一章 三話 決意
翌日、講義の空き時間、和華奈は研究室でパソコンを開いていた。
画面には大学の学籍管理システム、検索欄に打ち込まれた名前。
伊奈久遠。
エンターキーを押す。
表示されたデータを見て、和華奈は息を止めた。
生年月日、所属、入学年度、どれもおかしな点はない普通。
問題は顔写真だった。
学生証用に登録された証明写真。
画面の中の久遠は、どう見ても十八歳くらいにしか見えない。
昨日教室で見た姿と何一つ変わらない。
和華奈は無意識に唇を噛んだ。
「そんなわけない・・・・・・」
独り言が漏れる。
和華奈は目を擦った。見間違いかと思った。
もう一度顔写真を見る。それでも印象は変わらない。
十八歳。
どう見てもそのくらいにしか見えなかった。
「・・・・・・確認しよう」
和華奈は慌てて学内アーカイブへアクセスした。
卒業アルバム、六年前の卒業生一覧。
伊奈久遠。
ページを開く、そして息を呑んだ。
写真の中の久遠は、現在と変わらなかった。
髪型は少し違う。
服も違う。
けれど顔は変わらない。
六年前の二十二歳、そして現在、本来なら二十八歳になっているはずだった。
なのに写真の中の久遠は、あの日のままだった。
十代後半にしかみえない。
六年の時間が、どこにも存在しなかった。
その間にあるはずの時間だけが、綺麗に消えていた。
和華奈は画面へ顔を近づける。
何度も見比べ、拡大したり、縮小したり試してみた。
それでも結果は変わらない。
同じだ、あり得ないほど、同じだった。
ぞわり、と寒気が背中を這う。
研究室の空調が急に強くなった気がした。
いや、寒いのは部屋じゃない。
自分だ、心臓が速い。
画面の中の久遠が、自分を見返しているような錯覚を覚えた。
・・・・・・当に変わっていない。
昨日感じた違和感が確信へ変わる。
そして同時に、もう一つの事実からも目を逸らせなくなった。
自分もまた、変わっていない、六年前の写真。
そこに写る自分も、今とほとんど同じだった。
「帰ろ」
小さく呟いて研究室の電気を落とす。
窓の外は、いつの間にか夕暮れだった。
赤く染まったキャンパスを最後に一度だけ見て、和華奈は部屋を出た。
廊下へ出る。人気のない校舎は昼間より広く感じる。
ふと、スマートフォンが震えた。
和華奈は立ち止まる。
画面を見ると、表示された名前に息が止まる。
伊奈久遠
一瞬、見間違いかと思った。
指先が固まる。
画面には、短い文章が表示されていた。
『もしお時間があれば』
和華奈は画面を見つめた。
心臓が一つ大きく脈打つ、返事は打てない。
その時、再び画面が震えた。
『お話しませんか』
まるで、こちらが読む速度まで知っているみたいなタイミングだった。
和華奈は動けない、親指が画面の上で止まる。
断るべきだ。そう思う。
けれど、メッセージを閉じることさえできなかった。
関われば、きっと後戻りできなくなる。
そんな予感だけが、静かに胸の奥を締め付けていた。
けれど、胸の奥では、別の感情が静かに顔を上げていた。
知りたい、怖いほどに。
画面を見つめたまま、和華奈はゆっくり息を吐く。
夕暮れの窓に映る自分は、ひどく迷っているように見えた。
それでも、指は自然に動いていた。
『少しだけなら』
送信ボタンを押した瞬間、長いあいだ胸の奥に沈み続けていた違和感が、何かが静かに動き出した気がした。
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