二章 五話 月読
再会後の夜。
和華奈は眠れない。
父との再会、そして、説明された“真実”あまりにも情報量が多すぎて、頭が整理しきれなかった。
聞きたいことは山ほどあった。
だが、質問を重ねるほど現実感が薄れていく。
だから最後には、
『少し整理する時間が欲しい』
そう伝えて、店を出た。
夜はもう深い。
窓の外では、街灯が濡れたアスファルトをぼんやり照らしている。
数時間前に降っていた雨の名残で、道路はまだ黒く光っていた。
遠くを走る車の音が、ときおり静寂の隙間を埋めるように流れていく。
けれど、和華奈の心は少しも落ち着かなかった。
ベッドに横になっても、瞼を閉じても、今日聞かされた話が頭の中を何度も巡る。
・・・・・・父は、生きていた。
その事実だけでも十分すぎるほど衝撃だった。
幼い頃の記憶を探る。
父に肩車された記憶、海辺で手を引かれた記憶、けれど顔だけが思い出せない。
写真の中の男と、今日会った男が繋がらない。
和華奈はスマートフォンを手に取った。
連絡先『父』登録したばかりの名前、画面を見つめる。
何か送りたい。
けれど言葉が見つからない。
『生きていてくれてありがとう』
結局何も送れず、画面を閉じた。全然気持ちの整理ができない。
久遠の顔が浮かぶ。
父と再会できたのは久遠のおかげだった。
六年前、突然消えた人。
もう二度と会えないと思っていた人。
なのにまた目の前に現れた。
それだけなのに、胸の奥が少しだけ苦しい。
再び、私の前に現れる意味を考えたら合理的だと感じる。
久遠の顔を思い浮かべると、胸の奥が少しだけ温かくなる。
嬉しい・・・・・・素直に感じているのだった。
今度、久遠にあったらどんな顔したらいいんだろう。
何を話しかけたらいいのだろう。
和華奈は眠れない夜も、過ごしていた。
同時刻。
その頃、東京では・・・・・・
月の一族が所有する高級ホテル、最上階特別区画。
最上階のフロアには人の気配がなかった。
従業員ですら許可なく入れない。
その一室で、月読はグラスを静かに揺らしている。
琥珀色の酒、氷が小さく鳴る、その音だけが、広い部屋に静かに響く、月読は、一見すると久遠によく似ていた。
ただし印象はかなり違う、久遠がどこか柔らかく、かわいらしい雰囲気を纏っているのに対し、月読は冷たい月光を思わせる美しさを持っていた。
切れ長の赤い瞳、銀色の髪、整い過ぎた顔立ち。
人ではないものが、人の姿を真似ている。そんな錯覚すら覚える。
月読がグラスを置く。
その瞬間、室内の空気が僅かに張り詰めた。
誰もいないはずの部屋で、まるで何かが息を潜めたようだった。
その向かい側、ソファへ腰掛けた久遠は、窓の外を眺めていた。
月読の足元には、まだ開き切っていない黒いトランクケースが置かれていた。
世界中で発現する異常、暴走する一族、隠蔽される怪異。
月読一族は、それらを『存在しなかったこと』にし続けている。
長旅から戻ってきた月読に、久遠が会いにきていた。
久遠は窓の外を見たまま、しばらく動かなかった。
「月読、無事帰国したんだね、よかった」
久遠が淡く笑う。
月読は短く息を吐いた。
「・・・・・・結局、一人処理した、今回も未熟な若者だった」
最近はこういう案件ばかりだ。
その言葉に、久遠は驚かなかった。
むしろ、予想していたような静かな反応だった。
月読は目を閉じる。
脳裏に浮かぶのは、異国の夜だった。
燃える建物、悲鳴、血の匂い、炎の向こうで青年が笑っていた。
足元には焼けた死体。
青年は言った。
「俺は神だ」
月読は瞬時に、青年の首を刎ねた。
焼け落ちる廊下の向こうで、人々が逃げ惑っていた。
自分は選ばれた存在だ、凡人とは違う、法律も倫理も、自分には関係ない。
そう思い始めた時点で、もう止まれない。
「・・・・・・この国の血族と違って、抑制の教育を受けていなかった」
久遠が静かに言った。
「説得も難しかったか、聞く耳を持ってなかった」
月読の声が低くなる。
「あの目を何度も見てきた」
神になったつもりの目、力に酔い他者を見下し、自分だけは許されると信じ込む目。
「今回も大勢死んだ」
「・・・・・・本当は辞めたいのではないの?」
久遠が小さく呟く。
月読は苦笑した。
「今さらだな」
久遠は昔から変わらない。誰より長く生き、誰より多くの死を見てきたくせに、未だに人間へ情を抱いてしまう。
それが弱さでもあり、同時に、久遠という存在の核でもあった。
しばらく沈黙が流れ、やがて月読が口を開いた。
「健吾の娘、和華奈は、そろそろ直接管理下に置くべき時期なのでは?」
その言葉で空気が変わる。
久遠の視線が静かに動いた。
「健吾が嫌がってる。普通の人生を望んでた」
「愚かだな」
即答だった。だが声音は、そこまで冷たくない。
「だが・・・・・・親心としては理解できる」
月読は窓の外を見る。普通に生きる、それは彼らにとって、最も難しい願いだった。
血が濃ければ濃いほど、異常は表に出て、老化しない、身体能力が異様に高い。感覚が鋭く、時には、妖術そのものが発現する。
隠し通すには限界がある。久遠は静かに目を伏せた。
大学時代の和華奈を思い出す。
講義後、くだらない雑談をした日々、カフェでレポートに文句を言っていた顔、夕暮れのキャンパス、何も知らず笑っていた彼女。
あの時間は、久遠にとっても穏やかなものだった。
「普通に生きてほしかったんだろうね」
ぽつりと呟く。
月読は静かに頷いた。
「大学の監視報告を見た」
月読の赤い瞳が僅かに細くなる。
「感情変化に連動して、周囲温度が落ちている。おそらく無意識発現だ」
久遠は驚かなかった。
月読なら、すでに調べていると思っていた。
「やっぱり監視してたんだ」
「当然だ、放置すると思うか?」
月読は淡々と言う、責めるような口調ではない、それが役目だからだ。
「では直接管理下に置かなくては」
「まだ確定してないよ」
「しかし久遠、老化現象もおきていない」
月読の声が少し低くなる。
「二十代前後で時間が止まっている人間など、普通の生活で隠し切れない」
和華奈自身も薄々、周囲との違いに気付き始めている。真実へ近づくのは時間の問題だった。
「・・・・・・あの子は私に任せてほしい」
「許可できるとでも?」
「責任は取るよ」
「何が起きたら最悪の場合は処理はする。これからも和華奈には監視を続けます」
久遠はただ黙って聞いていた。
月読はしばらく黙っていた。やがて、ふっと笑う。
「あの娘を見ているとナミ・・・・・・母上を思い出す。よく似ている。」
「確かにナミにそっくりだ」
「健吾といい、和華奈といい・・・・・・本当に甘いですね、久遠は」
だがその声音には、長年連れ添った者に向けるような親しみが滲んでいた。
「私は月読にも甘いよ」
「まあ、久遠らしいのだけど」
久遠は苦笑する。
「ごめん。面倒かける、月読」
「今さらだ」
月読は再び酒を口に運ぶ、窓の外では、巨大な都市が眠らず輝いている。
人間達は何も知らない、この世界の裏側で、数千年もの間、誰かがずっと、『異常』を管理し続けてきたことを・・・
グラスの氷が静かに鳴る。
月読は東京の夜景を見下ろした。
光は美しい。
だが光が存在するためには、誰かが闇を歩かなければならない。
何千年もそうだった。
そして明日もまた、自分が歩く。
誰にも知られないまま。
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