第8話 消えた目撃者
朝から雨で、ちひろが道場に来たとき草薙は窓の外を見ていて、珍しく立っている。
「草薙さん、どうしたんですか。立ってますね」
「雨が気になる」
「何がですか」
「雨の日に人は急ぐ。急ぐと見えなくなるものがある」
「詩みたいなこと言わんでください。朝から怖いですわ」
インターホンが鳴って、五十代の男性が入ってきて傘の水気を丁寧に拭いてから上がり、目が疲れていた。
「息子のことで来ました。息子が、交通事故の目撃者になったんです。先週から、連絡が取れなくなって」
依頼人の名は三上正で、息子の三上雄太は二十二歳だ。先月、深夜の交差点で車と人の接触事故を目撃して警察に連絡して証言もしたが、その一週間後から電話が繋がらない。自宅アパートに行くと荷物はあるが本人がいなくて、警察には届け出たが成人なので行方不明扱いにはなりにくいと言われた。
「事故の相手方は」
「ひき逃げです。まだ犯人が捕まっていません」
「雄太さんが目撃した内容は」
「車のナンバーを一部見ていたようです。警察にはそれを話したと聞いています」
草薙が白板に書いた。ひき逃げ、未解決、ナンバー目撃、消えた。
「雄太さんの交友関係で、最近変わったことはありましたか」
「一人だけ、名前を知らない友人がいると言っていました。事故の後に知り合ったと」
「事故の後に」
「はい。なんでも、現場近くで偶然声をかけられたと」
ちひろはスマートフォンを止めて草薙を見た。草薙は何も言わなかった。
「雄太さんのアパートに行けますか」
古い二階建てのアパートで、雄太の部屋は一階の角部屋だった。三上が合鍵を持っていて中に入ると、荷物はある。財布も、スマートフォンの充電器も残っていた。
草薙が部屋を一周して机の上、ベッドの下、窓の鍵を確認し、ちひろはスマートフォンで部屋全体を動画で撮った。
「草薙さん。財布と充電器が残ってるって、自分から出て行ったわけやないですよね」
「そう見えるよ。ただ、争った痕跡もない」
「つまり、自分で歩いて出た。でも戻っていない」
「呼び出された可能性が高いよ」
草薙が机の引き出しを開けるとメモ帳があり、最後のページに走り書きで住所が書いてあった。
「草薙さん」
「分かったよ」
倉庫街の一角でシャッターの閉まった建物が並んでいて、雨が続いていた。
メモの住所の建物は古い資材置き場でシャッターが少し開いており、中から物音がした。
「ちひろ、外で待ってて」
「嫌です。うち、行きます」
「危ないよ」
「草薙さん一人の方が危ないです」
草薙が少し止まってから頷いた。
中に入ると薄暗く資材が積まれていて、奥に人影が二つあった。一つは若い男が椅子に縛られていて、雄太だった。もう一つは四十代くらいの体格のいい男が立っていて、草薙たちに気づいた。
「誰だ」
「探偵です。三上雄太さんの父親から依頼を受けています」
男が資材の陰から鉄パイプを持ち上げて横に振ってきた。
草薙は後ろに引かなかった。前に入った。パイプを振る腕の内側に体ごと潜り込み、丹田に力を入れたまま広背筋から体重を前に滑らせた。男の右脇が空いた瞬間、草薙の右手が男の首の後ろ側、耳の下あたりに当たった。指先ではなく手刀の角で、鋭い一点だった。
男の膝が折れた。
崩れかけた体を草薙が引き込んで後ろに倒すと男が床に仰向けになり、草薙が膝で胸を押さえて動こうとした腕を地面に押しつけた。
「終わりです」
男が止まった。
ちひろは雄太の縄を解いていた。雄太が顔を上げると目が赤かった。
「大丈夫ですか」
「は、はい。怪我は、してないです」
「よかった。お父さんが探してましたよ」
雄太が泣き始めて、ちひろは何も言わなかった。隣にいた。
男はひき逃げ犯の知人で、雄太が警察に話したナンバーの一部が犯人特定につながる恐れがあり証言を取り消させるために接触してきた。事故後に声をかけてきた友人も同じグループだった。
警察が来て男が連行され、雄太は父親に連絡を取った。
帰り道、雨がやんでいた。
「草薙さん。さっきの技、首に当てましたよね。あれ何ですか」
「頸動脈洞の近くを刺激したよ。血圧が下がって膝が折れる」
「急所じゃないですか」
「急所だよ」
「さらっと言いますね」
「パイプを全力で振ってきた相手に時間をかける余裕はないから」
「草薙さん。うちが一緒に入るって言ったとき、止めなかったですよね」
「止めても来るだろうと思って」
「それだけですか」
草薙が少し間を置いた。
「二人いた方が、雄太の縄を解く人間がいるから」
ちひろは前を向いたまま頷いた。それ以上は聞かなかった。
道場に戻ると郵便受けに紙が挟まっていてちひろが抜いた。
「草薙さん。家主さんから手紙です」
「何が書いてある」
「家賃の督促です。今月と先月と先々月。三ヶ月分」
「先々月から払ってへんのですか!」
「来月まとめ」
「あかん! 今すぐ払いに行ってください! うちが謝りに行きますから!」
草薙は財布を出して開くと、レシートが四枚入っていて現金はなかった。
「草薙さん」
「次の依頼が」
「来る前に家主さんに謝りに行ってください!!」
ちひろの叫びが夕暮れの商店街に響いた。草薙は財布を閉じて特に気にしていなかった。
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