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『骨法探偵 草薙仁』 〜真実は歪みの中にある〜  作者: やはぎ・エリンギ


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第37話 大丈夫

その日、草薙は珍しく体調を崩していた。


 六月の湿った空気が、道場の中に重く溜まっている。


 草薙流骨法合気道場の奥。    襖を半分だけ開けた部屋で、草薙仁は布団に横になっていた。


 額には濡れタオル。


 道着ではなく、黒いTシャツ姿だった。


 ちひろは腕を組み、呆れた顔で見下ろす。


「草薙さん、大丈夫ですか」


「大丈夫だよ。少し横になれば治る」


 声に覇気がない。


「病院行ってください」


「大丈夫だよ」


「草薙さんの大丈夫は信用できません」


「今回は本当に軽いやつ」


「前もそう言って倒れかけてましたやん」


 草薙は目を閉じたまま、小さく息を吐いた。


「ちひろ、細かい」


「細かく言わんと、この人ほんまに無理するんですよ」


 ちひろは濡れタオルを取り替える。


 額に触れると、熱がまだ残っていた。


「熱ありますやん」


「少しだけ」


「少しの顔色ちゃいます」


「大丈夫」


「はいはい、もう聞き飽きました」


 その時だった。


 インターホンが鳴った。


 ピンポーン、と少し古い音が道場に響く。


 ちひろが玄関へ向かう。


 引き戸を開けると、六十代くらいの女性が立っていた。


 傘を持ったまま、不安そうに頭を下げる。


「突然すみません……こちら、相談を受けてもらえると聞いて……」


「どうされました?」


「孫のことで……」


 女性の後ろには、中学生くらいの男子が立っていた。


 俯いたまま、こちらを見ない。


 制服姿。


 片方の肩紐が少し伸びている。


 鞄を強く握っていた。


「どうぞ、中へ」


 二人を道場へ通す。


 草薙は奥で横になったまま、薄目だけ開けた。


「依頼?」


「はい。お孫さんの相談みたいです」


「ちひろ、行ってきていいよ」


「聞いてたんですか」


「聞こえる」


「寝てるんか起きてるんか分かりませんね」


 ちひろは小さくため息を吐き、依頼人へ向き直った。


「こちらへどうぞ」


 女性は深く頭を下げた。


「田中光子と申します」


「七草ちひろです」


 奥の布団をちらっと見てから、小声で付け加える。


「一応、あそこに寝てるのが師匠です」


「聞こえてるよ」


「寝ててください」


 光子が困ったように笑った。


 蓮はまだ俯いたままだった。


 応接用の机へ座る。


 ちひろはノートを開いた。


「今日は、どんなご相談です?」


 光子が、蓮の肩へそっと手を置く。


「この子、最近ずっと様子がおかしくて……」


「学校で何か?」


 蓮の肩が少し揺れた。


「友達から……色々されてるみたいなんです」


「色々、というと?」


「持ち物を取られたり……メッセージで脅されたり……」


 ちひろの表情が少しだけ真面目になる。


「先生には?」


「言ってません」


 今度は蓮本人が答えた。


 小さい声だった。


「言ったら、もっと酷くなるから」


「……そっか」


 ちひろはすぐに否定しなかった。


 そのまま少しだけ間を置く。


「無理に話さなくていいですよ」


 蓮が少し顔を上げた。


「うちも、同じくらいの年の時、似たような事されたことありますから」


「一人で抱えてると、しんどいのだけは分かります」


 蓮の指先の力が少し緩んだ。


「……メッセージ、残ってますか」


「消してない」


「それはよかったです。証拠になります」


 ちひろはノートへ簡単に整理を書く。


「スクリーンショット撮って保存してください。できれば日付も分かる形で」


「証拠って、意味あるの」


「あります。学校も、証拠があると動きやすい」


 光子が不安そうに聞く。


「でも、先生に言ったら……」


「悪化する場合もあります」


 ちひろは誤魔化さない。


「でも、何も残さず我慢し続けると、相手は止まらないです」


 蓮は黙って聞いていた。


「光子さん、お孫さんと一緒に学校へ行けますか」


「もちろんです」


「担任だけじゃなく、学年主任かスクールカウンセラーにも話してください」


「分かりました」


「学校の対応が弱かったら、また来てください。整理の仕方、考えます」


 光子の目に少し涙が浮かぶ。


「ありがとうございます……」


 蓮も小さく頭を下げた。


「……ありがとうございました」


 二人を見送ったあと。


 ちひろは道場の奥へ戻る。


 草薙はまだ横になっていた。


 だが、ちゃんと起きていたらしい。


「草薙さん、聞いてましたか」


「聞いてたよ」


「寝てると思ってました」


「半分寝てた」


「便利な人ですね」


 草薙は少し笑った。


「ちひろ、さっき、本当のこと少し混ぜたね」


 ちひろの動きが少し止まる。


「……少しだけです」


「うん」


「蓮くん、めちゃくちゃ警戒してましたから」


「正しいと思うよ」


「え?」


「ちひろの話し方、あの子を動かした」


 ちひろは少しだけ目を逸らした。


「別に、そんな大したことやないです」


「大したことだよ」


 草薙は天井を見たまま言う。


「相談って、最初にこの人なら話していいって思わせないと始まらない」


 ちひろは黙る。


 少し照れていた。


 その空気を誤魔化すように、ちひろは話題を変えた。


「草薙さん、ちゃんと栄養とって寝てください」


「カツ丼食って寝るよ」


「偏りすぎです!」


「肉と卵で完全栄養」


「野菜どこいきました!」


「漬物」


「誤差です!」


 ちひろが本気で怒る。


「あと水分!」


「飲んでる」


「コーヒーは水分ちゃいますからね!」


「液体だよ」


「屁理屈!」


 草薙は少しだけ笑った。


 笑ったあと、咳き込む。


 ちひろの顔色が変わる。


「ほら! やっぱり病院!」


「大丈夫……」


「その台詞禁止です!」


 草薙は返事をしなかった。


 その代わり、少しだけ静かな寝息が聞こえ始める。


 本当に寝たらしい。


 ちひろは呆れた顔で毛布を掛け直した。


「……無茶ばっかりしはるんやから」


 道場の外では、六月の風が少しだけ鳴っていた。

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