第31話 廃工場の影
市の外れに、もう三十年前に閉鎖された機械工場の廃墟がある。
冬の朝、その廃墟で、男の遺体が発見された。
所轄は事故と判断した。男は廃材を漁りに入った日雇い労働者で、頭上から落ちてきた鉄骨に当たって死亡した、と。検死は早々に済み、現場検証もその日のうちに切り上げられた。事故である以上、長く現場を押さえる理由はない。
ただ、検視の結果、鉄骨が落ちた角度と、頭蓋骨の損傷の方向が、わずかにズレていた。
所轄の知り合いの刑事が、調書を仕上げる前に、また内々に俺を呼んだ。
「廃工場の事故で、爆発じゃないんだろ?」
「ああ。けどな、嫌な感じがするんだ。鑑識は引き揚げた。現場は廃墟だから、もうフリーだ。一度、お前の目で見てくれ」
刑事はそう言って、現場検証の写真を一式渡してきた。
俺はちひろを連れて、現場に向かった。
廃工場は、屋根が半分抜け、雑草が床から伸びていた。寒風が、機械の残骸の隙間を抜けて、ヒューと低く鳴る。
「うち、こういうとこ、好きちゃうんですわ」
「ホラー映画みたいだしな」
「戦隊ものはセーフですけど、ホラーはあかんのです」
「線引きが分からん」
「分かってもろたら困ります」
俺たちは現場のテープをくぐった。
被害者が倒れていた場所には、まだ警察のチョークの線が残っていた。
俺はその線の周りを、ゆっくりと歩いた。
鉄骨が落ちてきた、とされる位置。天井を見上げると、確かに鉄骨の一本が、留め具から外れて床に転がっている。
ただ、留め具の外れ方が、自然な腐食じゃなかった。
断面が、人の手で削られた跡を残している。
誰かが、わざと、鉄骨を落ちやすくしていた。
「ちひろ、ここ、写真撮って」
「撮ります」
俺は床に膝をついて、被害者が倒れていた位置と、鉄骨が落ちてきた位置の関係を、頭の中で組み直した。
鉄骨が留め具から外れて落ちる。重力に従って、まっすぐ下に落ちる。
けれど、被害者は鉄骨の真下に、立っているはずがない。日雇い労働者は、廃材を集めるために、視線を下に向けて歩く。天井の鉄骨の真下に、わざわざ立つ理由がない。
誰かが、被害者をそこに「立たせた」のだ。
ちひろが、廃材の山の向こうから声を上げた。
「草薙さん、これ」
近づくと、廃材の中に、小さな細工がしてあった。
古い機械の歯車が、床に半分埋まっている。よく見ると、歯車の一つに、紐が結ばれていた。
紐は、機械の影に延びている。
俺は紐をそっと引っ張った。
すると、機械の奥の方で、カチリ、と乾いた音がした。
罠だ。
誰かが、機械の中に、別の仕掛けを仕込んでいる。
「動かさんと」
「うちは触りませんで」
「俺もだ。けど、見たい」
俺は懐中電灯で、機械の奥を照らした。
奥には、廃材の一山があった。
その山の上に、人形が一体、置かれていた。
顔のない、ボロ布で作られた人形。胸のところに、紙片が一枚、留めてあった。
俺は紙片を、慎重に引き抜いた。
字が書かれていた。
『次は、観察される側』
それだけだった。
ちひろが、紙を覗き込んで、表情を硬くした。
「これ、誰宛なんですか」
「分からん」
「うちらに、ですか」
「かもしれん」
「気持ち悪いですわ」
「うん」
俺はその紙を、密閉袋に入れて、警察に提出することにした。
帰り際、廃工場の入口を出たところで、足音が聞こえた。
別の人間が、廃工場に向かって歩いてくる。
大きな工具袋を肩にかけて、作業着を着ている。
俺は咄嗟に、ちひろを廃材の陰に押し込んだ。
「待って下さい、それは何の」
「黙って」
工具袋の男は、廃工場の入口に立つと、ぐるりと辺りを見回した。
俺たちには気づいていない。
男は工具袋を地面に置き、中から何かを取り出した。
黒い、機械の部品だ。
男はそれを、入口の柱の根元に、慎重に取り付けた。
爆発装置。
ちひろが、息を呑む音が聞こえた。
俺は廃材の陰から、男の動きを観察した。
男の手は素早かった。けれど、指の動きは、整備士のそれと違う。もっと、機械工に近い。重い部品を扱い慣れた、無骨な指。
男が装置を取り付け終わって、立ち上がろうとした瞬間、俺は廃材の陰から飛び出した。
男の反応は早かった。
振り返りながら、工具袋から鉄パイプを引き抜いた。
「あ?」
短い声。地の底から出てくるような、低い濁った声だった。
長さはちょうど一メートルの鉄パイプを、両手で握って、頭の高さで構えた。
「邪魔すんなよ」
男は唸るように、そう吐き捨てた。
俺は男の構えを見て、距離を半歩詰めた。
パイプは、両手で握ると振りが大きくなる。振りが大きい武器は、最初の一撃を捌けば、次が遅れる。
男のパイプが振り下ろされた。
俺は真正面では受けない。
半歩だけ外へずれる。
同時に軸足を回した。
相手へ背を向けるように身体を反転させる。
軸足のかかとが男を向く。
その瞬間、上体を斜め下へ倒した。
視線だけを肩越しに残す。
男はまだ前へ流れている。
空振りした勢いが止まっていない。
そこへ後ろ脚を大きく振り上げた。
横へ払わない。
回し蹴りの軌道じゃない。
上から落とす。
斧みたいに。
かかとを男の頭頂部へ振り落とした。
鈍い音。
男の膝が落ちる。
重心が潰れる。
俺は着地と同時に男の背後へ回った。
起き上がる前に右手首を取る。
肘を伸ばし、地面へ押しつける。
手首を内側へ折る。
肘が止まる。
男の身体から力が抜けた。
「……終わりだよ」
「動くとはずれる」
「……ちっ」
男は短く舌打ちした。
「金もらっただけだ。恨みはねえよ」
吐き捨てるような声に、観念の色がうっすら混じっていた。
「ちひろ、警察」
「もう呼んでます」
所轄が来て、男を連れて行った。
男は、廃工場周辺で目撃情報のあった、フリーランスの「便利屋」だった。
仕事の依頼を受けて、被害者を廃工場に呼び出し、罠にかけた、と自供した。
ただ、自供の口調は、終始ぶっきらぼうだった。
「客は知らねえ」
「メールしか来ねえ。電話もねえ」
「装置は、宅配で届いただけだ。中身は触っちゃいねえ、設置しただけだ」
「金は、現金で郵便受けだ」
「顔は、見たこともねえ」
刑事の質問に対して、必要最低限の単語だけを返した、と俺はあとで聞いた。
依頼主の名は、おそらく便利屋自身も本当に知らないのだろう。
メールの送信者名は、毎回違う。発信元は海外サーバー経由で追えない。
俺は事務所に戻って、ちひろにコーヒーを出した。
「うち、今日のうちに、お風呂入ってから帰りますわ」
「事務所のシャワー使え」
「使います」
俺はソファに腰を下ろして、机の上に並べた密閉袋を眺めた。
観察者のノート。
模倣犯の工具痕。
整備士の繊維。
廃工場の人形に留められた紙片。
四つは、それぞれ別の犯人の事件だった。
けれど、四つの隙間に、同じ匂いが漂っている。
俺はその匂いに、まだ名前をつけないことにした。




