二章 七話 成長
昭和三十三年 春。
靴を履きながら、健吾は無意識に声を上げていた。
「久遠、弁当」
玄関で声を上げる。
「あ、ごめんごめん!」
台所から割烹着姿の久遠が飛び出してくる。
割烹着姿の久遠は、近所の誰が見ても若い娘にしか見えなかった。
二十一歳になった健吾は、地元の大学に進学していた。
大学では、講義よりデモの話をしている学生も多かったけれど、不用意に目立つことは避けようと、参加することはなかった。
健吾は自然に弁当を受け取った。
礼を言うこともない。
十年以上続けば、それが当たり前になる。
「今日は出汁巻き卵成功したよ」
「昨日焦がしてただろ」
「今日は大丈夫」
久遠は少し得意げだった。
健吾は苦笑しながら弁当を受け取る。
温かい布越しの感触が、妙に安心した。
十年、最初は仮の居場所だった。
だが今では、この家が当たり前になっていた。
学校へ通い、友人ができ、喧嘩も覚え、笑うことも増えた。
久遠は何も強制しなかった。
勉強しろとも、働けとも、恩返ししろとも言わない。
ただ隣にいた。
子供の頃に目覚めた能力を、一族は妖術と呼んでいた。
スサノオの一族、呪われた血を嫌い、久遠に能力を制御と封印したいと懇願した。
以来、週末になると定期的に山の山頂や川辺、人気の無い場所に行っては、精神統一に近い修練を行ってきた。
久遠は、感情の揺れ方から妖力の流れまで、一つずつ健吾へ教え込み、妖術の種類と傾向、制御方法も学んだ。
毎回、一泊することになるので、テントを張って過ごす。
焚き火を囲みながら、久遠が淹れる薄い珈琲を飲む時間が、健吾は嫌いじゃなかった。
地味にこれが楽しみになり、今では登山とキャンプが趣味になるほどに。
その日、たまたま山岳サークルの後輩の女の子に誘われ、断りにくく少しお茶することにした。
道具の事について、教えてほしい等、まあ口実である。
自惚れてはいないが好意は感じていた。けれど普通の人との距離を詰めることに抵抗があった。
髪を整えている。意識して少し緊張しているのだろうか。
喫茶店の扉を開いた瞬間だった。
健吾の足が止まる。
向こうも止まった。
人混みの中。
買い物帰りらしい紙袋を持った久遠が立っていた。
久遠の横顔は、十年前と何一つ変わっていなかった。
健吾だけが大人になった。
肩幅も広がり、声も低くなった。
気付けば自分の方が頭一つ高くなっていた。
だが久遠だけは、初めて出会った日のままそこに立っている。
「あ・・・・・・」
声が漏れる。
久遠もこちらを見ていた。
「健吾・・・・・・」
後輩が不思議そうに首を傾げる。
「知り合いですか?」
「え?」
健吾は慌てて二人を見比べて、健吾の脳内が真っ白になった。
説明できるはずがない。
保護者です。
育ての親です。
数千年生きてます。
『言えるわけもない』
久遠の容姿は昔と変わらず十代後半、服装はオシャレではあるが、女の子に見えなくもない。
しかも健吾は二十歳くらいの長身で男性的な顔立ちに、久遠の身長を超えてしまった。
「あ・・・いや・・・」
とりあえず、誤魔化すしかない。
「お・・・・・・弟です。」
健吾は言ってから固まった。
・・・・・・弟?何言ってるんだ俺・・・
久遠の目が丸くなり、口がぽかんと開いてしまった。
『あ・・・しまった・・・・・・かな?』
久遠がじとっとした目になり、じーーーーーーーっと、無言で見られた。
ものすごく見られた。健吾は視線を逸らした。
「弟さんでしたか、同じサークルの後輩で・・・・・・」
後輩が何か話していたが、健吾の耳には全く入ってこなかった。
久遠はやや、呆れた顔をして健吾をチラリと見てから発言した。
「どうも伊奈久遠です。兄がお世話になってます。」
やや、健吾は、どこか胸の奥を小さく刺されたような気分になった。
「へぇ~~すっごく、かわいい弟さんですねぇ」
「あははは・・・」
『やり過ごせたか?』
「ありがとうございますぅ~」
久遠はとてつもない笑顔で返事をした。
健吾は、その笑顔を昔から知っている。
本気で機嫌が悪い時ほど、久遠はよく笑った。
「それでは私は用がありますので・・・失礼します」
「どうも~」
立ち去る久遠が遠くなりつつ、軽く振り返って様子を見ていると、久遠が一度止まって振り返ってきて健吾に睨みつけた。
健吾は青ざめるだけであった。
「先輩~早くぅ」
そのまま久遠が人込みに消えていった。
『今日は帰りたくないな。』
夜。
シチューの香りはいつもと同じだった。
なのに今日だけは妙に胃が痛い。
久遠が黙ったまま座っている。
沈黙の中、気まずい食事をすることに・・・耐えられずたまらず健吾は言い訳する。
「あの昼間の件だけど・・・あれはさ・・・・・・だから、久遠・・・はずみというか、つい口に出ちゃっただけで」
久遠は以前から、長寿の一族の見合い写真を何度も持ってきていた。
健吾はその度に、女には興味ないの一点張りで逃げ続けてきた。
なのに、大学の女の子とは仲良くしている所を見られた。
絶対に拗ねてしまっている・・・。
「べ・・・別にあのコとは何にもないし」
久遠は答えない。
黙ったままじゃがいもが原形を失う勢いで潰されていた。
「本当に、ただ登山道具の話をしていただけで・・・・・・・・・」
久遠が、じとっとした視線だけを向けてくる。
「あのさー私は何にも言ってないよ」
それ以降、会話はなかった。
久遠のパクパクっと、拗ねながら食べてる音が聞こえるのみ。
『あの・・・何にも喋ってくれないだろ・・・そっちの方が怖いよ・・・』
スプーンが皿に当たる音だけが、やけに大きく響いていた。
ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
流行りのジャンルでも、激しい格闘ものでもない作品ですが、テーマを出来るだけ伝えられるよう頑張っていきます。
もしよろしければ、反応いただけると執筆の励みになります。




