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43.唐突な出会い。


 市って何でもあるんだなあ。

 今更ながらしみじみと思っていた。まさかブーツを買いに来て、似顔絵を描いてもらうとは思わない。それも無料で。大事な部分である。払う払うとしつこい程申し出たものの、それはそれとして、無料は嬉しいのだ。貧乏性である。

 勝手が分からないので、相変わらず一人トボトボと歩いていた。人通りが増えているのか減っているのかも分からない。ずっと賑わっているのだ。ブーツには、出会えないかもしれない。早くも諦めだしたのだった。ただ見えるのは殆ど人であるが、時折違うものも視界に入ってくる。馬だ。巡回していると聞いていた通り、騎士が馬に乗って見回っているのである。初めて見た時、感動してしまった。余りにも格好良かったからである。騎士の顔だとか、そう言う細かい部分ではなく、騎乗した騎士、と、言う存在が格好良かったのだ。これは抑止力になるだろうな。エディットは一人頷いた。あの目が届く範囲で悪さをしようとは、中々思わないだろうと。

 ぼんやりと店を眺めては通り過ぎる。だが何時までも歩き通しではいられない。意図したわけではないが、ふと足を止めた其処は、不思議な店の前だった。不思議だ、と、思ったのは、エディットが知らないものが置いてあったからである。

「お嬢さん、面白いものがあるよ」

 店主だろう。にこやかに話しかけてきた。商人らしい、人当たりのいい態度だ。

「すみません、此処は何を扱っているのですか」

「魔法の道具さ」

「魔法の道具!?」

 事も無げに言った言葉に、エディットは大いに驚いた。馴染みがない言葉だったのだ。そうして、そう言えば異世界だったなと、改めて思ったのである。因みに今世、異世界生まれ異世界育ちである。だが魔法と言うのは、そう身近な存在ではないのだ。全ての人が持っているスキルとは違い、万人が得ているものではないからである。だから然程に見た覚えがなかった。勿論、魔法の道具にはそれなりに馴染みもある。日常生活において、矢鱈と便利で前世と似たような効果のあるものは、魔法が付与されているのだ。風呂などその筆頭である。原理は全く知らないが。

 エディットは並んでいる商品に視線を走らせた。

 そして思った。

 普通に、売っているのだな、と。そう簡単には手に入らない、特別なものだと言う認識があったのだ。田舎では目にする事すらなかったので。感心するやら驚くやら、表情を変えながら店先を見るエディットを、店主は微笑まし気に見ていた。

「気になる品はありますか?」

「あ、いえ、すみません、見てもよく分からなくて」

 問われ、正直に答えた。置いてあるのは殆どが小物である。見た事もなく、用途が分からないものがある一方で、知っている物もあった。例えば、鏡だとか、時計だとか。しかし、どう魔法が関係しているかが分からないのだ。一見普通である。首を傾げるエディットに、店主は商品を一つ手に取り見せたのだ。

「ではこれなど如何でしょう」

 それは木箱であった。蓋が付いた箱だ。見た事がある形だな、と、エディットは思った。トレジャーボックスを彷彿とさせたのだ。蓋の方には丸みがあって、鍵が付いている。いや、鍵の筈だ。だが、本来鍵穴があるであろう場所には、何やら窪みがあるだけなのだ。エディットは覗き込むようにして、顔を僅かに近付けた。

「箱ですよね?」

「ええ、大事なものを入れる箱です」

「大事な物?」

「女の子には、人に見られたくない大事なものが沢山あるでしょう? そういう時にこの箱は便利なのです」

 恐らく、恋文であるとか、そうでなくとも手紙の類、あるいはアクセサリーだとかそう言ったものを想定しているに違いない。だが、エディットには何方もなかった。現時点での話である。代わりに別の物が頭に浮かんだのだ。

 硬貨である。

 教会から二か月に一度、五万トリオレずつ支給されるようになったものだ。最初三ヶ月ほどは無給であったが、その後は与えられている。既に、十万トリオレを貰っていた。大金だった。なのに、置く場所がないのだ。財布らしい財布も持っていなかった身である。貯金箱や金庫など、手にしている筈がなかったのだ。その上部屋には鍵もついていない有様。心許ないことこの上なかった。だが、身近にいるのは神官だけ。安心材料はそれだけである。

 俄然興味が湧いたエディットは、大人しく話を聞くことにしたのだ。

「見ての通り、普通の箱です。見た目はね」

 店主が箱を開けてみせる。確かに、ただの木箱に見える。種も仕掛けもありませんよと言うよう、店主は箱の側面や裏側も見せた。まるで手品の前振りのように。蓋をパタンと閉める。

「こちらをご覧下さい。窪みがありますね?」

「はい」

 店主が指し示したそれは、最初からエディットも気になっている、謎の窪みである。

「人には、皆それぞれ魔力があります。ご存じでしょうが」

「えっ、アッハイ」

 初耳である。平静を装ったが、内心でかなり驚いていた。魔法は使えないのに、魔力はある? 何故に? 残念ながら、エディットには魔法は使えないのだ。故に魔法とは一生縁がないと思っていたのだ。だが、魔力はあると知り、気分が高揚したのだった。エディットは単純だった。

「この窪みに指を入れますと、箱が勝手にあなたの魔力を覚えます。これがどういう事か分かりますか?」

「もしかして、魔力が鍵になる?」

「その通り。あなたの魔力が鍵となり、他の者では開けられなくなります」

 つまり、指紋認証みたいなものである。本当に? 凄いと思う反面、まだ疑ってもいた。先ず魔力の有無自体初耳であったし、見た目は本当に只の木箱なのである。そのように特別な機能が付いているようには見えなかったのだ。エディットが疑いの目で見ている事に気付きながら、店主は相変わらず微笑んでいる。

「一度試してみますか?」

「えっ、いいんですか?」

「勿論。どうぞ、指を窪みに当てて下さい」

 優しい店主だな、と、エディットは感心していた。客になるかどうかも分からない子供に試用させてくれるのだ。それとも、こういうのが宣伝になるのだろうか。通り過ぎる人々が、チラチラと見て行った。何やらやり取りをしていると、気になるようだ。店主は両手で箱を差し出している。意を決し、えいや、と、エディットは指で箱に触れたのだ。窪みはエディットの指には大きかったが、問題はなかった。何故問題がないと分かったか。

 光を放ったのである。

 エディットが指を乗せた部分が、青く光ったのだ。余りに突然の事に、エディットは目を丸くし、咄嗟に指を離した。光が消える。一体これはどういう事か。

「これで箱は、あなたの魔力を覚えました。見てて下さい」

 箱は閉まっている。その箱を両手で持ち、ふーっと、息を吐いた。精神を集中させているように見える。如何にも今から挑戦するという気概が見えた。左手で箱の下を持ち、右手で上を掴む。店主が力を込めた。

「ふんっ」

 短い掛け声とともに、蓋を開けんと試みる。店主の表情が変わる。最初は眉間に皺を寄せ、次は目を閉じ、最終的には顰めながら顔を上げた。蓋は、ビクともしない。暫く奮闘していたがとうとう諦めたのか力を抜いた。

「ど、どうですか」

 肩で息をしながら、エディットに問う。

「大丈夫ですか……?」

 余りにも疲労困憊と言った様子だったので、箱より店主が気になってしまった。だが確かに、箱の凄さは伝わったのだ。

 成程、魔法の箱。

 確かにそうだろう。早い話が、指紋認証である。いや、魔力認証。別に指紋を読み取ったわけではない。エディットは考えた。これならセキュリティとしてはバッチリである。そこら辺の貯金箱など太刀打ちできないに違いない。いや、破壊されれば一緒だろうか。だが、木の箱を壊すのは中々骨が折れるだろう。隙間から壊そうにも、その隙間が開かないのだ。

 エディットは意を決した。

「あの、一つお聞きしたいのですが、お幾らでしょうか」  

「六万トリオレです」

 間髪入れずに店主が言った。

 聞き間違いかと思った。

「六万トリオレ?」

「はい、六万トリオレです」

 聞い間違いではない模様である。

 変わらず店主は微笑んでいる。

 エディットは呆けた。聞いた事も無い値段である。とんでもない値段である。エディットの、二か月分の給与より上。慄いた。背中を何やら冷たいものが駆け上がっていったように、急に背筋が伸びた。

 怖い。

 金額が怖い。

 流石は魔法の箱である。つまり、そう言う事だ。エディットが知らないだけで、何やら魔法が付与されたものと言うのは、高価なのだろう。当然と言えば当然である。誰もが作れるわけではないのだ。もしかすると、魔法付与、と、言うスキルがあるのかもしれない。未だエディットはお目にかかれていないが、少し注意して、人の頭上を見て見てもいいかもしれないと思ってしまった。神より授けられた力によって、エディットには、人の名前とスキルが見えるのだ。ただ、意識して見ないようにしているだけである。うっかり漏らすと厄介な事になるのは明白だったからだ。

 欲しい。

 正直な事を言えば、欲しい。

 だが現時点の所持金より上なのだ。諦める外なかった。

「すみません、今回は縁がなかったという事で……」

 何やら前世を彷彿とさせるお断りの文句である。就職の際、こういう内容のメール貰ったな、と、エディットは現実逃避気味に懐かしんでいた。

「御不満な点がございましたか?」

「……手持ちが足りないのです」

 恥じ入るよう、俯いて告白した。店主が黙る。沈黙が降りた。普通であれば、では次回ご来店くださいだとか、またの機会にお願いしますだとか、そう言った言葉が返ってくるだろう。

「失礼ながら、幾らお持ちですか?」

「えっ」

 だが、違ったのだ。咄嗟にエディットは顔を上げた。店主はもう笑みを浮かべてはいなかった。何処か真剣な表情である。

 言っても、いいのだろうか。

「五万トリオレです」

 小声で言えば、店主は考える素振りを見せた。実際の金額より、一万トリオレも下である。通常であれば、この話は無かった事に、と、こうなる筈である。

「……分かりました」

「えっ」

 何が分かったというのだろうか。エディットは困惑している。何も分からないからである。戸惑うエディットの視線の先、店主は何やら覚悟を決めた顔つきであった。

「五万トリオレでお売りしましょう!」

「ええっ!?」

 エディットは大いに驚いた。余りに驚いたせいで、大きな声が出た。通り行く人々が何事かと振り返る。店主が咄嗟に口元に手を当てた。静かにの意である。つられてエディットも、自分の手で口を塞いだのだった。

「い、いいんですか? でも、どうして?」

 エディットは疑っている。有難いが、今一つ信じられないのだ。一万も下げたら、利益など出ないのではないか。一体何の利があって、このような事をするのか。すると店主は眉間に皺を寄せ、首を傾げたのだ。

「どうしてでしょうね。何時もならしないんですよ。でも、お嬢さんに売ったら、何かいい事がある気がして……」

 一体何の事やら、と、思う。口にした店主もそう思っていると、言外に告げている。そう言う表情である。だが、エディットは違った。思い当たる節があると、そう言わんばかりにハッとしてみせたのだ。

 神様!

 内心で叫ぶ。

 そう、エディットには神がついている。いや、見ている、と、言った方が正しいだろうか。現に三度も神と対話したのだ。だからきっと神が、少なからず干渉してくれたのだろうと勝手に信じたのだった。

 おじさん、きっといい事ありますよ。

 口に出して言うと、図々しい気がして、内心で告げた。

「そう言えばこの箱、どうやって開けるんですか?」

 ふと、尋ねた。金額に気を取られていたが、大事な事を聞いていない。閉めたからには、開かなければ使い物にならないのだ。

「ああ、もう一度この窪みに指を置いて下さい」

 店主も忘れていたのか、慌てて両手でエディットに箱を差し出す。先程と同じ要領で、指を窪みに置いた。すると今度は、赤く光ったのだ。

「おお……」

「これで解除になります。どうぞ、開いてみてください」

 青く光ったり、赤く光ったり、見た目にも分かりやすい仕様である。感動しながらエディットは蓋に振れ、然程力も入れず開けたのだった。先程の店主の様を思い出せば、信じられない程簡単に開いたのである。中を見る。勿論、空である。ただの木箱だった。あくまで、見た目の話である。

「頂きます」

 意を決し、エディットは口にした。

「ありがとうございます」

 深々と店主が頭を下げる。

 現時点の人生で、一番高い買い物である。ポシェットを開け、財布を取りだす。そして、財布に入っている全ての硬貨を渡した。死ぬかと思った。エディットにはダメージが大きすぎたのだ。だが、ただ手放したわけではない。店主は立派な布の袋に入れ、箱をエディットに手渡してくれたのである。五万トリオレは、魔法の箱に化けたのだ。只の売買である。

 よいしょ、と、両手で袋を持って店を後にした。

 尚これで、エディットの市探索は終わりである。所持金がゼロになってしまった。当初の目的であったブーツの事など既に忘れていたし、クレマンスに土産でも、と、思っていたがそれもなくなってしまった。無計画そのものだったが、満足していた。金は無くなったのに、満ち足りた気分だったのだ。買い物って良いな、と、今世初めて思った。もしクレマンスが聞いていたら、全力で頷いただろうし、買い物に誘う頻度も増えた事だろう。だが今エディットは一人である。

 行き交う人の波に揉まれながら、市を後にしたのだった。



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