具ではないな、と、思いながら。携帯には向かない、インク壺がいるペンだった。でもきっと、ボールペンみたいに便利が物があるに違いないのだ。魔法のペンがあって当然だと言う頭になっていた。こうして、この世界の事を一つずつ知っていく。生まれた時から此処にいるのに、不思議な感覚だった。エディットにとってこの世界は未だ異世界だった。
寝る前、魔法の木箱を確認した。魔力の反応が目にも分かりやすい。青く光るのだ。もし、エディット以外の人物が指を当てたらどうなるのだろう。別の色の光を放つのか、それとも無反応なのか。中を確認する。硬貨は増えても減ってもいなかった。なのに数えてしまう自分がおかしかった。蓋を閉め、指を当てる。赤く光る。これで終わりだ。エディットにしか使えない魔法の道具を仕舞い、誰でも使える魔法の道具へと手を伸ばす。ランプの下の出っ張りを押す。光が消える。目を閉じ、神に祈りと夜の挨拶をした。




