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『骨法探偵 草薙仁』 〜真実は歪みの中にある〜  作者: やはぎ・エリンギ


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第30話 整備士の指

道場の朝稽古を終えた後、ちひろが珍しく、自分の方から事務所に上がってきた。

「草薙さん、新聞」

「ありがと」

「読みましたか」

「まだ」

地方面の三段目に、小さく不穏な記事が出ていた。

昨夜、市内の駐車場で乗用車が炎上。運転席にいた男性が重傷。所轄は当初、エンジンの整備不良による出火と見ていたが、爆発物の痕跡が見つかり、捜査を切り替えた。

俺はその記事を、二度読み返した。

爆発物。

また、爆発だ。

被害者の名前は、被害者保護のために伏せられていた。けれど、続報の中に「市内で複数の運送会社と取引のある実業家」とあった。

ちひろがスマホで調べて、すぐに名前を割り出してきた。

「この会社の社長らしいですわ」

「会社のホームページに顔写真?」

「載ってます。あと、社長のブログも」

ブログには、毎週水曜日に同じ駐車場に車を停めて、行きつけの店で食事をすると書かれていた。

犯人は、それを知っていた。

知っていて、車のどこかに、装置を仕込んだ。

「ちひろ、この車、整備に出してたか調べられるか」

「整備工場、調べてみますわ」

夕方、被害者が運び込まれた病院から、所轄の知り合いが連絡をくれた。意識は戻ったが、当分は事情聴取は無理だという。代わりに、車のキーホルダーが現場に落ちていて、それに知らない男の指紋がついていた、と教えてくれた。

その指紋は、データベースに該当者がいなかった。

俺はもう一度、新聞記事を眺めた。

車が爆発した時間、駐車場の防犯カメラに、整備士の制服を着た男が映っていたという。男はカメラのある間ずっと、別の車のボンネットを開けて作業していた。完璧なアリバイだ。

その整備士は、地元の整備工場とは関係のない、契約フリーランスを名乗っていた。

「ちひろ、もう一回、その整備士の動画を見たい」

所轄が共有してくれた映像を、ちひろが事務所のモニターに映した。

男はずっと、別の車のエンジンルームを覗き込んでいた。背中を見せている時間が長く、顔は映らない。ただ、手の動きは見える。

俺は映像を停止させて、その手の動きを眺めた。

工具を握る指。

右手にレンチ。左手で部品を押さえている。

その押さえ方が、不自然だった。

「ちひろ、車のエンジンルーム、左から覗き込むよな」

「うちは車詳しゅうないですけど、まあ、右側のが多い気はしますわ」

「整備士の手の動き、左利きだ」

「それの何がおかしいんですか」

「整備士の世界、九割以上が右利きだ。左利きの整備士もいる。けど、左利きの整備士は、工具の置き方を変える」

俺はモニターを指差した。

画面の中の整備士は、工具を全部右側のトレイに置いている。

左利きの人間が、右側に工具を置くと、いちいち身体をひねって取りに行くことになる。動きにロスが出る。

「この男、本当の整備士じゃない。誰かに整備士の格好をさせられただけだ」

「ほな、ほんまの犯人は」

「車をいじった人間は、別にいる」

俺たちはその夜、被害者の自宅近くの整備工場を、片端から回った。

三軒目で、若い整備士が、ぽつりと言った。

「先週、変な人が車検にいらしたんですよ。社長の知り合いだとかで」

「変な、というと」

「ええ、何ていうか」

整備士は言葉を選ぶように、首をひねった。

「指が、綺麗な人なんです」

「綺麗、というのは」

「整備士の指じゃないんですよ。爪も、皮膚も。けど、工具の握り方は、現役のそれで」

俺は若い整備士に、もう少し詳しく聞いた。

「年は」

「三十前後でしたかね。声は、低いというか、こもってる感じで。喋り方が、こう」

整備士は少し言葉に詰まった。

「決まったセリフを、覚えてきたみたいな喋り方で」

「決まったセリフ」

「ええ。整備の用語、ぴったり合ってるのに、息継ぎが、覚えてきた歌みたいに」

ちひろがメモを取る手を止めた。

「うち、それ、嫌な情報やと思います」

「俺もだ」

数日後、所轄からの連絡で、駐車場の隅、植え込みの中から、もう一つの工具が見つかった。

持ち手に、布の繊維が一本、絡まっていた。

白い、絹のような繊維。

前回の事件で見たものと、同じだった。

俺は事務所に戻って、机の引き出しから、観察者のノートのコピーを取り出した。

ノートの隅に写り込んでいた、誰かの手の写真。

その指。

爪が短く整えられ、皮膚は荒れていない。

整備工場の若い整備士が言った「綺麗な指」と、矛盾しなかった。

ちひろが俺の手元を覗き込んで、ぽつりと言った。

「草薙さん、その人、この街にいてはりますね」

「いるな」

「どうやって捕まえるんですか」

「思いつかないな〜」

俺はそう答えてから、首の後ろを掻いた。

「ただ、向こうがこっちを知ってるのは確かや」

「うちらは、まだ顔も知らんのに」

「うん」

「不利ですやんか」

「うん」

ちひろがため息をついた。

「お茶、淹れますわ」

ちひろが湯を沸かしている間、俺はノートのコピーをもう一度めくった。

観察者がノートに記録していたのは、街の住人たちの生活パターン。けれど、最後の数ページに、観察対象ではない、別の何かが書かれている箇所があった。

待ち合わせの時間と場所が、いくつも並んでいた。

文字は同じ筆跡だが、書いた日付はバラバラだ。

ある列の地名と時刻に、俺は目を止めた。

今夜、同じ場所で、同じ時刻に、別の事件の関係者が、誰かと会う約束をしているのを、俺は所轄の刑事から聞いていた。

観察者は、その面会を、半年前から予知していたことになる。

予知ではない。

観察者に、面会の予定を「教えていた」誰かがいる。

ちひろがお茶を運んできた。

「草薙さん、変な顔してはります」

「いまね、観察者を観察してた人間が、別にいたんじゃないかと思って」

「観察の入れ子ですか」

「うん、観察の入れ子だ」

俺はお茶を受け取って、両手で温めた。

ちひろがため息をついた。

「うち、今日は早めに帰りますわ。明日学校あるんで」

「お疲れさん」

ドアが閉まる音を聞きながら、俺はもう一度、ノートの写真を眺めた。

次に向こうから来るときは、もう少し近づいてくる気がした。


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