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悠久の慈愛―神代残響―  作者: 月見


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一章 伊東和華奈 一話 違和感

十年前の写真を鏡の横に立てかける。

何度見比べても違いが見つからない。

写真の中の自分は十八歳。

鏡の中の自分は二十八歳。

本来なら十年という時間がある。

けれど、和華奈には違いが分からなかった。

和華奈は、自分だけが歳を取らなくなっていることを、誰にも話せなかった。

洗面台の横には、昨夜開いたままのアルバムが置かれている。

卒業式、ゼミ旅行、居酒屋で撮った集合写真。

友人たちは、皆少しずつ変わっていた。


輪郭が大人びて、化粧が変わって、笑い方まで落ち着いて見える。

けれど、自分だけが浮いていた。

まるで昔の写真を切り抜いて貼り付けたみたいに。


「全然変わらないね」


昔は嬉しかった。

けれど最近は、その言葉を聞くたび胸の奥が冷える。

同窓会には行かなくなった。

結婚式にもあまり顔を出さない。

久しぶりに会った友人が、ふと黙る瞬間があるからだ。

その沈黙が苦手だった。


「伊東先生って絶対十代ですよね」


「二十八です」

「うそー見えないー」

「うそです、十八ですー」

「・・・・・・それも嘘だ」


和華奈自身も『またか・・・』くらいに受け流している。

ふと、棚に置いてある両親と私の三人で写っている写真をみつめた。

父は、和華奈が五歳の時に姿を消した。

若い頃の両親と五歳頃の自分が写っている。

母は年齢を重ねているが、失踪している父は写真の中の若い男性のままだ。

父の顔は覚えていない。

けれど母は今でも待っている。

二十三年経った今も、帰ってくるはずのない人を。

事故死なら、まだ分かる。

けれど父は消えた。

何も残さず。

なんで失踪なんだろう・・・・・・


「・・・・・・考えても仕方ないか」


呟いて鏡から目を逸らす。

けれど視界の端には、もう一人の自分が残っている。

まるで、そこだけ時間が止まってしまったみたいに。


四月。

新年度が始まってまだ二週間ほどしか経っていない。

大学へ向かう道には、真新しいスーツ姿の学生たちが目立っていた。


「やっぱり春っていいよなぁ」

「単位落とさなきゃだけどね」


そんな笑い声を横目に、和華奈は小さく息を吐く。

大学という場所は不思議だった。

毎年同じように春が来て、

同じように若者たちが入学してくる。

けれど、自分だけはどこにも進んでいない気がする。


「おはようございます、伊東先生」


職員用入口で、同僚の男性講師が声をかけてきた。


「あ、おはようございます」

「いやぁ、相変わらず若いですねぇ。新任講師って言われても信じますよ」


和華奈は苦笑した。


「それ、今年だけで何回目ですか?」

「褒め言葉ですよ」


軽い笑い。

いつものやり取り。

どうしてもうんざりして途中で笑顔が消えてしまう。


その瞬間だった。

遠くのグラウンド、金属音が鼓膜を叩いた。

誰かのスマートフォンが震える。

風が枝葉を揺らす。

笑い声。

足音。

衣擦れ。

全部が一度に耳へ突き刺さる。

近すぎる。

世界との距離が壊れてしまったみたいに。


『うるさい、世界が近すぎる』


和華奈は目を閉じた。

この感覚を知っている。初めてじゃない。

忘れた頃に現れては消える。

理由の分からない違和感だった。誰にも話していない。話せるはずもなかった。


そして講義へ。

出席簿を開く。

新年度の名前にはまだ慣れていない。

一人ずつ確認しながら、淡々と名前を読み上げていく。


「江田・・・・・・木村・・・・・・佐藤・・・・・・」


淡々と名前を読み上げる。

そして。


「・・・・・・伊奈久遠」


そこで声が止まった。

呼吸も、思考も。

窓際の少年が静かにこちらを見ている。


『・・・嘘』


息が止まった。指先が冷たくなる。

その名前を、和華奈は知っている。

忘れられるはずがなかった。

卒業式の日、桜の舞う校門。


『いずれまた会いましょう』


そう言って笑った顔が、鮮明によみがえった。

最後に会った時も、彼は十代後半くらいに見えた。

そして今も変わらない。

呼吸が浅くなる。

忘れたつもりだった。

もう会うことはないと思っていた。

それなのに、胸の奥に沈んでいた感情だけが、あの日のまま蘇ってくる。


『なんで変わってないの』

『どうして今になって現れるの』

『もう会えないと思っていたのに』


教室のざわめきが遠のく。

春の光の中で、窓際の少年だけが切り離されたように見えた。

窓際の少年は静かにこちらを見ていた。

まるで、最初から再会することを知っていたみたいに、背筋を冷たいものが走る。

その瞬間、和華奈は悟ってしまった。

自分の日常が終わろうとしていることを。

そして。

長い間、胸の奥に沈み続けていた違和感が、ついに形を持った。

伊奈久遠。

その名前とともに。

ここまでお読み頂き、ありがとうございます。


流行りのジャンルでも、激しい格闘ものでもない作品ですが、テーマを出来るだけ伝えられるよう頑張っていきます。


もしよろしければ、反応いただけると執筆の励みになります。

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