表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悠久の慈愛―神代残響―  作者: 月見


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/19

一章 二話 再会

講義は始まっている。

だが和華奈は、ほとんど内容を覚えていなかった。

黒板に文字を書きながらも、意識の半分は教室の一番後ろへ向いている。

窓際。

伊奈久遠。

十年前とまったく変わらない顔。


・・・・・・そしてもう一つ。

教卓近くの席、学生の指先から、微かな鉄の匂いが漂っていた。

紙で切っただけの小さな傷、本来なら気付くはずもない。

なのに分かった。

鉄の匂いだけが、そこにあった。

周囲の音も、人の気配も遠い。

その傷口だけが、妙に近かった。


『・・・・・・また』


無意識に指先へ力が入る。最近、時々ある。

匂い、音、気配、世界が突然、近くなりすぎる瞬間。

そして今日に限って・・・・・・あの男まで現れた。

他人の空似、そう思おうとした。

兄弟かもしれない。

親族なのかもしれない。

けれど胸の奥が、それを否定していた。

違う、そんなはずがない。

あの目を、和華奈は知っている。

大学時代、何度も見つめた目だった。


「・・・・・・先生?」


不意に学生の声が飛ぶ。

和華奈は我に返った。


「あ・・・ご、ごめんなさい」


教室が小さくざわつく、珍しい。

いつも冷静な伊東先生が、明らかに上の空だった。


休憩時間、学生たちが雑談を始める。


「戦国時代とかってさ、絶対盛ってるよな」

「分かる。創作入ってそう」


そんな軽口の中、久遠がふと呟く。


「いえ。もっと酷かったはずですよ」


久遠は静かに呟く。


「きっと、表現しきれていない」


その声には、妙な重みがあった。

空気が止まる。

久遠は一瞬だけ目を細め、小さく笑った。


「歴史書は、案外優しいものです」


久遠はそう言って笑った。


「残るのは、語れる話だけですから」

「・・・・・・え?」

「あ、ごめん、戦記物が好きでつい」


まるで、歴史に深い知識があるような口ぶりだった。

だが周囲の学生たちは・・・。


「うわ、歴史オタクっぽい」

「分かるわー」


と軽く笑うだけだった。

和華奈だけが言葉を失っていた。



授業が終わった。

学生たちが立ち上がる。

椅子が鳴り、笑い声が広がる。

いつもと同じ光景、そのはずだった。


「伊東先生」


廊下で呼び止められ振り返る、久遠だった。


「え・・・・・・」

「お久しぶりです」


穏やかな声だった。十年前と、何一つ変わらない。

背筋が震えて、言葉が出ない。

廊下を行き交う学生たちの声だけが、妙に遠く聞こえる。

久遠はそんな和華奈を見つめたまま、静かに微笑んでいた。

まるで、昨日別れたばかりのように。


「・・・どうして」


ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど震えていた。


「どうして、あなたが・・・」


久遠は少しだけ困ったように目を細める。


「久しぶりだと、少し緊張しますね」


冗談のような口調、だがその言葉に、和華奈の胸がざわつく。

その一言だけで、六年という時間が急に軽く扱われた気がした。


「・・・変わってない」


和華奈は無意識に呟いていた。

久遠は答えなかった。

ただ静かに和華奈を見つめる。

その目が、ほんの少しだけ安堵したように見えて、和華奈の背筋が冷えた。

ざわついていたはずの廊下の音が、遠くなる。

学生たちの笑い声も、足音も、妙に薄い。

まるで、この場だけ世界から切り離されたみたいだった。

その沈黙が、肯定よりもずっと恐ろしかった。


「その内、分かりますよ」


久遠は和華奈から視線をそらす。


「何が?」


答えは返ってこなかった。


「・・・・・・伊奈くん、本当に誰なの?」


ようやく口にした問い。

だが久遠は少し考えるように沈黙し、やがて穏やかに笑った。


「伊奈久遠です」

「そういうことを訊きたいわけではない」


気付けば、そう聞いていた。

卒業式の日、桜の舞う校門、最後に交わした言葉。

自分ですら忘れたふりをしていた記憶だった。


「もちろん」


久遠は少しだけ笑った。


「思ったより早かったですね」

「何が?」


久遠は答えなかった。けれど、その笑みはどこか寂しかった。

和華奈は息を呑む。

大学時代、一度も見たことのない顔だった。


『いずれ会いましょう』


久遠の変わらない顔を見た瞬間、和華奈は父を思い出した。

父もまた、年齢の分からない人だった。

そして突然いなくなった。

六年前と何一つ変わらない久遠、背筋が冷える。


「・・・・・・怖い」


気づけば口から零れていた。

久遠の表情が、ほんの少しだけ曇る。


「すみません」


その謝罪が、妙に悲しそうで。

和華奈は胸の奥が痛くなるのを感じた。

怖いはずなのに、逃げたいはずなのに。

胸の奥には、それとは別の熱が残っていた。

懐かしかった。

それだけで十分なはずだった。

忘れたわけじゃない。

忘れないようにしていただけだった。

なのに・・・・・・

久遠の前に立つと、あの日の自分が息を吹き返してしまう。

それが、一番怖かった。

そして。

知りたいと思ってしまった。

知ってはいけない気がするのに。

それでも――

目の前の人から、目を逸らせなかった。


六年前。

自分は何も聞けなかった。

だから前に進めた。

けれど今は違う。

自分の身体は歳を取らない。

久遠は六年前と同じ姿。

そして、父も突然消えた。

偶然とは思えなかった。


『知りたい』


和華奈は強く拳を握った。

父のことを、久遠のことを、そして、自分のことを。

和華奈は、そう決意した。


ここまでお読み頂き、ありがとうございます。


流行りのジャンルでも、激しい格闘ものでもない作品ですが、テーマを出来るだけ伝えられるよう頑張っていきます。


もしよろしければ、反応いただけると執筆の励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ