表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『骨法探偵 草薙仁』 〜真実は歪みの中にある〜  作者: やはぎ・エリンギ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
33/43

第33話 歩幅を計る男

観測者の事件から、二週間が経った。

市内は表面的には静かだったが、その間に、別種の事件が、少しずつ動き始めていた。

通り魔。

夜、人通りの少ない裏道で、男が一人歩く女性を背後から襲い、軽い切創を負わせて逃げる、という事件が、市の北部で三件続いた。

被害者はいずれも入院には至らなかった。腕や肩を浅く切られただけ。

ただ、傷の入り方が、三件とも同じだった。腕の外側、肘から手首にかけて、刃が一本走る形。

所轄は連続通り魔として捜査本部を立ち上げたが、無差別の犯行と判断していた。

その所轄の知り合いから、俺は内々に連絡を受けた。

「人手が足りねえんだ。聞き込みだけでいい、付き合ってくれ」

単純に、夜の聞き込みに、もう一人欲しい、という用件だった。

俺は事務所で、ちひろにその話を伝えた。

ちひろは新しいノートを開いて、刑事から預かった現場の地図を眺めた。

三件の現場を、ちひろが線で結んだ。

「特に、共通点はなさそうですね」

「うん」

「住宅街、駅近、川沿い。場所もバラバラや」

「せやから、無差別と見られてる」

「うちは、無差別がいちばん嫌いです」

「俺もだ」

俺たちは、夜の現場周辺を、聞き込みに回った。

深夜に近い住宅街は、人の流れが薄かった。

ある居酒屋の店主から、興味深い証言があった。

「ここ最近、夜中に同じお客さんが来るんだ。注文はいつもビール一杯。十分で帰る」

「変わってますね」

「うん。けど、変なのはそれだけじゃなくてさ、その人、店の前に立つ通行人を、ずっと窓越しに見てるんだよ」

「観察してる、ってことですか」

「そう。それも、人の顔じゃない。足元を、見てる」

ちひろがメモを取った。

「足元、ですか」

「うん、足元」

俺はその店の窓越しに、外を眺めた。

夜の通りを、何人か、人が歩いていく。

ふつう、人を見るとき、顔か、せいぜい上半身を見る。

その通行人の中に、姿勢のいい女性が一人、通り過ぎていった。

歩幅が、揃っていた。

元自衛官か、警備員、あるいは、舞台俳優か。

訓練を受けた、整った歩き方。

俺の頭の中で、ある仮説が固まり始めた。

「ちひろ、被害者三人の歩き方、防犯カメラで見られるか」

「警察にデータあるはずですわ」

翌日、所轄から映像をもらった。

三人の被害者、いずれも夜遅く帰宅する女性。

歩き方を見比べると、奇妙な共通点があった。

歩幅が、信じられないほど、揃っていた。

ふつう、夜道を歩く女性は、足元の段差や、人の気配で、歩幅が乱れる。

しかし、この三人は、足の運びが、機械のように一定だった。

一人は元自衛官、一人は警備会社のパート、一人はジムのインストラクター。

三人とも、何らかの形で「整った歩き方」の訓練を受けた経歴があった。

犯人は、無差別ではない。

歩幅で、相手を選んでいた。

「歩幅フェチって、おるんですね」

「いるね。観察癖の延長だ」

「うち、また鳥肌立ちましたわ」

居酒屋の店主に、もう一度話を聞いた。

窓越しに通行人を見ている「ビール一杯の男」の特徴を、店主は覚えていた。

四十代、痩せ型、地味な服装。

名前も住所も知らないが、いつも同じ駅の方向から歩いてくる、と。

俺は所轄に、その情報を渡した。

所轄は翌日には、防犯カメラの履歴から、男の身元を割り出した。

元警備員。

警備会社を三年前に解雇されていた。

解雇の理由は、勤務中の「不適切な観察行動」だった、と人事が証言した。

住人の中で、特定の歩き方の人物を、執拗に追跡することがあった、という。

俺たちは、その夜、男の自宅マンションの近くで、出待ちをした。

ちひろを車に残して、俺は街灯の影に立った。

男は、深夜近くにマンションを出てきた。

濃い茶色のコートに、深く被った帽子。手はポケットに入れたまま、こちらをまっすぐ見ているわけではない。けれど、視線の向きと、首の角度が、わずかにずれている。

観察に慣れた角度だった。

男は、街を歩く人を一人ずつ、視野の隅で捉えていた。

俺は街灯の影から、男との距離を、ゆっくり詰めた。

男の右肩が、わずかに前に出た。

男の体重は、左足から右足へ、ゆっくり移っている。

その移り方が、追いかけに入る前の重心移動だった。

ただ、男は、まだ俺に気づいていない。

別の通行人を、追おうとしている。

俺は声を掛けた。

「夜更けに、奇遇ですね」

男はようやく、俺の方を向いた。

目が、薄く笑った。

「……邪魔だ」

声は、低かった。

「邪魔は、誰の」

「俺の、観察の」

男はそう言って、自分の右手を、ポケットの中で握り直した。

ポケットの中の布が、引っかかった音がする。

刃物の柄の感触が、布に擦れる音だ。

俺は男との距離が二歩を切ったところで、自分の左の前腕を、男のポケットの出口の上に置いた。

受けるんじゃない、塞ぐ。

男の右手が、ポケットの中で止まった。

止まった瞬間、俺は右手で、男の右の手首を、ポケットの外から軽く取った。

ポケットの外から取れば、男は中の刃物を握ったまま、手を動かすことができない。

俺は男の手首を、外側に半回転、ひねり上げた。

手首の親指側の関節を、外側に返す。返された手首は、自分の腕に引っ張られて、肩までついてくる。

男の体が、俺の側にぐらりと寄った。

俺たちが「小手返し」と呼んでいる崩しだ。

崩した瞬間、俺は男の右の腕を、自分の腰の高さで止めた。

男の体重は、もう自分で支えていない。

俺の腕一本に乗っていた。

「動かないで」

男は、ゆっくりと、息を吐いた。

「……あんた、誰だ」

「ただの通行人だ」

「通行人は、こんな腕の取り方は知らない」

「俺は知ってる、ということだ」

刃物は、ポケットの中で、まだ握られたままだった。

俺は左手で、ポケットの外側を軽く押さえて、刃物の柄を、男に握らせたまま固定した。

ちひろが、所轄に通報した。

男は所轄に連行された。

取り調べで、男は意外に素直に犯行を認めた。

動機は、純粋に、男個人の歪みからくるものだった。

男は警備員だった頃、夜の巡回で、毎晩同じ時間に同じ道を通る人物を見続けてきた。

その人物たちの中に、極めて美しい歩幅で歩く者が、何人かいた。

歩幅の美しさに、男は深い恍惚を覚えていた、と話した。

しかし、男自身は、いくら自分で訓練しても、その整った歩幅を身につけられなかった。

憧れと、敵意が、男の中で混ざった。

ある日、自分が見つめていた相手が、ふと振り返って、男を不審そうに眺めたことがあった。

その瞬間、男は、その整った歩幅の持ち主を「壊したい」と思った。

持つことができないなら、壊してしまえばいい、という、子供の論理が、大人の中で歪んで定着していた。

男は、近隣の地図と、住人の生活パターンを、自分で半年がかりで調べ上げ、計画を実行した。

全部、男一人で組み立てた事件だった。

依頼主も、共犯も、いない。

俺はその取り調べの結果を、所轄から聞いて、しばらく息を吐いた。

ちひろが事務所で、ノートを閉じた。

「うち、こういう事件、いちばん寒いです」

「うん」

「誰の指示も入ってへん。ただ一人の人が、ずっと、自分の中の歪みを育てて、ある日、それを外に出した」

「うん」

「外の助けも、なかったから、止まらんかったんですね」

「うん」

ちひろが、ノートの表紙を撫でた。

「うち、合気道、続けます」

「歩幅、整え続けます」

「狙われるかもしれんぞ」

「狙われたら、また草薙さんが助けてくれます」

「助手のお願いとしては、雑だな」

「ええんですよ、雑で」

ちひろは、いつもより、半分だけ、笑った。

事件は、その日のうちに、完結した。

絵を描いている誰かは、この事件には、絡んでいなかった。

たまに、こういう夜がある。

俺は窓を閉めて、明かりを落とした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ