ミリア・マーレイユ・リンディアの手記
リンディア王国は、王都を中心に五角形の形に各領地が配置されていてフォレスト領は星型の上から見て右側の位置に当たる。今回の魔王怪異大発生において、王都は散々な状況になっているが、『手からビーム出しちゃうおじさん』や市民達の抵抗で、辛うじて飲み込まれていない。
でも、フォレスト領の下にあったロイマン領は事実上の壊滅状態。他国がこの機に侵攻を試みようと考えたとの事だが、『入った人間の首が瞬時に七メートルほど伸びて、千切れる』という魔王怪異により、先遣隊300名が一夜で壊滅する大惨事になったようだ。
私にはこの中心地で、泣きながら井戸の底へ石を投げ続ける老婆がハッキリと見える。彼女を遠距離からの狙撃で破壊するか、防御を固めた決死隊を送るかの選択肢になるが……少なくとも、地元で抵抗を続けるエレナの町の市民兵達の為に、幻視で見た出来るだけの情報は送らなければ。
今、私達は、私達と同盟を結んだレーベ領の魔王怪異、『月の目』の討伐に全霊をあげなければいけない。この魔王怪異は、夜になると月に巨大な顔が浮かび、その顔が睨んだとなった場所の人間は、皆穴だらけになって死に絶えてしまう。
この怪異には、私は土人形の兵隊を5000程派兵し、月があがってくる湖のある山へと行軍させているが、山までの道中は既に人の世界ではなくなっていた。土人形兵が浮き上がったかと思えば、ラッパを吹く楽隊により片っ端から切り刻まれていったり、空の雲が人の顔になり、焼けつく息を吹きかけ人形を溶かすなど、異様な事態が続いている。
しかし……私は、何度でもトライ&エラーを繰り返す。5000をあと、8回ほど派遣すれば、とりあえず道は発見できそうだ。発見出来た後に、後は湖を確実に破壊するための魔術爆撃を40回ほど実施すれば、きっとこの怪異は終わる。
本当に……私がこれが出来てよかった。もしもフィーナ達が、フォレスト領の面々や一般の人間がこれを敢行した場合、死傷者の数は尋常ではない物になるだろう。本当は、此処も出現予測が出来ていたからこそ、事が起きる前に湖に手を加えたかったのが本音だが。
でも、避難計画は発動出来ていて、民間人の犠牲者は少数だったのは……ああ、それだけは救いと思いたい。私は……実は、そうは言いつつも、フィーナやアンナ、そしてフォレスト領の人達に対して以外は……実は人間として認識するのが、とても難しい。
魔王怪異の影響なのか、それとも最初からそういう人間だったのかは分からない。でも……私には彼らが単なる人形か単なる単位としか見えないのだ。どうしても、何をやってもそうだった。魔王怪異の中、生き物はアッサリ形を変えて、グズグズになり綺麗が汚くなり、尊厳が汚物になり、汚物が財宝になってしまったりする。
存在とは、最初からその程度の物であり、普通の世界とは私にとって、たまたまその濃度が少ない程度の物でしかないのだ。違う物が敢えてあるとするならば……フィーナ達とそれ以外の違いがあるとするなら、その中に微かな温もりを感じる事。
これは、絶対に私にはない。これは死んだとしても、仮に生まれ変わる事があったとしても私からは、永遠に失われたものだ。それは私の魂の奥深い場所がハッキリと物語っている。奥深い場所、それは魔王怪異がある場所だ。魔王怪異が生まれる場所。
何もかもがあって、同時に何もない。だからこそ形が定まった世界をグチャグチャにし、冒涜しおぞましい何かに変えてしまう何かだ。彼らは私に語る。お前が感じた温かいものは絶対にお前にはない。だからこそ、彼らを腹の中へ納めこめ、そして新しい魔王怪異の糧とせよ。
全ては冒涜されるべきなのだ。犯しつくされるべき者達なのだ。お前も世界を侵す物を孕み生み落とせ。そんな声がずっとずっと聞こえる。……そうしてしまえば、きっと私は何もかも爽快な気分になれるのは知っているけど、絶対に出来ない。
多分、それが出来ない事こそが……私を愛していたという人が、今愛してくれている人達が私にくれた人間であるべき証なのだ。誰にも理解される必要もないし、理解してもらおうとも思わない。でも、愛してもらったその事があるだけで、私はこの姿である限りは、人間として抵抗を続けようと思う。
そんな事をずっと思っていた私の前に、アンナが連れてやってきたのは奇妙な魔神だった。私が本来、読んでほしかったものとは、ずいぶん違う何か。本当に意表を突かれた。本人は自らを深山テツヲと名乗っているが、恐らく100%偽名であると思う。彼は……本人は全く認識していない様だったが、間違いなく魔物に魅入られている。
別の世界では、きっと違う名前で呼ばれているのだろうが、恐らくは魔王怪異と同じ類の物だ。通常の物とは違う……何か、酷く乾いていた物が、彼の心胆に差し当たって蛇を思わせる様に深く深く絡みついているのが、感じられた。
魔女と評するべきなのか。でも、彼を見た時、魔女の持ちはとてもとても分かった。テツヲは恐らく聖者の類なのだ。私がフィーナ達に向ける感情と似ているようで、少しだけ違う。
私が……私がもしも、本当にフィーナ達に何もかもを向けてしまえば、彼女たちは同じような汚泥に成り果てて、私は人の縁を失ってしまう事になる。
しかし……テツヲは焚火の様なものだ。これは......これは、変わり果てた自分の姿を見たとしても、そのままの何かを示して見せたとしても、きっときっと受け入れてもらえる......! 胎の中に入れたとしても消え失せない。他と同じように、姿が変わり果てグズグズの何かに変化し、人でなくなって粘液に成り果ててしまっても……ああ、そうだ。何かあったらお話してくれる。
いつもの様に喚きながらも、叫びながらも、なんだかんでどんな姿になったとしても、きっときっとこれは自分の袂にすっぽりと収まるモノなのだ。生き残ってくれる。 きっと魔女はそう感じたのだ。私も、私にも、それは分かった。
ああ、だから......! フィーナ達には叱られてしまうし、淑女としては、この感情は淫蕩すぎて、そのまま語ってしまう事等は出来ないのだけれど。戻ってきた時には、彼とまた話をしてみよう。先行した魔女がどういう人なのかは分からない。
独占を是とするそれだったならば、難しい話になってしまうかもしれないが、直感できる事がある。彼女はその程度の事は気にしないだろう。ああ、魔女と呼ばれる存在がどうしても欲しい者だからこそ、2人で共有してみたい。これは......私を人から遠ざける衝動なのか、それとも違う物なのか……?
今、そんな彼は王都でアンナと共に『手からビーム出しちゃうおじさん』との戦いに臨んでいる。優先順位は、おじさんの討伐よりもシャロンの救出であり、それさえ出来れば、王都の混乱からは手を引き状況を静観するのが堅実だ。
事実、今王都には……恐らくこの一連の魔王怪異大発生の要因の一端とも思える何かが出現している。あそこに彼らだけを送ってしまった事が、良かった事なのかどうなのか正直今の私には分からない。他にも、複数の力ある者も出現した今の王都は……何かの特異点になったのかもしれない。
ただ、確信はあった。間違いなく彼らは……私は従来根拠のない話は嫌いな限りなのだが、必ず、彼らは戻ってくる。そして、何かが動き出すだろう。私自身がその日を迎える為にも、今は目の前の戦いに集中しなければならない。
……そういえば、毛糸ではなく紐というのは、挑戦的と聞いたのだが、どうなのだろう? はしたなくないタイプの紐とは……? 感情の理解が出来ないのは、こういう時にとても困る。フィーナには怒られてしまいそうだから、アンナに……何か別の話として、振って教えてもらう事を考えてみようと思う。




