第35話 完成した腕
市内で、奇妙な連続刺傷事件が続いていた。
四週間で、被害者は二十人。
いずれも腕の外側を浅く切られただけの軽傷で、年齢も地域もバラバラ。財布を取られた者もいれば、何も盗まれていない者もいた。
所轄は、無差別通り魔として捜査を進めていた。
だが、二十一件目で空気が変わった。
被害者は四十代の女性。
怪我は重傷だった。
腕の内側を深く切られ、動脈をかすった。緊急手術で命は取り留めたが、退院まで時間がかかる、と。
翌日。
その女性の夫が、事務所を訪ねてきた。
五十代。
市内で会社を経営している男だった。
落ち着いた話し方だったが、目だけが疲れていた。
「妻のことで、お願いがあります」
「どうぞ」
ちひろが学校から戻ってきて、横の椅子へ座った。
制服姿のまま、携帯の録音を起動する。
「助手の七草ですわ」
「ご丁寧に」
依頼人は深く頭を下げた。
「警察が動いていない、とは申しません。ただ……少し、捜査の進み方にもどかしさを感じまして」
「分かります」
草薙が言う。
「それで?」
「半年前、会社内で対立して辞めた人間がいます」
依頼人は、慎重に言葉を選んでいた。
「ただ、証拠はありません。私情で疑っているだけかもしれない」
「名前は」
「相沢です。元秘書でした」
草薙は黙って聞いていた。
「最近、生活が荒れていたと聞きました。それ以上は……私にも分かりません」
「分かりました。依頼として受けます」
依頼人は長く頭を下げ、帰っていった。
扉が閉まる。
ちひろがメモ帳を見ながら言った。
「どう思います?」
草薙は少し考えた。
「傷の場所」
「はい?」
「二十一件目だけ違う」
「何がです?」
「外と中」
「だから説明を省略しないで下さい」
「他の二十人は腕の外側。奥さんだけ内側」
ちひろが一瞬止まる。
「あ」
メモ帳へ腕の図を書いた。
「外側を浅く切るのは、威嚇か、足止めの傷」
「うん」
「でも内側は違う。動脈が近い」
「うん」
「つまり二十一件目だけ、本気で殺しに行ってる」
「そういうこと」
ちひろが地図アプリを開く。
「他の二十件、市内全域に散ってます」
指が最後の一点で止まる。
「でも奥さんだけ、自宅から徒歩五分圏内ですわ」
「本命だけ生活圏」
「二十件は煙幕ですやん」
「うん」
「警察の認識を、“無差別通り魔”へ固定するための」
草薙が小さくうなずく。
「本命だけ殺意を混ぜてる」
所轄へ連絡すると、相沢という男はすでに参考人として名前が出ていた。
だが証拠がない。
退職後、職を転々としていたことしか掴めていなかった。
さらに気になる情報があった。
「コンサルタント?」
ちひろが聞き返す。
「うん。半年前から、誰かと接触してる」
「何の?」
「分からない」
「怪しすぎますやん」
草薙は窓の外を見た。
「整えてる」
「はい?」
「事件の見せ方が、綺麗すぎる」
ちひろが黙る。
「二十件を囮にして、一件だけ本命を混ぜる。普通の通り魔はこんな組み方しない」
「誰かが、設計してる」
「うん」
数日後。
依頼人の妻が退院する日を、あえて地元紙へ載せた。
犯人が本命を仕留め損ねたなら、もう一度来る。
草薙の読みだった。
「うち、こういうの戦隊で言うたら罠回ですわ」
「ちひろ」
「はい」
「戦隊から離れて」
「無理です」
夜。
住宅街は静かだった。
草薙は塀の影へ立つ。
ちひろは家の正面側。
所轄も離れた位置で待機していた。
夜十一時。
路地へ人影が入る。
黒い帽子。
暗色のコート。
右手だけ、妙に動きが硬い。
「来た」
草薙が小さく言った。
男が裏口へ近づく。
右手がコートの中へ入った。
次の瞬間。
草薙は塀の影から踏み込んでいた。
男の右腕の付け根へ、左肘を当てる。
刃物の軌道が止まる。
止まった瞬間。
草薙の右手刀が、首筋へ斜めに切り落とされた。
引き込み手刀。
首の筋を骨ごと押し落とす。
男の膝が崩れる。
草薙はそのまま男の右腕を取った。
手首を返す。
肘を伸ばす。
二教。
関節が固定される。
「動かないで」
男は長く息を吐いた。
「……早かったな」
二十代後半。
相沢本人だった。
ちひろが駆け寄る。
男の左腕を押さえ込む。
「うちの出番、とらんといて下さい」
「拘束頼む」
「最初からそう言うて下さい」
所轄が到着する。
相沢は全面自供した。
生活苦。
借金。
会社への恨み。
それらは事実だった。
だが。
計画そのものは、自分一人で考えたものではなかった。
「半年前、コンサルタントを名乗る男に会ったんです」
取調室で、相沢はそう言った。
「最初は話を聞いてくれるだけでした。でも……気付いたら、ナイフの持ち方とか、人の止め方とか、教わってた」
「名前は」
「知らない」
「顔は」
「覚えてない」
刑事が顔をしかめる。
「覚えてない?」
「特徴が、ないんです」
相沢は震えた。
「ただ……最後に言われたんです」
刑事は、その供述を草薙へ転送した。
『あなたの腕は、もう完成しております』
ちひろがメモ帳を閉じる。
「気色悪いですわ」
「うん」
「半年かけて、人を作品みたいに作ってる」
草薙は窓の外を見た。
「整えてるんだろうね」
「何のために?」
「そこがまだ見えない」
夜の街には、まだ灯りが残っていた。
誰かが、人を道具みたいに整えている。
その輪郭だけが、少しずつ浮かび始めていた。




