第32話 偽の生中継
ちひろが学校に行っている平日の昼下がり、事務所に依頼人が来た。
四十代の女性。
名刺には、地元のテレビ局の名前が刷ってある。報道局のディレクター、とあった。
立ち姿に、長年の現場仕事の癖が出ていた。背筋がまっすぐで、けれど、視線の動かし方は、常に画角を測っているような、わずかな職業病の匂い。
「ご相談したいことがあるのですが、警察にはまだ言いたくないのです」
女性は名刺を差し出しながら、慌てはしなかった。報道に慣れた人間の、抑えた口ぶりだ。
「どうぞ」
女性は、慎重にバッグから封筒を取り出して、机の上に置いた。
中には、USBメモリが一本入っていた。
「これは」
「視聴者からの投稿動画、ということで、三日前に局に届きました」
「内容は」
「ご覧頂いた方が、早いと存じます」
俺はパソコンに、USBを差し込んだ。
動画が再生された。
画面に映ったのは、雑居ビルの屋上。
夕方の空。
遠くで車のクラクションが鳴っている。
カメラが、ゆっくりとビルの縁に近づく。
縁の向こうに、街並みが広がっている。
そこで、画面の右下に、小さな赤い数字が現れた。
『3』
しばらくして。
『2』
『1』
『0』
数字が消えた瞬間、画面の中央、ビルの真下にある建物の窓が、内側から白く光った。
爆発した。
爆発の煙が、画面の中で広がっていく。
動画は、そこで終わった。
「これ、ライブ配信ですか」
「いえ、録画動画として送られて参りました。けれど、爆発のあった建物は実在いたします。爆発のあった日時も、現実に発生した小規模な火災と、一致しております」
「火災、ですか。爆発じゃなくて」
「ええ、警察の発表では、火災扱いです。漏電と」
俺は動画をもう一度、最初から再生した。
屋上の縁、空、街並み。
爆発の瞬間、動画は完璧に、現場と同期している。
誰かが、現場の上空から、ライブ中継のように撮影していた。
動画はテレビ局に「次は本物が起きる」というメッセージとともに送られてきた、という。
「警察には」
「先に行きました。所轄の刑事課に」
「では、なぜ私のところに」
「警察は、これを悪戯と見ております。動画の特定の場所が、CGの可能性がある、と。鑑識の方が、そう」
「CG、ですか」
「はい。屋上の縁の、影の落ち方が不自然だ、と」
俺は動画を一時停止して、画面を眺めた。
なるほど、屋上の縁の影は、街並みの影と、微妙に方向がズレている。空の光と、街の光の角度が、合っていない。
ただ、これはCGじゃない。
CGなら、もっと完璧にしてくる。
これは、二つの動画を、編集で合成しただけだ。
屋上から撮った素材と、爆発の瞬間を別の場所から撮った素材を、繋いだ。
「これ、現場には行ってないんですよ。撮影者は」
「と、おっしゃいますと」
「屋上から撮った動画は、別の日、別の場所のものです。爆発の動画は、火災の時に、近くの誰かが撮ったもの。二つを合成して、上空から中継してたように見せかけてます」
「では、これは予告では、なく」
「予告のふりをした、何かです」
依頼人の女性は、しばらく黙って、それから小さく息をついた。
「何か、と申しますと」
「もし、これが本気の予告なら、犯人は次の爆発を本当に起こす気でいます。けど、これがふりなら、目的は別にあります」
「別の、目的」
「テレビ局を動かすことが、目的かもしれません」
「私たち、ですか」
「あなたがこれを警察に持って行く。警察が動く。マスコミが動く。街に緊張が走る。誰かが、その緊張を利用して、別の何かをやる」
女性は、自分の手元を見つめた。
唇を、わずかに動かしてから、女性は静かに言った。
「目くらまし、ということになりますか」
「その可能性が高いです」
「報道は、ときどき、そのために使われます」
女性は、苦い微笑を浮かべた。
業界の人間が、自分の業界の使われ方を、自嘲する顔だった。
俺はその夜、ちひろに動画を見せた。
ちひろは画面を一度だけ見て、それから自分のスマホを取り出した。
「草薙さん、これ、SNSにも流れてますわ」
「マジか」
「マジです。匿名アカウントで、もう三万回再生」
「テレビ局より先に拡散してるな」
「うち、この拡散の仕方、見たことあるんです」
「どこで」
「半年前に、別の事件で。ハッシュタグの伸び方が、人の手で押し上げられてる感じですわ」
ちひろがスマホをスクロールしながら、続けた。
「最初の十人が、全員作りたてのアカウントで、しかも投稿時間が分刻みで揃ってます。これ、業者か誰かが、計画的に拡散させてますね」
「拡散の主、特定できるか」
「無理ですけど、業者を雇った人間は、おるはずです」
翌日、街は半日だけ、緊張に包まれた。
動画がニュースで取り上げられ、ネットで議論になり、警察が「悪戯の可能性が高い」と発表すると、騒ぎは収まった。
その騒ぎの最中に、市の中央郵便局で、ひとつの小包が、忘れ物として処理されたことを、俺は後で知った。
小包は、所定の手続きの中で、別の場所に運ばれていった。
その小包の中身が何だったのか、警察も追えなかった。
誰かが、騒ぎを起こして、誰の目も別の場所に向けた、その隙に何かを動かした。
動画は、目くらましだった。
俺は依頼人の女性に、調査結果を伝えた。
女性は深く礼をして、お金を払って帰っていった。
「報道は、ときどき、誰かに使われます。けれど、使われている時に気づける人がいる、というのは、ありがたいことです」
女性は最後に、そう言って、事務所を出ていった。
業界人らしい、抑えた挨拶だった。
ちひろが事務所に戻ってきたのは、夕方だった。
「草薙さん、うち、思うんですけど」
「ん」
「最近、似たような感じの事件、続きすぎてへんですか」
「うん」
「観察者、模倣犯、整備士、廃工場、それから、今日の動画」
「うん」
「これ、全部、誰かが描いてはる絵やと思います」
ちひろが机に頬杖をついて、俺を見た。
「絵を描いてる人、捕まえる気、ありますか」
「ある」
「ほな、その人、どこにいてはるんですか」
「分からん」
「分からんのに、絵だけ見えてる、っていうのは、しんどいですね」
「うん、しんどい」
俺は天井を見上げて、首の後ろを揉んだ。
絵を描いている誰か。
その手の指の形。
工具痕の癖。
動画編集の癖。
全部、別々の現場に、同じ匂いだけを残して、本人は決して現れない。
次に向こうから接触してくるとしたら、それはどんな形だろうか。
俺は、まだ想像が追いつかなかった。
窓の外で、街灯がひとつ、ぱちりと音を立てて点いた。




