第34話 二人の影
通り魔事件から、十日ほど経った頃だった。
市の中心部の路地裏で、若い男性が「影を踏まれた瞬間に倒れた」と訴え出た。
証言が、妙に揃っていた。
夕方の路地で、後ろから影を踏まれた。
その瞬間、後頭部に衝撃を受けて気を失った。
目を覚ました時には、財布とスマートフォンが消えていた。
翌週。
別の路地で、同じ事件が起きた。
被害者は違う。
だが証言だけが、まるで同じだった。
「影を踏まれた瞬間に倒れた」
ちひろが学校帰りに記事を持ってきた。
「草薙さん、これ、戦隊でようある超能力っぽく見せてるだけの敵ですわ」
「戦隊で例えるな」
「うち、そこからしか理解できませんねん」
「で、どういう意味」
「特殊能力を持ってるように見せて、実は道具とか仕掛けで攻撃してくるタイプですわ。視聴者にこれ本当に超能力なんか?って疑わせる回」
「なるほど」
草薙は記事を読み返した。
「でも今回、その例えは割と合ってるかもしれない」
「やっぱりです?」
「影を踏まれたって表現が不自然なんだよ」
草薙は机へ地図を広げた。
事件現場を二ヶ所、赤ペンで囲う。
「離れてるように見えて、共通点がある」
「なんです?」
「両方、街灯が二本立ってる」
ちひろが少し黙った。
「あ」
「街灯が二つあると、影が二本できる」
草薙が窓の外を見る。
「立ち位置によって、影が重なる瞬間があるんだよ」
夜。
二人は二件目の現場へ来ていた。
細い路地。
左右は雑居ビル。
黄色い街灯が二本、等間隔で並んでいる。
草薙はしゃがみ込み、地面を見た。
「街灯、角度変えられてるね」
「変えられてる?」
「傘の向き」
草薙が上を見る。
街灯の傘が、ほんの少しだけ内側へ傾いていた。
「本来より、影が重なる位置が中央へ寄る」
「そんな細かいことまで……」
「計算してる」
ちひろが写真を撮る。
「これ、一人の手の仕事ですやんね」
「うん。癖が揃いすぎてる」
草薙は周囲を見回した。
「音も使ってるかもしれない」
「音?」
「人は視線だけじゃなく、音にも引っ張られるから」
深夜十一時過ぎ。
一人の若い男が路地へ入ってきた。
スマートフォンを耳へ当て、通話している。
その男が、影の重なる位置へ差しかかった瞬間だった。
暗がりから、別の男が滑るように現れる。
フード姿。
右手には短い警棒。
男は躊躇なく振り下ろした。
だが。
その瞬間、草薙が間へ入る。
警棒が落ちる。
草薙は真正面では受けない。
左前腕を、警棒の軌道の外側へ滑らせた。
流す。
警棒の軌道が逸れ、草薙の肩の横を空気だけが裂いた。
振り下ろしを空振りした男の重心が前へ流れる。
草薙はその瞬間、男の右肘へ掌の根を下から当てた。
男の腕が浮く。
身体ごと上へ伸びる。
重心が踵側へ逃げた。
そこへ。
草薙は左足を男の踵の後ろへ置いた。
男は自分の足で、草薙の足へ乗りかける。
バランスが切れる。
その瞬間。
草薙の右掌底が、男の鎖骨下へ沈んだ。
徹し。
だが男の呼吸が一瞬止まる。
膝から崩れ落ちた。
草薙はそのまま男の腕を背中側へ回し、地面へ押さえつけた。
だが。
その瞬間だった。
路地の奥。
二本目の街灯の陰から、別の足音。
草薙の目が動く。
もう一人いる。
現れた男は細身だった。
手には長い棒。
だが先端には、小型スピーカーがついている。
「兄貴、もうちょい粘れよ」
地面へ押さえ込まれた男へ声を掛ける。
そして。
スイッチを押した。
女性の悲鳴。
耳元で叫ばれたような音量だった。
人間は悲鳴へ視線を向ける。
本能だった。
その一瞬。
二人目の男が左側へ回り込む。
死角。
草薙の側頭部へ、棒がフルスイング。
「草薙さん、左!」
ちひろの声。
草薙は振り向かない。
左肩だけを深く落とした。
頭の位置が沈む。
フルスイングされた棒が、草薙の耳元の空気を裂いた。
だが草薙は、一人目を押さえたまま動けない。
その時だった。
ちひろが飛び込んだ。
制服姿のまま、男の懐へ入る。
男は上体が前へ流れていた。
ちひろは男の腰の横へ、左手を差し入れた。
身体を密着させたまま、自分の軸を斜めに切る。
男の重心が、一瞬遅れて流れる。
足が地面を見失った。
男の身体が、そのまま後ろへ崩れ落ちる。
合気落とし。
男が背中から地面へ叩きつけられた。
ちひろは即座に男の腕を背中側へ回し、関節を固定する。
「動いたら折れますえ」
男が呻く。
草薙は押さえ込んでいた一人目を見ながら、小さく言った。
「上手くなったね」
「今、褒める余裕あります?」
翌日。
草薙は刑事の黒田から事情を聞いていた。
二人組は、近隣業者の社員だった。
兄は街灯整備。
弟は音響設備。
街灯の角度調整と、音による視線誘導。
両方の技術を使い、影を踏まれた錯覚を作っていた。
「発想自体は面白かったですよ」
黒田が缶コーヒーを机へ置く。
「ただ、やりすぎだった」
「影を意識させすぎた」
「そういうことです」
黒田がため息を吐く。
「生活苦だそうです。会社の遅配、子供の医療費」
草薙は黙る。
「最初は一回だけのつもりだったらしいです」
「一回で終わる人、少ないですからね」
「だな」
そこへ。
制服姿のちひろが遅れて入ってきた。
「うわ、もう話終わってますやん!」
「学校あったでしょ」
「走って来たんですけど!」
黒田が少し笑う。
「相変わらず賑やかだな」
「黒田さん、犯人どうなります?」
「強盗傷害で送検だ」
ちひろの顔が曇る。
「……なんか後味悪いですわ」
「うん」
草薙が窓を見る。
「今回は怪物じゃないからね」
「え?」
「ただ、追い詰められて、自分達の得意なことを悪い方向へ使った人間だよ」
ちひろは少し黙った。
「うち、こういう事件、苦手ですわ」
「なんで」
「悪人と、悪人じゃないものの境目が、薄いから」
黒田も黙る。
しばらく、誰も喋らなかった。
窓の外では、夕方の光が街へ落ち始めていた。




