第41話 顔だけの広告
依頼人は六十代の男性で、退職金を投資につぎ込んで返ってこないと言い、スマートフォンの画面をテーブルに置いた手が、少し震えていた。
「有名な経済評論家が、この投資を勧めていたんです。動画で、はっきり顔も声も出ていて。信用してしまって」
依頼人の名は浜田武で、半年前に定年退職したばかりだった。退職金のうち八百万円を、SNS広告から入った投資グループに振り込んでいた。
「最初は、どうでしたか」
「最初の二ヶ月は、ちゃんと配当が振り込まれたんです。月に三万、四万と。だから信用して、もっと増やそうと、追加で四百万を入れて」
「追加を入れた後は」
「ぱったり、連絡が来なくなりました。問い合わせても、返事がなくて」
草薙が少し黙った。ちひろは携帯を向けながら草薙を見た。何かを考えている顔だった。
「最初に配当が来たのは、信用させるためですね」ちひろが言った。「自分のお金が、少し戻ってきただけかもしれません」
「そうなるよ。最初に少し返して、もっと出させて、消える。よくある形だ」
「その動画を見せてもらえますか」浜田が動画を再生した。
経済評論家が、にこやかに投資を勧めている。草薙が画面を見た。ちひろも横から見た。
「草薙さん、この人、テレビでよう見る人ですよね。本物に見えますわ」
「口の動きを見て」
ちひろが画面に近づいた。
「口の動きと、声、合ってますよ」
「もう一回、ゆっくり再生して」
ちひろが速度を落とした。何度か、繰り返した。
「あ……唇が閉じる音のとき、口が一瞬だけ、遅れてますわ」
「そうだよ。本物の映像に、別の音声を合わせて、口の動きを後から作ってる。顔は本物、声も似せてる。でも、唇と音のタイミングまでは、完全には合わせきれてない」
「偽物の動画、ってことですか」
「そうなるよ。この評論家は、自分が投資を勧めてることすら、知らないよ」
浜田が青くなった。
「では、わたしは、最初から」
「お金を取り戻すのは、正直、難しいです」草薙は静かに言った。「でも、被害を警察と消費生活センターに届けてください。同じ広告で被害に遭った人が多いほど、捜査は動きます。浜田さん一人の問題じゃないので」
浜田が、深く頭を下げた。草薙は、振込先の口座番号と、グループとのやり取りの記録を、丁寧に整理した。
「ちひろ、この振込先、何人の名義になってる」
「調べますわ」ちひろが携帯を操作した。「……七人です。全部別人で、全員が、この三ヶ月の間に口座を作ってます」
「集められた名義だね。口座を売った人間がいる」
口座の名義人の一人をたどると、生活に困ってネットで「あなたの口座を高く買います」という広告に応じた若者だった。若者は、口座が犯罪に使われるとは知らなかったと話した。
「家賃が払えなくて。一口座、五万で買うって書いてあって。使ってない口座だったから、つい」
若者は、青い顔をしていた。
「口座を売ると、その口座が詐欺に使われて、自分も罪に問われることがある」草薙が言った。「五万のために、人生を、棒に振るところだった」
「知らなかったんです、本当に」
「これからは、知ってる。それでいい」
「ちひろ、口座を買った業者への連絡記録、残ってるか」
「残ってますわ。やり取りのアプリ、メッセージが消えるタイプですけど、若者が念のためスクショを撮ってました」
「賢いね、その若者」
「怖くなって、証拠を残したそうです」
業者への連絡を所轄が追うと、指示の文面が出てきた。丁寧で、改行が整っていた。
「草薙さん、この文面……」
「整いすぎてるね」
「また、ですか」
「また、だよ」
ちひろが、メモ帳に、その文面を書き写した。今まで何度も見てきた、同じ整い方だった。
その夜、口座を集めていた末端の男が、若者を口封じしようとアパートに現れた。草薙とちひろが、先回りして待っていた。
男が若者に掴みかかろうとした瞬間、草薙が間に入った。男が横なぐりに腕を振ってきた瞬間、草薙はこめかみの側頭部に掌底を入れた。横から体重を乗せた一打だった。男の体が傾いだ瞬間、草薙が腕を取って、四方投げで、男が背中から地面に落ちた。
ちひろが、男の腕を膝で固定した。
「警察、もう呼んでます」
男が舌打ちした。
「俺は、口座を集めてただけだ。投資の話なんか、知らねえ」
「知ってるよ」草薙が言った。「あんたも、使われてる側だ」
帰り道、ちひろが言った。
「草薙さん、有名人の顔がそのまま使われてたら、普通、信じてしまいますわ」
「顔は、信用の道具になるよ。だから狙われる。でも、顔と声が本物でも、本人が言ったとは限らない」
「うち、これからは、口の動きを見ますわ」
「それより、うまい話には乗らないのが、一番だよ」
「身も蓋もないですわ」
「身も蓋もないのが、一番効くよ。月に四万も増える投資が、向こうから来るわけがないだろう」
「来てほしいですけどね」
「来ないよ」
ちひろが、少し笑った。夕方の商店街に、灯りがついていた。




